楽園の真実2005年10月03日 16時28分40秒

 気が付けば「ジャマイカ楽園の真実」にトラックバックがあつて、ありがたうございます。ど風呂グさま。でも相変はらずトラックバックにどう対応したらいいのかわからぬままでございます。
 ぼくの説明ではどんな映画なのかさつぱりわからなくて、映画を見ずじまひの方は是非とも「ど風呂グ」へ行つて見て下さいまし。よく判ります。

 で、楽園とか心落ち着く場所と言はれるバリ島でテロです。
 海外旅行経験のあまりないぼくが最初に行つたのがインドネシアなので、気になります。今回のテロはともかくインドネシアは不思議な国です。対日感情にしても、いいのか悪いのかわかりません。ぼくはカモにされると同時に歓待もされました。見ず知らずで初対面の外国人を三日間自宅に泊めてくれるなんて、凄いことだと思ひます。
 それはジャカルタでの事ですが、バリにも三〜四日ゐました。いい加減ですが、よく覚えてをりません。20年以上前の事ですから。
 滞在したのはクタです。今回引き続き起こつたテロの後の方の場所ですね。ジンバランと言ふ地名は記憶にありません。当時はまだ観光地ではなかつたのでせう。当時はビーチは3つ。サヌール(高級)クタ(アメリカ人とオーストラリア人多し)レギャン(お安い!?)と言ふことで、ぼくはレギャンに行くつもりでしたが、夜行バスの発着場で、乗つたタクシー(ミゼット)の運ちゃんが「レギャンOKOK」と言ひながら、発進してしばらくすると「実はクタしか知らない」と言ひ出し、クタビーチにしたのでした。もうバリに着いた時にはオヤジギャグでもなんでもなく、本当にクタびれてたんで、どうでもよくなりました。まあ、そもそも無計画な旅だつたんで、仕方ありません。
 なので、バリで何をしてゐたか‥‥‥‥ほとんど寝てました。ビーチでごろごろしてゐるとオイル塗りのおばさんがやつてきます。若い女性も近づいて来ます。若い方はもちろん「お誘ひ業」なわけですが、その毒牙からオイル塗りのおばさんが守つてくれます。「お前あっちいけ!」みたいな感じで、追ふ払ふんですな。まあ、それで、去るわけでもないのですが、おばさんに睨まれながらも、オイル塗りで無抵抗なぼくに片言の日本語で話し続けるんですな。だんだん面倒臭くなり『ぼくはお金持ってないよ』と言ふと『おにいさん頭いいね』と言つて去りました。頭いいねと言はれても困りますが、おばさんは本当に嫌ひみたいで、あんな奴がゐるのが嘆かわしいみたいなことをぶつぶつとぼくに言ひ続けました。純粋にその職業を嫌つてゐるのか、若い娘が許せないのかはよくわかりませんでした。

 夜になると辺りをぶらつきました。観光客相手にケチャなどあちこちでやつてゐましたが、入場料が高い気がして見ませんでした。なので塀越しのサウンドだけは聞きましたが、ものは見てない。考えてみれば勿体無い。塀越しのガムランだけとは‥‥‥‥。

 一日だけ奮起してバイクを借りて島めぐりをすることにしました。バリは小さな島です。バイクならあっと言ふ間でせう。
 しかし、ここでも、やられました。背が高くて色の白い方々が、それなりのレンタルバイクに乗つてゐるのでこれなら楽だなと思つてたのですが、小さい日本人はしつかりなめられ、これは捨ててあるのでは?としか思へないボロボロの125CCのバイクを出されました。(まあ、もしかしたらきちんと予約をしてをくべきだつたのかも知れませんが‥‥‥‥なにしろ無計画ですから)
 そして、山の中腹で止まりました。

 バリは暑いですよ。
 これは仕方ない。押すしかありません。小さい125CCでよかつた!?
 まあ、のぼる気はすでに無く、ゆつくりと下つたわけですな。
 でも、汗だくですわ。地元の人は不信な目で見ますわな。バイク乗らないで押してるんだもん。川で、水浴びをしてゐた若き女性がゐましたが、ザザッと慌ただしく「よしず」で、避けましたね。
 わびしい。(さういへばこのこと、「ヒヲウ戦記」のライナーに書いたつけな‥‥‥‥)
 そして、広い小学校らしき場所へ出ました。その中に、日本で言へば駄菓子屋ですかね。『中』って凄いと思ふけど、中にしか思へなかつたんだな。
 そこで『た』と言ふんですが、『TEA』お茶ですな。その後に本でもジャワティーなるものが、出ましたが、それですな。ただし本場ものはほのかに甘味が入つてをります。そのほのか具合がいいんです。
 店の中にはおばあちゃんがひとり。これを頂戴と指差すとにこにこと頷きながらコップに注いでくれました。うまい!うまいうまいうまいうまい!
 インドネシアではこの「たぁボトル」にずいぶんと助けられました。ボトルなんですが、それをコップに注いでくれるところが、この駄菓子屋さんの上品さを感じさせます。
 そして、一口飲んだところで、おばあちゃんが氷を手に「これを入れる?」とにこにこ微笑みました。今はどうかわかりません。当時はインドネシアは製氷状態が悪く。お勧めしないとガイドブックに書いてありました。(無計画だがそれぐらいは見た)なので、ホテル以外では冷たいものを口にすることはありませんでした。「たぁボトル」も冷たくはないのです。でも、その常温が優しくていい!
 さて、おばあちゃんのお誘ひです。ぼくはもう汗みどろで見るからにへとへとで、おばあちゃん好意の氷です。もちろん「うん!」と言ひましたさぁ。あの笑顔に否と答える奴はいません!そして、おばあちゃんの手から氷がコップの中へ、すると、じゅぶじょわ〜!と異物が広がりました。まあ、水あかが広がつたと想像して下さい。見事だつたな〜。地元の子たちはこれを飲んで育つんだな〜。
 もちろん!飲みましたさ!うまい!うまいうまいうまい!うま〜い!ちなみに氷は通常有料です。でも、おばあちゃん取らなかつた。
 と言ふわけで、おばあちゃんの笑顔。最高の笑顔。コップに広がつた異物。これが、ぼくのバリの思ひ出です。だからテロなんかしないで。

 インドネシアへ着いた翌日。カメラを盗まれました。コニカの一眼レフ。しかも、姉のカメラでした。仕方なく、そのまた翌日、ボゴールのキオスク!?で、コンパクトカメラを買つて旅の友に。
 巻き取り不良により、ダブり写真がたくさん撮れました。いまでこそ、さういふ不測の事態による変な写真が好きなぼくですが、当時は少し悲しかつたな。
 ニュースでもよく言つてゐるので、御存じかと思ひますが、インドネシアはイスラム教の国ですが、何故かバリ島だけがヒンズー教なんです。町中には、たくさんの神様がゐます。でも、この大砲はなんなんだらう?

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