ギター改造計画(後編)2005年09月10日 13時00分23秒

 はやいとこ片づけとかないと、いつになるかわからないので

ギター改造計画(後編=完結篇)

 あらかじめお詫び!?

 この『ギター改造計画』は、物を大事にする人にはお勧めしません。見ない方がよいと思ひます。

 と言ふことで、反つくり返つてしまつたギターをどうするか!?考えた結果。
 ネックとボディを真つ直ぐに固定するために、アルミ性の鈎型板を使ふことにしました。正式な名前があるのですが、忘れてしまいました。単なる平板にせやうかとも思つたのですが、ここは強度を意識しまくつて奮発しました。アルミなので、軽いとは言へ30cm鈎型で幅もそこそこあるので、それなりの重さがあります。そもそもギター改造計画の目標のひとつ『軽くする』は断念ですか‥‥‥‥。
 ドリルでアルミ板とギター!に穴(直径5ミリ)をあけまして、ネジ(蝶ネジ!)を差し込みしめる!ギターのボディの内側に張つてある補強用の横棒が丁度『てこ』の役目をしてくれて、反りを戻すのに成功。やれやれひとまず安心。

 もうなんか、サイボーグの悲哀って言ふ感じですかね?
 蝶ネジにしたのは、この仕組みだといづれ弛んでくることが充分ありうるので、いつでも工具無しで締め直すことを可能にするためです。とはいへ、ネックの横にはみ出してゐる分を蝶々にすると、弦が引つ掛かつてしまうので、六角ナットを使用せざるを得ず。ま、アイデア倒れですか‥‥‥‥。
 で、次の問題。いつでも締め直すためには、直接手が届かんとならんわけで、そこの部分を蓋式にするとか、いろいろ考えた挙げ句、ただ穴をあけることにしました!
 ボディ面の意外な硬さにびつくり!穴あけ作業には思はぬ手間がかかりました。

しかも汚い切り口!

 形に美意識のかけらもありませんな。ここまでくるともう居直つてますね。でも、せめて汚れ隠しにテープで目貼り。
前編で説明した撮影機材用布テープ。

 そして、とにかく頑丈にを目的にベッタベタにボンド塗りたくり接着。

 乾くまで万力で固定!

 痛々しい?
 乾いたらボンドの塗りたくり後を隠せるし、再びテープはリ!
 るんるん完成間近!
 で、まあ、やること為すこと、中途半端と言ふか‥‥‥‥。
 テープがあと半周足りませんでした!

 なはは‥‥‥‥。
 テープぐらいすぐ買ひに行けよと言ふ意見もありますが、これで完成!完成だ完成だ!もう完成なんだるんるん!と無理矢理‥‥‥‥。

 と、詰めの甘い完結篇でした。
 でも、無事ギターの音がするやうになりました。先ほども申したやうに、重さに関しては疑問が残りますが、幅を狭めたことで、抱えるのが滅茶苦茶楽になりました。腕も痛くない。ただ、改造計画の目的にもうひとつ実は「音を小さくする」と言ふのがありまして、つまり、ジャカジャカうるさいだけのギターは近所迷惑だなとも思つてたんで、反響を小さくすれば変はるのではないかな?と推測したのですが、その辺に関しては、よくわかりませんでした。思ひの外、よく響くんでやや驚いてゐますが。後ろにあけた4つの穴がどんな効果をもたらしたのかは謎。アルミ板にいたつては音の響きを上げてゐるのではないか?と思つたりして‥‥‥‥。

