昨日は都民の日2005年10月02日 19時14分27秒

 あまりにも天気がいいので、三茶近辺のスタジオへ行く前に、ツーリングがてら第三京浜に乗り(スクーター初高速)野毛山動物園へ行つて参りました。まあ、早い話が仕事自主規制です。土曜日だし都民の日だし、でも行き先は神奈川県。
 突然決めたので、いろいろありました。
 いろいろと言つても大したことではないと言ふか下らないことなののですが、いざこのブログにまとめやうとしたら、意外な難作業になつてしまい計画し直すので、とりあえず。
 野毛山シリーズ第一弾と言ふことで、猫の種 柿の種さんご推薦のレッサーパンダ健在。人気者。ガヤを聞く限り、女性よりも男性人気の高い「目細くん(写真左)」と「ノーマル丸目くん(写真右)」です。ちなみに丸目くんはしつかり立つとりました。
 で、行き4時間弱!帰り(スタジオまで)1時間強だつた!とだけ記して。

楽園の真実2005年10月03日 16時28分40秒

 気が付けば「ジャマイカ楽園の真実」にトラックバックがあつて、ありがたうございます。ど風呂グさま。でも相変はらずトラックバックにどう対応したらいいのかわからぬままでございます。
 ぼくの説明ではどんな映画なのかさつぱりわからなくて、映画を見ずじまひの方は是非とも「ど風呂グ」へ行つて見て下さいまし。よく判ります。

 で、楽園とか心落ち着く場所と言はれるバリ島でテロです。
 海外旅行経験のあまりないぼくが最初に行つたのがインドネシアなので、気になります。今回のテロはともかくインドネシアは不思議な国です。対日感情にしても、いいのか悪いのかわかりません。ぼくはカモにされると同時に歓待もされました。見ず知らずで初対面の外国人を三日間自宅に泊めてくれるなんて、凄いことだと思ひます。
 それはジャカルタでの事ですが、バリにも三〜四日ゐました。いい加減ですが、よく覚えてをりません。20年以上前の事ですから。
 滞在したのはクタです。今回引き続き起こつたテロの後の方の場所ですね。ジンバランと言ふ地名は記憶にありません。当時はまだ観光地ではなかつたのでせう。当時はビーチは3つ。サヌール(高級)クタ(アメリカ人とオーストラリア人多し)レギャン(お安い!?)と言ふことで、ぼくはレギャンに行くつもりでしたが、夜行バスの発着場で、乗つたタクシー(ミゼット)の運ちゃんが「レギャンOKOK」と言ひながら、発進してしばらくすると「実はクタしか知らない」と言ひ出し、クタビーチにしたのでした。もうバリに着いた時にはオヤジギャグでもなんでもなく、本当にクタびれてたんで、どうでもよくなりました。まあ、そもそも無計画な旅だつたんで、仕方ありません。
 なので、バリで何をしてゐたか‥‥‥‥ほとんど寝てました。ビーチでごろごろしてゐるとオイル塗りのおばさんがやつてきます。若い女性も近づいて来ます。若い方はもちろん「お誘ひ業」なわけですが、その毒牙からオイル塗りのおばさんが守つてくれます。「お前あっちいけ!」みたいな感じで、追ふ払ふんですな。まあ、それで、去るわけでもないのですが、おばさんに睨まれながらも、オイル塗りで無抵抗なぼくに片言の日本語で話し続けるんですな。だんだん面倒臭くなり『ぼくはお金持ってないよ』と言ふと『おにいさん頭いいね』と言つて去りました。頭いいねと言はれても困りますが、おばさんは本当に嫌ひみたいで、あんな奴がゐるのが嘆かわしいみたいなことをぶつぶつとぼくに言ひ続けました。純粋にその職業を嫌つてゐるのか、若い娘が許せないのかはよくわかりませんでした。

 夜になると辺りをぶらつきました。観光客相手にケチャなどあちこちでやつてゐましたが、入場料が高い気がして見ませんでした。なので塀越しのサウンドだけは聞きましたが、ものは見てない。考えてみれば勿体無い。塀越しのガムランだけとは‥‥‥‥。

 一日だけ奮起してバイクを借りて島めぐりをすることにしました。バリは小さな島です。バイクならあっと言ふ間でせう。
 しかし、ここでも、やられました。背が高くて色の白い方々が、それなりのレンタルバイクに乗つてゐるのでこれなら楽だなと思つてたのですが、小さい日本人はしつかりなめられ、これは捨ててあるのでは?としか思へないボロボロの125CCのバイクを出されました。(まあ、もしかしたらきちんと予約をしてをくべきだつたのかも知れませんが‥‥‥‥なにしろ無計画ですから)
 そして、山の中腹で止まりました。

