君も○○へ行こう ― 2006年05月03日 21時38分53秒

やはりけふぐらいは憲法について考えてみやう。
『ショート妄想』(ショートコントといふ言ひ方で)
憲法が変はつて日本は戦争を放棄しなくなつた。「永久」といふ言葉は変更が利くといふことがわかつた。
まづは緩やかな徴兵制がしかれた。
しかし、インドネシア近海の天然ガスの利権でインドネシアとオーストラリアがぶつかつたとき、チャンスとばかりにアメリカがイスラム国であるインドネシアを非難して(国連軍が出動)戦争になつた。長い間、インドネシアは反日的側面も持つてゐたが、基本的には友好的だつた。でも、日本はためらいなくアメリカ側につき、ニューギアニアで地上戦が行はれた。熱帯雨林の再生がうまくいきかけてゐたときに、砂漠を無差別爆撃したやうな作戦がとれなかつたのだ。(実情はこれにも利権が絡んでゐて、ジャングル投資家たちの賛同を得られなかつたのだ)日本軍は主に弾よけ要員として前線に送られてバタバタと死んでいつた。
緩やかな徴兵制は失敗だつた。
町には「君も戦争へ行こう」のポスターがあふれた。
それでも、志願兵はなかなか集まらなかつた。
ので「君も戦争へ行こう」キャンペーンで戦意高揚アニメ(徴兵アニメ)を作ることになつた。ほとんどのディレクターが忙しい中、あぶれてゐたぼくのところに話がきた。
食ふに困つてゐたぼくは「ぜひ!」と言つて引き受けた。ただ一言だけ今回のインドネシア戦での期待はあまり持たないで欲しいとお願ひした。物事には長期的展望が必要なのだと。緩やかな徴兵制にとどめた政府の尻拭ひはしないと偉さうに意見した。しかし、次の戦争は大丈夫ですと自信たつぷりに。
戦争をかっこ良く見せるなんて簡単なことだ。演出家でもアニメーターでも、そんなんが得意な奴はあふれるほどゐる。
全然悪くない奴を悪役に仕立て上げ、壮快にやっつける(ぶち殺す)わくわくするやうな作品群を作りまくる。かつてのぼくの作風といささか違ふが、実は得意なのだ。伊達にハリウッド映画を見捲つてゐたわけではない。
基本はいい役の悪いところを見せないで、悪役にやらせる。悪役のいいところを見せないで、いい役にやらせる。それだけでいいのだ。
ただし、クライマックスで悪役をやつつけるときは、いい役に悪いことをとことんやらせる。それでも大丈夫なのだ。すでにインプットは終はつてゐるので、やらなければいけないのだ。つまり、そこで行はれる『(本来なら)悪事』を正義だとしなければならないからだ。かくして悪役はとことんいたぶられ無惨に死んでゆく。
政府の後押しがあるのだから強い。強引な展開で需要が上がる。民間のスポンサーも次々に名乗りをあげ、一週間に200本の戦意高揚アニメが流れるやうになつた。
子供たちの心はどんどんすさんで、いい感じになつていつた。
ところが、これだけアニメーション業界が加熱していつたにも係らず、ぼくは戦意高揚アニメの先駆者だつたのにも係らず。仕事が減つてしまつた。
先駆者ぶつて偉さうにしてゐたら、どこも使つてくれなくなつてしまつたのだ。
やることがないので散歩した。ある日、子供たちが『戦争ごっこ』をやつてゐるのを見た。あまりにも本気に乱暴なので、遠くから「危ないぞ」と声をかけた。(近くでそんなことを言つたら、逆に全員でかかつてくるのだ)ぼくは距離を計つて声をかけたつもりだつたのだが、子供たちは想像以上のスピードで攻撃してきた。
ぼくは病院送りになつた。きつと死ぬんだらうと思つた。
すべては九条を変へたことが原因だと恨んだ。一体誰が憲法を変へやうとしたんだ?