17歳&67歳&2005年09月11日 20時41分14秒

 だんだん記憶が薄れてきたんだけど『17歳の風景〜少年は何を見たのか』と、そのメイキング『67歳の風景〜若松孝二はなにを見たのか』
 え〜と。

 『死神の精度』のことを書いた時に触れた「同じ事件をモチーフ」にしたのでは?と言ふのは、2000年、岡山で母親をバットで殺した17歳の少年が自転車で旅立ち(逃走?)16日後に秋田で捕まつたと言ふ事件。実のところ『死神の精度』はだいぶ違ふ、しかし、北へ向かうところが同じだ。映画を見た時期と本を読んだのが、近かつたせいで、無理矢理ぼくの中で結びついたのかも知れない。
 で、映画だ。
 ぼくは「若松映画」世代ではないのだが、ないと思ふが、昔のまんまだと思つた。景色だけが、今を感じた。
 ばつさり言つてしまうと、見て楽しむ映画ではない。見て考える映画だ。見る必要すらないかも知れない。考えさせられる映画ではなくて、考えてしまう映画だ。誰も強要はしない。どちらかと言へば退屈で、寝るか考えるかするしかないのだ。ぼくは少々寝てしまつた。
 『少年は何を見たのか』と副題がついてゐるが、それの答えはもちろんない。少年は最後まで語らないからだ。ひたすら自転車で移動し、夜が来たら休む。時として人に会ふ。自分のことは話さない。その繰り返しだ。時折、バットを振るふ姿がインサートされる。相手は見えない。
 物語のあり方としては「やっちまった少年が、行く先が見つからず飛び出して、移動して行く間にさまざまな人と合ひ、何かを見つける」と言ふわかりやすいものだ。でも『何か』は提示されない。17歳の少年なら、この映画の中から一生懸命探すと思ふ。その力は感じる。でも、ぼく、さすがに17歳は遠い。実は、最後に少々わからないな‥‥‥と思つてしまつた。
 と『67歳の風景』を見ると、意外な答えが出てしまう。
 このメイキングはいささか問題だ。
 始めは1時間を越す長さを想定して作つてゐたらしいが、検閲(おそらく若松検閲)が入り、40数分のものになつたらしい。
 このメイキングの問題は、いくつかあるが、ひとつは「結構面白いこと」この映画にこのメイキングはどうなのよ?と言ひたい。
 ひとつは「若松孝二が面白いこと」映画より監督が面白くなつては大変だ。
 もうひとつは「若松孝二の演技指導を拾つてしまつたこと」この映画に限り、少々まづいのではと思ふ。これで、安心してしまう人もゐるとは思ふが。
 「少々わからないな」と言ふ気分へのアンサーが、あつたのだ。実のところ、それが知りたい気持ちがあつて『若松孝二は何を見たのか』を見たのかも知れないが、なんだか複雑である。
 若松孝二は「開放感」と言ふのだ。やはり過激な男だ。
 かつて(今も)国家がやつてきた(ゐる)大犯罪にくらべたら、母親殺しなんて子供が成長するためには通らなければならない道なんだ!(しかも本来なら母親でなくて父親であるべき!)と‥‥‥まあ、そこまでは言つてないが、近いことは言つてゐる。
 ぼくは17歳の頃と言へば、新宿に高校があつたので、学校の行き帰りによく映画を見た。(よくと言つてもまあ、常識的に。どちらかと言へば真面目な高校生だつたので、ほどほど)当時は120円で2本立てが見られたのだ。値が上がつた後も150円だつた。授業をサボッて見に行つて、同じクラスの奴らと偶然合ふこともしばしばだつた。
 ここにある写真は17の頃撮つた写真だ。新宿だ。
 姉が大学で写真部に入つてゐたので、現像してもらつたのだ。つ〜か、カメラも姉のだ。

Lost Boys2005年09月12日 09時30分01秒

  「消えた少年たち」オースンスコットカード著。小尾芙佐(おびふさ)[訳]ハヤカワ文庫SF。
 大変珍しく上下2巻の大作を一気に読んでしまつた。まあ一気と言つても1週間ぐらいだが‥‥‥。通常だと、2〜3週間はかけて読む量です。

 会話が多く読みやすかつたとも言へるんだが‥‥‥‥‥‥、面白かつたのではないの?と言ふ自問もしてみるが‥‥‥‥‥‥、とにかく早く読み切つてしまいたかつた!と言ふのが、一番近いのではないかと思ふ。
 それにしても、それを持続出来たと言ふことは、少なからず面白かつたからでしょ?つまらなかつたら途中で嫌になることもあるぢやない。と、また自問してみる。

 一体何を言はんとしてゐるのか?

 結構やつかいな小説だつたんである。

 突然自分のことで恐縮だが、ぼくの作りたい作品の目標と言ふか理想は『いい人しか出てこない作品』なんだ。何も無理矢理悪い奴を作つて出すこともないだろと思ふんだ。それは現実的でないとか、説得力がないとかいろいろ意見はあると思ふがね。作りもんなんだからいいぢやないと思ふ。ちなみに『いい人』ね。『善意の人』ではないんだ。また曖昧な表現だね。人によつて解釈が変はりさうな、危ない比較だね。でも、とりあえずこれ以上説明するのはその時が来たらにするわ。
 ひとつだけ近い例をあげると、ラースフォントリアの『ダンサーインザダーク』ね。あれは凄い映画です。世界で一番辛くなる映画。あれは『善意の人』しか出てこない作品だね。この人は本当に凄いと思ふ。『ドッグビル』ね。あれは『善意の人』だけとは言ひがたいけど。あらゆる実験を試みた‥‥‥話がズレたね。ぼくが一番初めに買つたLDは、彼の多分デビュー作の『エレメントオブクライム』と言ふ作品なんです。どうしても気になる作風の人ね。