 バリは暑いですよ。
 これは仕方ない。押すしかありません。小さい125CCでよかつた!?
 まあ、のぼる気はすでに無く、ゆつくりと下つたわけですな。
 でも、汗だくですわ。地元の人は不信な目で見ますわな。バイク乗らないで押してるんだもん。川で、水浴びをしてゐた若き女性がゐましたが、ザザッと慌ただしく「よしず」で、避けましたね。
 わびしい。(さういへばこのこと、「ヒヲウ戦記」のライナーに書いたつけな‥‥‥‥)
 そして、広い小学校らしき場所へ出ました。その中に、日本で言へば駄菓子屋ですかね。『中』って凄いと思ふけど、中にしか思へなかつたんだな。
 そこで『た』と言ふんですが、『TEA』お茶ですな。その後に本でもジャワティーなるものが、出ましたが、それですな。ただし本場ものはほのかに甘味が入つてをります。そのほのか具合がいいんです。
 店の中にはおばあちゃんがひとり。これを頂戴と指差すとにこにこと頷きながらコップに注いでくれました。うまい!うまいうまいうまいうまい!
 インドネシアではこの「たぁボトル」にずいぶんと助けられました。ボトルなんですが、それをコップに注いでくれるところが、この駄菓子屋さんの上品さを感じさせます。
 そして、一口飲んだところで、おばあちゃんが氷を手に「これを入れる?」とにこにこ微笑みました。今はどうかわかりません。当時はインドネシアは製氷状態が悪く。お勧めしないとガイドブックに書いてありました。(無計画だがそれぐらいは見た)なので、ホテル以外では冷たいものを口にすることはありませんでした。「たぁボトル」も冷たくはないのです。でも、その常温が優しくていい!
 さて、おばあちゃんのお誘ひです。ぼくはもう汗みどろで見るからにへとへとで、おばあちゃん好意の氷です。もちろん「うん!」と言ひましたさぁ。あの笑顔に否と答える奴はいません!そして、おばあちゃんの手から氷がコップの中へ、すると、じゅぶじょわ〜!と異物が広がりました。まあ、水あかが広がつたと想像して下さい。見事だつたな〜。地元の子たちはこれを飲んで育つんだな〜。
 もちろん!飲みましたさ!うまい!うまいうまいうまい!うま〜い!ちなみに氷は通常有料です。でも、おばあちゃん取らなかつた。
 と言ふわけで、おばあちゃんの笑顔。最高の笑顔。コップに広がつた異物。これが、ぼくのバリの思ひ出です。だからテロなんかしないで。

 インドネシアへ着いた翌日。カメラを盗まれました。コニカの一眼レフ。しかも、姉のカメラでした。仕方なく、そのまた翌日、ボゴールのキオスク!?で、コンパクトカメラを買つて旅の友に。
 巻き取り不良により、ダブり写真がたくさん撮れました。いまでこそ、さういふ不測の事態による変な写真が好きなぼくですが、当時は少し悲しかつたな。
 ニュースでもよく言つてゐるので、御存じかと思ひますが、インドネシアはイスラム教の国ですが、何故かバリ島だけがヒンズー教なんです。町中には、たくさんの神様がゐます。でも、この大砲はなんなんだらう?

小屋にスコッティ2005年10月04日 17時43分40秒

 今日はテレビの功罪について。
 おお!凄い!
 とはいへテレビを批判非難する気はない。それはぼくが少なからずテレビ関係の仕事をしてゐるからではない。(現在放映してゐる作品がないのだから、文句言ひ放題。批判するチャンス!?なんだが)
 このことに関してぼくはもう非難するのをやめたのだ。あくまでもテレビは数々の悪行を重ね、その上に移り変はつて来た世の中の「部分」があると言ひたいだけで、それを批判することは今を否定することにもつながるので、どこへどう流れるのかを見続けるしかないと結論した。でも、悪行と言ふ言葉を使つたらそれは批判ではないの?と疑問が生じるだらう。でも、違ふんだとしか言へない。他に言葉が見つからない。あえて言へば写実だが、これもぼくの気持ちを正しくは伝へない。ボキャブラリーの壁にまたぶつかる。
 ただ、テレビの仕事をしてゐるからテレビを批判しないと言ふのは間違ひだと思ふ。内部告発は素敵だ。どんどんやるべきだと思ふ。日々電力を享受してゐるからと言つて原発を批判できなくなつたら、明日がなくなる。「代替案なき苦情は無効だ」と言ふ意見もあるが、世の中には「それ」に詳しい人も詳しく無い人もゐる。詳しく無い人は文句言ふなでは、惨すぎる。

 さて、なんか偉さうに始めてみたけど、やはり続かない。『記録映画』と言ふ題材から、話を広げやうと思つてたんだけど、整理がつかないので、タイトルの説明をすることにする。

