「ケツァル鳥の館」La Mansio'n del Pa'jaro Serpiente(「'」は文字の上につく奴ね)ビルヒリオ ロドリゲス マカル Virgilio Rodri'guez Macal 児嶋桂子[訳]山本容子[画]コピーライトは1999年、翻訳は2001年となつてゐますが、書かれたのは1939年とのことです。
著者はグァテマラの人で、1964年に亡くなつたとのことです。それなので、帯にはリゴベルタ メンチュウの推薦文が載つてゐます。リゴベルタ メンチュウちゅう人は、グァテマラの先住民族の女性で、政府軍の弾圧から逃れ、世界に訴えかけて帰還を果たした人です。1992年ノーベル平和賞をとつてます。と、10年以上前に読んだ社会新報ブックレットを片手に解説せやうと思ひましたが、記憶も薄れて超生半可なことを書くのは無礼きわまりありません。インターネットで見つけたので、ここ「リゴベルタ メンチュウからブッシュ大統領への手紙」へ行つて下さい。9.11直後の手紙のやうです。しかし、丁度時節なので加えると、皮肉でもなんでもなくノーベル平和賞の受賞者からのかのやうな手紙が、無視されたと言ふことはノーベル賞になんの意味が?と思ひます。
さて、このおはなしはジャングルの話です。著者が、カクチケル族のペドロ クラーンなる猟師から聞いた物語と言つてゐます。
動物たちの物語で、アンダ ソロ(はなれハナグマ)、ヨロイネズミ(アルマジロ)、イタチ(イタチ)、パカ(テンジクネズミの一種)、バッツ(ホエザル)を、それぞれフィーチャーした短編集になつてゐる。家族や男女(雄雌)の愛情や、見栄や欲望も語つてゐて、ドラマチック仕立てなのだが、曖昧さはなく素直に食物連鎖も語つてゐる。ほとんどが死にゆく物語なのに悲しくはない。死の引き金を引くのが人間であるケースがまた多いが人間批判でもない。正直なだけだ。
面白いなと思つたことを二つあげる。
「はなれハナグマ」が、とある群れに一時期落ち着く。その時に、群れ一番の美ハナグマと結ばれるのだが、他の女性たちは嫉妬する。しかし、「はなれ」は所詮「はなれ」美ハナグマを置いて消える。残された美ハナグマは泣き暮らし、かつて嫉妬した女性たちはその状況の変化をよろこんだ。
そして、その後に続く文章がさりげなくいい。
『しかし動物の心はわるい感情を理由なくとどめておくことができないので‥‥‥』周りのハナグマたちは同情したり関心をよせなくなつたと言ふのだ。これを動物は脳みそが小さいからね。と、小馬鹿にしてはいけない。周りはそうして普段の生活に戻るが、美ハナグマは、ずつと「はなれハナグマ」を思ひ続けるのだ。
と、動物たちへの愛情を感じる物語が続くのだが、何故か「イタチ」だけが違ふ。これが二つ目。
日本でもイタチは悪党役が多い。
‥‥‥と、思はれる。
‥‥‥例が浮かばん。
何がそうさせるのか?この「ケツァル鳥の館(森をあえて館と言つてゐる)」の中でも、食物連鎖で肉食のジャガーやピューマ、ワニなど怖いとは語られてゐるが、悪役ではない。ハナグマとアライグマの死闘の語られ方も中立が保たれてゐる。
なのにイタチだけは、正真正銘「森の嫌はれ者」なのだ。
カクチケル族のペドロさんもさんも人間、怨みが出てしまつたのかしら?物語中、このイタチだけが家畜を襲ふのだ。でも、嫌はれてゐるのは森の住民からで、人間の罠にはまつたイタチに対して、無情な鹿やニシキヘビが「いい気味だ」と言ひにくる。囮の雌鳥にまで皮肉られる。さて、人間に殺された後『みんなよろこんだ』とまで書いてある。ありゃぁ〜。唯一チチカステ(とげのある木)だけが悲しんだとあるが‥‥‥。
このイタチのあつかいは不思議だ。『動物の心はわるい感情を理由なくとどめておくことができない‥‥‥』が、イタチに対する悪い感情には理由があるらしい。それは、蛇のタマゴや赤ちゃんを、雌鹿の乳房だけを食らうからのやうだが‥‥‥。
ぼくが森を理解するにはまだまだかかりさうだ。
で、どうでもいいことを、付け加える。いつものことだけど。
山本容子は版画家だ。なんとも生っぽい動物たちが印象的だ。
山本陽子は女優だ。
そして、山本洋子と言ふ人がゐて「軍隊をすてた国」と言ふドキュメンタリーを作つてゐる。その国とはコスタリカで、グァテマラと同じく中米の一国だ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥だ、だからなんだと言ふことではないんだが、ね、どうでもいいこと、ね。
ま、その、少し気を取り直して、ハナグマつながりで、野毛山シリーズ第二弾。アナグマ‥‥‥。アとハとちやうやん!
動きが速くて全然ピントが合はせられなかつたけど、連続写真風に撮れたのでうれしかつたのだ。
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