 ま、話を戻して、と言ふかなんでこんな話をしたかと言ふと『消えた少年たち』ね。嫌な奴か、悪い奴か、病んでゐる奴しか出てこないの。あつさり言ふと、みんな病んでゐるって感じ?(「?」でもつけないとゐられない)よくもまあ、これだけ嫌なシチュエーションを考えられるなと感じるんだけど、確かにリアルだね。おそらくほとんど『事実』なんだろ。
 現実にはよくあることなんだね。それはわかるよ。だけどね〜‥‥‥。
 あ、ひとつ付け加える。『10歳以上』ね。10ぢやあれだから14歳ぐらいにしておかうかな?その歳以下の登場人物はいい悪いの判断から除外。「消えた『子供』たち」だからね。
 主人公の夫婦の言つてゐることとか、正しいと思ふし、共感も出来るんだが、どうもね〜‥‥‥。なんか不愉快さが拭へないの。二人ともにそれぞれ気持ちはわかるんだけど、やたら喧嘩するし、凄く理屈っぽいの。ぼく自身『理屈っぽい』と言はれた経験ありなんだが、ボキャブラリーがね。足りないので、とことん行けないのね。でも、この主人公は違ふんだな。行くんだなどこまでも、正しいとは思ふんだが、独りよがりに思へてしまうこと多々あり。

 作者も主人公もモルモン教徒と言ふことで、それはわかるんだけど、何故か『モルモン教との弁解書』とも思へてしまうんだ。弁解する必要などないだらうし、ありえないけど、何故かさう受け取れてしまつたりする。ぼくはに信仰がないので、わからないんだけどね。

 読み終はつた時と言ふか、もうすぐ読み終はるころ、これは短編のネタだなと感じた。短編だつたら面白かつたと素直に言へるのではないかと思つたんだ。それを、長編にして、嫌な事象で埋め尽くしたんだ‥‥‥。でも、確認したら冒頭に短編が先にあると書いてあつたよ。おいおい1週間で忘れるなよ〜。
 しかも、その短編は短編で、かなり酷評も受けたと解説に書いてあつた。さうなんだ‥‥‥。でも確認のため読む気にはなれないな。

 と、実は子供以外にもう一人だけ例外がゐるのだ。
 後半も後半、満を持して(?)とある刑事さんが出てくるのだけど、このときはホッとしたなあ〜。ま、でも出番は少ないんだけど。なにしろ出てくるのが遅いからね。

 と、そんなこんななんだけど、話そのものはね、面白いと言ふか‥‥‥、いい話と言ふか‥‥‥(良いと言ふ言ひ方は違ふかな)感動的な話なんです。それを書く訳にはいかないけど、原題が『Lost Boys』なの。英語わからないのに類推して言ふと『"消えた"子供たち』と言ふ日本語題と比較して『"Lost" Boys』の解釈の幅を広げて考えてみると、なんとなく見えてくるものがあるのではないかしら。人によつては涙ちょちょ切れる話だと思ひます。
 でも、ぼくはな〜‥‥‥。まあ、文庫本で870ページぐらいをとにかく一気に(ぼくとしては一気に)読んだんだから、許してください‥‥‥?

 ところで、子供が消えると言ふと『最後通告』と言ふスイス映画を思ひ出すな。終はりのない映画。それから『パイドパイパー伝説』そして、女子高生がどんどん消えてゆく『聖ルミナス女学院』?
 そんなこと連想してゆくと『パイドパイパー』と言へば、ネビルシュートの、これから年寄りになる人と年寄りには、それこそジーンときちゃう小説が浮んぢやうね。

生ける屍の生きる権利2005年09月14日 11時50分22秒

 ランド オブ ザ デッドを見た。
 面白かつたな〜。なんでこんなに面白いんだろ。
 ロメロはいいわぁ〜。
 突然ですが、さかえ様。善意の人は「意」が付いてゐるだけに、意志をがあるのでせうが、とりあえず、善意の人を悪く言ふつもりは毛頭ないのです。
 と、それはさてをき、この映画には「いい人」なんて出て来ませんな〜。でも、いいんだよな〜。みんな必死だからいいんだろな〜。しいて言へば、ゾンビがいい人だよな〜。
 ただ、それを意識してか、リビングデッドの市民権闘争的な色合ひがやや強く出過ぎてたかな〜。
 なんとなくカーペンターを思ひ起こさせるところもあり、そうなんだよ、これが映画なんだよ。と言ひたくなる映画です。

 口の横が裂けて中が見えちやつてる女の子がよかつたな〜。もつと見たかつたけど、暗かつたし(うちのテレビはただでさえ暗いので、ほとんど見えないと思ふ。映画は映画館だよな〜)メイクの都合で、あまり見せるわけにはいかなかつたのかなぁ‥‥‥‥。まあ、それでも、ゾンビ側の主人公ガソリンスタンドマンのそばにゐたので、比較的映つた方かしら。記憶をたよりに描いてみました。もつと愛らしいのだよ。

  と言ふ訳で、どんなに非難されやうと(?)ぼくはこの映画が好き。