 本日のお題「小屋にスコッティ」とは、大変深い状況からくるかなり振幅の激しい感情を表現してゐる。
 それは‥‥‥‥。
 大風呂敷を広げると続かない‥‥‥‥。

 それはかうだ。
 A君と言ふ人がゐる。A君はA嬢でもいい。いや中年Aでも、老人Aでもいい。「人物A」だ。
 人物Aは、テレビっ子と言ふほどではないが、生活の一部でテレビを見てゐる(見て来た)人間だ。Aは飛行機に乗つてハンガリーへ向かつてゐた。(しつこいけどモンゴルでもニュージーランドでもどこでもいい)ハンガリーがヨーロッパだと言ふことぐらいは知つてゐるが、正確な位置は知らない(気にして無い)歴史もしらない。隣国との位置関係も知らない。隣国をすべて言へるかどうかも怪しい。飛行機の行く先さえ間違へなければ必ず着くからだ。
 だけど、この時は違つて飛行機が乱気流に巻き込まれ、ぐるぐる回つてしまつた。
 そして、落ちたところはジャングルだつた。奇跡的に助かつたのはAだけだつた。日本からハンガリーへ行く途中にジャングルがあるかどうかAはしらない。東南アジアにジャングルがあることぐらい知つててもいい。右も左も判らない。乗客全員の携帯電話が壊れてゐる!そもそもアンテナの立つ位置かどうかもわからない。そもそも国際通話のできる地域とは思へない。
 でも、あきらかに飛行機事故だから、待つてゐれば、必ず救援がくるだらうと思ひ、しばらくジッとしてゐることにした。だけど、ヒルの群れがひょんひょん襲つて来て、Aはしゃにむに逃げまどひ、墜落場所を見失つた。わずかな距離感しかなかつたが、完全に方向を失つた。
 それからジャングルをさまよひ続け、人の気配を感じた。それは現地民で裸族だつた。狩りの途中なのか、槍だの弓だの持つてゐた。テレビで見たことがあると思つた。部族ごとの差など判るはずも無い。彼らも、飛行機が落ちたことぐらいわかるだらうと思つた。言葉は通じないが、もしかしたら日本のテレビ局がタレントを連れて来たことがあるかも知れない。Aの窮状を見れば助けてくれるだらう。食べ物をくれるかも知れない。でも野牛の骨髄液とかくれたら飲めるかな?なんて、少しわくわくすらしてしまつた。
 しかし、Aの気配を感じるや彼らは攻撃して来た。
 超びびりながらAは必死で逃げた。
 なんとか逃げ切れた。
 それからもAはさまよひ続けた。昼夜をいくつ過ごしたのか時間の感覚は失せ、空腹疲労苦痛も限界を越え思考能力は完全に麻痺した。ジャングルの木や草や虫のせいで、Aの体のあちこちからは血が滲み、蠅は卵を生み、蛆が皮膚の下をうごめき、強烈な臭ひの花粉が鼻水を出させた。まあ、つまりどろどろのぐちゃぐちゃだつた。
 そして、飛行機事故の記憶も薄れた頃、Aはとある小屋へ辿り着く。屋根には苔、シダの類いが繁茂し、壁を蔦がたどり、傾きかけてゐる(元から傾いてゐるのかもしれない)が、まぎれも無く人の住む小屋だ‥‥‥‥。Aのアドレナリンは上がつた。複雑な感情だ。辿り着いたと思ふと同時に、何日か前にAを襲つた現地民が住む場所だつたら大変だとも思つた。安心感と同時に恐怖感が沸き上がる。しかし、ジャングルの中に突如出現した小屋からは抗ひがたい馴染み感が溢れだし、Aを捕らえてやまない。
 勇気を出し、慎重に慎重に神経を集中させて、近付いた。思考能力が低下した分、本能が研ぎすまされた。
 何か合つたら一目散に逃げ込む茂みのあたりもつけ、命を賭けて扉を開けた。

 小屋の中には木のテーブル。その上にほぼ新品のスコッティ(200枚入り)が一箱置いてあつた。

 と、これが「小屋にスコッティ」で「平衡を失つた世界」だ。
 この話にはまだ続きがある。
 だけど、これがどうテレビ批判(写実)と繋がつてゆくのか心もとなくなつてきた。「A」は平衡感覚を失つてしまつた。

