アイスマンのつづきのつづき ― 2005年07月01日 11時22分36秒
さて、中CMもあけて、つづきのつづきです。 ところで、ぼくは本を読んでもすぐ忘れる。映画もさうだが、へたをすると読んだこと(見たことすら)忘れる。忘れもしない忘れ物に『普通の人々』と言ふ映画があつて、これは、そこそこ有名な映画だよね?評価も高い。映画好きな人なら見てなくてもタイトルは知つてゐるはず。原題もほぼそのままなんだけど、「普通の人々」‥‥‥なんか嫌なタイトルだな〜。と記憶に焼き付いたのです。でも見る気にはなれず見ないでゐたのですが、テレビ放映の時に、ま、評価の高い映画だし見てみるかと見始めたところ、どうも変だ、同じシーンを『別の映画』で見たことがある。すげえ似てる‥‥‥何の映画だつたつけな〜〜〜?ああ!ここも同じだ!ええ〜〜?と、驚く。でも、どうしてもその映画が思ひ出せない。と、思つてゐるうちにストーリーもなんか知つてることに気づく。アメリカ人て家庭崩壊のドラマ好きだもんな〜とか、思ひもする。が!さうではなかつた、見てゐたんである。と、中盤ぐらいで観念しました。つまりぼくは『普通の人々』を見たことを、忘れたどころか積極的に『見てゐない』と思つてゐたと言ふ大変な出来事でした。無名の映画ならいざ知らず、これアカデミー賞作品なんだな。そのころぼくがアカデミー賞にまだ興味があつたかどうか定かではないが、今はむしろ倦厭せしめてゐることを考えればその予兆はあつたのだ。頼むから『いい作品』はアカデミー賞取らないでくれ。役者にはいいと思ふが。 と、そんなことはどうでもよくて、『アイスマン』だ。 ブログに乗せなくてはと日々思つてゐるお陰で、結構覚えてる。 しかし、はたと思ふと、とくに書くことはない!?ぼくの説明では、作品価値を下げかねないし、とにかく面白かつたのだ。 ラストの展開は、思はず2度3度読み返してしまつた。(判りにくいとかさういふことではないよ)とびつきり感動したとかそんなことではなく、何故かさうせずにゐられなかつたのだ。 と、精一杯なコメントをして、舞台となるアメリカ南部の湿地帯で、ヌママムシが出てくるので、思ひ出される作品を一つ。『酸素男』。この小説もラストページをめくつたときの衝撃が忘れられない。文庫本など読んでゐると、ラスト近くなると「解説」なんて文字が透けて見えたりして「このページで終はるな」なんてことが判つてしまうために、興ざめしてしまうことありませんか?ページを開くと、後半に空白があつて、量的にラストを把握してしまつたりとか。そんなこと気にならずに、読めてしまうものもあるとは思ひますが。 『酸素男』の場合。うまく感情移入できると、当然ラストが近づいたことはわかります。ああ〜終はるな〜。く〜ここで、終はるんだろな〜。そのページのラストまでしつかり行が埋まつてゐて、ひらりとめくると『無い』んです。白ページ。おお〜〜〜〜!ラストの文章はやはりこれか〜とめくり返して感動にひたれます。酸素男の場合、独特の説明不足が特徴です。それが、いい語り口になつてゐたので、このラストはイカしてます。 ふう、これで、安心して『アイスマン』を忘れていける‥‥‥? |
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気がつけば7月ですは。皆さまいかがお過ごしでせうか? 昨年、7月2日の写真。近所です。東京です。今年も変化はありません。電線が無造作に交差しているところが、都会!?の証明? さらに、ところで、ふと気がつくとこのアサブロですが、画像も取り扱へる様になつたみたいです。パチパチパチ。おめでたう。 今回は後で、気がついたので、いつもの様にHTMLでやつてます。今度、試してみやうかな。 |
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