まいこんでぃず22006年05月04日 21時05分27秒

 このタイトルのときはディズニーファンの人は見ないでくだされ。

 解りやすくするためにタイトルを決めました。『まいこんでぃず』マインドコントロールディズニーの略です。ただし、マインドコントロールするのはディズニーではなくて鑑賞者本人です。この場合は若かりし頃のぼく。
 前回はタイトルが違つてます。なんだつたか?南極物語の犬の名が気に入らなくて思はず書いたネタです。で、見て文句をいふつもりだつたんですが、いつの間にか話題にもならずに終はつてゐた?ありゃりゃ‥‥‥。
 実は日本人やはりしたたかなんですかね。なんでもかんでも洗脳されるものでもない。おかげでミュージカル『ディズニー's 南極物語』が出来る可能性が減りましたかね。でもでも『ディズニー's 美女と野獣』『ディズニー's ライオンキング』などが、がんばり続ける限り(?)リメンバーまいこんでぃず(??)
(で、いきなり写分。けふは2つ続けて)
シャギードッグ
 この映画やはり、最後の最後まで、じらしてくれた。本当にひやひや、イライラせずにはいられない。(おまわりさんで、)むく犬によくぶつかるおまわりさんがおかしかった。やはり笑わずにはいられない。
 しかし、ディズニープロの映画は、一部始終笑いとおすような映画でもなんとなく喜劇といってしまうと、なんとなく、あわないようなきがする(合わないような気がする)。なにかこれらの映画はディズニーの映画という独立したものという感じがする。
 実に家庭向きという感じがした。このシャギードッグ。
(引き続き2つめ)
ベッドかざりとほうき
 ここでひとついうことができた。いままで、子供向きとかなんとかいろいろかいてきたものがあるが、(現注:ひらがな多すぎ)子供向きというものでも大人がみるものだ。という感じがしてきた。というと子供は見ちゃいけないような気がするがそうではない。子供向きということは子供がみてもおもしろいので、実は大人向きなのだとそんな感じがしてきた。ここいらは見会(見解)の相異(相違)だろう。あまり書いているとわからなくなる。
 ということでこの映画は、また楽しい映画であった。まさに楽しさいっぱい夢いっぱいという感じ。実にきれいにできていて感動もする。いい映画であった。ここで夢ということを考えよう。実はこの映画の前に「ウォルトディズニーワールド」という短い記録映画をやった。ただの記録映画というよりニュースみたいなものである。しかし、感動に涙してしまった。そこにはウォルトディズニーという1人の人間の夢があり。そしてその夢に賛成し働いた人間の情熱があったからだ。だからウォルトディズニーなき今も、こんなに夢にあふれた映画ができる。彼の夢は滅びることはないだろう。
(ふう。終はり)

 といふことである。(「という」といふ口癖は生まれついてのものなのか!?全然変はつてない。涙してしまう)
 と、ここで自己分析をしなければならないのだが、いささかくたびれてしまつた。これは何を隠さう高校の頃である。高校生にもなつてディズニー映画を見る自分を必死に肯定せやうとしてゐたのかも知れない。(そもそも何故ディズニーを見たがつたかは謎だが)
 ぼくは小学生の頃、ディズニーの伝記を読んだことがある。極貧の中でネズミが友達だつたといふ(まただ)あれだ。(かなり偏狭な記憶かも知れないが)それがミッキーマウスになつたと書いてあつた筈だ。そんなこと嘘でも本当でもいいが、彼が『アカ狩り』で、大活躍!?したことを知つたのは随分と後のことだ。高校の頃はまだ知らなかつた。
 アカ狩りで活躍したからといつて(もちろん。そこで、さもありなんと思つたが)彼には彼の考へがあつたらうし、時代の流れに飲まれただけとも考へられる。行為と作品群とを同一視するのも短絡的だ。
 でも、ぼくがディズニー作品を肯定的に見やうと努力してゐたことは事実だし、その後『転向」したことも事実だ。さらに本当に面白い作品があることも事実。ちなみに文脈から「シャギードッグ」はさほど気に入つてもなささうだ。「ベッドかざりとほうき」はそこそこ気に入つたと思はれる。洗脳がすすんだのか?問題は「ウォルトディズニーワールド」だ。よくは覚えてゐないのだが、おそらく今風にいふならば『遊園地の案内(紹介)ビデオ」のやうなものだと思ふ。東京ディズニーランドの宣伝映画だと思へば間違ひないだらう。少年がいかに純な心を持つてゐて、感化され易かつたかを想像すると悲しい。