 つづく。

 ちなみに写真は内容と全然関係が無い。寂しいので添えた。

計画性の有無2005年10月05日 15時57分09秒

 stupid girlはん、そう笑はんといて〜な。ぼくは気になると行く性分なんですわ〜。何が気になるかは、その時次第ですけどね〜。例えば同じレッサーパンダでも本家?風太くんを見に行きたいとは思はなんだのです。テレビで充分。テレビの功罪。欲望が湧かなかつたんどすな。
 それに横浜ならちよいと足をのばせば着くぢゃん!と言ふ思ふがあつたので、行つたのですな。
 そもそも動物園は好きで、実のところ友人お勧めのラッパチョウを見に北海道円山動物園にも行きたいのですが、さすがにちよつと行くと言ふわけにも生きませんな。なにかついでが、あればいのですがね。
 例えば、台湾へ仕事で行つたときも帰りの日の半日自由時間!?に行きました。台北には新交通システムが南北と東西に走つてゐて、たしか西の終点が動物園だつたんですな。(違つてたらごめん)
 駅の表示を見て「あ、動物園がある。行ってみよ」てなぐらいな気分で行くわけです。しかし、どれくらい時間がかかるのか判らない。とにかく電車に乗つて、時間がヤバくなったら、折り返さうと、たどり着けないことも想定して向かいます。つまり行き当たりばつたりです。計画性がないのですな。ただし咄嗟の計算はするわけです。ただ、この時は動物園に傘を忘れて取りに戻り。待つてゐた人々に心配をかけてしまつたやうです。
 だけど、一人の場合ならその辺もかなりアバウトですな。インドネシアへ行つたときもバリに渡る前にスラバヤ(静かでいい町)でコモドオオトカゲを見るために行きました。なんだか落ち着いて、ほとんど一日ゐましたね。他にどこへ行かうとか、何を見やうとか、美味しい食べ物があるのか?なんて考えないのです。ガイドブックは買ひますが、それに乗つてゐる地図を見て「動物園がある」「フェリー乗り場がある」と発見してそこへ行くわけです。だから『休日』チェックなんかしません。行つたら休みだつたなんてことはよくあります。

 だから、野毛山動物園もまさか休みもあり得たわけです。まあ、土曜日だつたんで『休園』はないと思ひますが。朝いきなり決めて、古い地図持つて出発するんです。事前確認無し。

 なんだらう?きままで衝動的に行くのが旅だと思つてるのですね。1990年、普賢岳が噴火した時も、気になつて気になつて翌年の11月に行きました。(一年もたてば衝動的とは言へないが、行く時が衝動的なのね)
 もちろん航空券なんて用意せずいきなり羽田。
 で、ぼくのアバウトな計画性はそこから無謀に稼動しはじめて‥‥‥‥。目的は『行く事』で、『何をする』とかないのね。
 長崎へ行くなら‥‥‥‥
ついでに鹿児島へ行こう。天草へ渡つて島を縦断して行こう。なんて思ふわけです。止まる宿も、その場で決めます。泊まるところがないときは隣町へ移動します。ヤバい時はさすがに電話して、今から大丈夫?と確認します。
 なので、はつきり言つてかなりの無駄な時間は生まれます。フェリーの時間だつてその場へ行くまで知らないんだから。それから、どうしても東京育ちのぼくとしては、勝手な感覚があります。

 フェリーが着く時間なんだから、バスぐらいあるだらう。

 熊本県天草の牛深と言ふ港から、鹿児島県長島の蔵之元と言ふところへフェリーが出てゐます。5〜6キロぐらいかな〜?近いです。

 何時頃だつたか忘れましたが、ごらんの通りまだ明るい時間!
 フェリーは牛深最終に乗りました。まあ多分そこからつながるバスがあるでせうと東京人。しかし、もう
最終バスが出た後でした。ガチョ〜ン。つまりフェリーはごらんの通り車ごと移動するわけですからね。ぶらりと徒歩で乗る奴は少ないんですよ。ははは。
 この長島と言ふところ、申し訳ないが、何もありません!牛深のほうがかなり賑やか。でももう戻るフェリーはありません。あらら〜。これは野宿?でも海風が寒い。仕方ないので、タクシー呼びました。公衆電話はあつたので!

 そして一気に川内(せんだい)まで行きました。母の故郷なのです。
 で、ホテルを決めてうろうろしてゐたら「あんたフェリーに乗ってたでしょ」と言はれました。「ええ」とぼく。そして「どうやつて来たの?」と、不思議さうに聞きます。「いやもうバスなかったんで、タクシー呼びました」とこたえると「な〜んだ、一緒に乗せて来たのに〜」と言ひます。いや、さう言はれても‥‥‥‥と思ひましたが、その方はもうすでにバスが無いことは知つてゐたので、明らかな旅行者のぼくの動向が気になつてゐたようです。ぼくはフェリーが着くや否や、ずんずんと自信ある足取りで歩き出したので、その姿を見て、ちやんと行くところがあるのだと判断して、声をかけるのをやめたさうです。ただ単に焦つてバス停を探してただけなんですけどね。降りて即座に途方に暮れてゐればよかつたのですな。