と、朦朧とした脳裏に、なんか『水たまり』が浮かんだ。雨が降つたのか?これは池か?小さいからどうみても湖ぢやないよな‥‥‥。
揺らぐ『水たまり』は品のない笑顔を感じさせた。
『ショート妄想』(ショートコントといふ言ひ方で)
憲法が変はつて日本は戦争を放棄しなくなつた。「永久」といふ言葉は変更が利くといふことがわかつた。
まづは緩やかな徴兵制がしかれた。
しかし、インドネシア近海の天然ガスの利権でインドネシアとオーストラリアがぶつかつたとき、チャンスとばかりにアメリカがイスラム国であるインドネシアを非難して(国連軍が出動)戦争になつた。長い間、インドネシアは反日的側面も持つてゐたが、基本的には友好的だつた。でも、日本はためらいなくアメリカ側につき、ニューギアニアで地上戦が行はれた。熱帯雨林の再生がうまくいきかけてゐたときに、砂漠を無差別爆撃したやうな作戦がとれなかつたのだ。(実情はこれにも利権が絡んでゐて、ジャングル投資家たちの賛同を得られなかつたのだ)日本軍は主に弾よけ要員として前線に送られてバタバタと死んでいつた。
緩やかな徴兵制は失敗だつた。
町には「君も戦争へ行こう」のポスターがあふれた。
それでも、志願兵はなかなか集まらなかつた。
ので「君も戦争へ行こう」キャンペーンで戦意高揚アニメ(徴兵アニメ)を作ることになつた。ほとんどのディレクターが忙しい中、あぶれてゐたぼくのところに話がきた。
食ふに困つてゐたぼくは「ぜひ!」と言つて引き受けた。ただ一言だけ今回のインドネシア戦での期待はあまり持たないで欲しいとお願ひした。物事には長期的展望が必要なのだと。緩やかな徴兵制にとどめた政府の尻拭ひはしないと偉さうに意見した。しかし、次の戦争は大丈夫ですと自信たつぷりに。
戦争をかっこ良く見せるなんて簡単なことだ。演出家でもアニメーターでも、そんなんが得意な奴はあふれるほどゐる。
全然悪くない奴を悪役に仕立て上げ、壮快にやっつける(ぶち殺す)わくわくするやうな作品群を作りまくる。かつてのぼくの作風といささか違ふが、実は得意なのだ。伊達にハリウッド映画を見捲つてゐたわけではない。
基本はいい役の悪いところを見せないで、悪役にやらせる。悪役のいいところを見せないで、いい役にやらせる。それだけでいいのだ。
ただし、クライマックスで悪役をやつつけるときは、いい役に悪いことをとことんやらせる。それでも大丈夫なのだ。すでにインプットは終はつてゐるので、やらなければいけないのだ。つまり、そこで行はれる『(本来なら)悪事』を正義だとしなければならないからだ。かくして悪役はとことんいたぶられ無惨に死んでゆく。
政府の後押しがあるのだから強い。強引な展開で需要が上がる。民間のスポンサーも次々に名乗りをあげ、一週間に200本の戦意高揚アニメが流れるやうになつた。
子供たちの心はどんどんすさんで、いい感じになつていつた。
ところが、これだけアニメーション業界が加熱していつたにも係らず、ぼくは戦意高揚アニメの先駆者だつたのにも係らず。仕事が減つてしまつた。
先駆者ぶつて偉さうにしてゐたら、どこも使つてくれなくなつてしまつたのだ。
やることがないので散歩した。ある日、子供たちが『戦争ごっこ』をやつてゐるのを見た。あまりにも本気に乱暴なので、遠くから「危ないぞ」と声をかけた。(近くでそんなことを言つたら、逆に全員でかかつてくるのだ)ぼくは距離を計つて声をかけたつもりだつたのだが、子供たちは想像以上のスピードで攻撃してきた。
ぼくは病院送りになつた。きつと死ぬんだらうと思つた。
すべては九条を変へたことが原因だと恨んだ。一体誰が憲法を変へやうとしたんだ?
と、朦朧とした脳裏に、なんか『水たまり』が浮かんだ。雨が降つたのか?これは池か?小さいからどうみても湖ぢやないよな‥‥‥。
揺らぐ『水たまり』は品のない笑顔を感じさせた。
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