音に触れる2006年05月10日 23時39分16秒

 風邪つぴきにも関はらず、生意気に仕事ため気味にも関はらず、レイトショー見てくる。明後日までなので、やばさうだつたのだ。ここで見逃すと、永遠に見ない可能性があるからだ。DVD化はされるだらうが、なにしろ見た映画でさえタイトルを忘れるぐらいなので、見なかつたら本気でやばい。出たとしても群れなすDVDのむれの中から探すのは至難の技だし、そもそも見たかつたことを忘れる可能性があるのだ。それは映画の良し悪しと関係なくさうなのだから仕方がない。
 で、吉祥寺バウスシアター2「touch the sound」
 ワンカット目から、吸ひ込まれたぜ。
 もちろん普通の映画とは違ふ。当たり前だけどライブとも違ふ。(バウスでは「爆音上映」なるものをやつてゐて、ライブのスピーカーセッティングで音楽映画を見るといふ試みをしてる。今は1の方で「ラストデイズ」といふの爆音上映してゐて「touch」はノーマル上映だ。ノーマルでいい)でもつて音楽映画とも違ふ「ゆだねるひととき」を過ごす事が出来た。
 振り返り、思ひ起こし、ふと考え、過去と未来を紡ぐ。
 雑念と雑踏と雑音の日々を送り続けてきたこととノスタルジーの混合。
 これはエブリン グレニーといふ聴覚障害を持つたパーカッショニストを追つたフイルムだ。
 ぼくが見てゐるもの聴いてゐるもの‥‥‥いや、なんと言はう。実は表層(上辺)を、なぞるやうに生きてゐるだけで、本質(本物)にまだ触れてゐないのではないかと感じさせてくれた。やはり文字にすると違ふ。むづかしい。反省したわけではないのだ。そんな、押し付けがましい映画ではない。
 やはり言葉を連ねても仕方がない。とにかく「ゆだねるひととき」を過ごしたのだ。
 じっと見てゐるのがしんどい映画でもある。あるときは身体を揺すり、あるときはふわ〜りと身体がたゆたつてしまう映画なんだ。

 写真は懐かしの「ヒートウェイブの蔵王」だ。
 思ひ出したな〜。