まぼろしねまず52006年05月21日 20時10分18秒

 若かりし頃、見て残した記録の中から、ぼく自身内容も覚えてゐないし、おそらく世間からも忘れ去られてゐるであらう映画を拾ひ上げ、当時の文章を再考して、もう一度見たいかどうかを判断するといふシリーズ!?
 今回はごく一部ではあるが鮮明に覚えてゐる画面があるし、記録を読み直すまでもなく見直したい映画であるので、いささか、趣旨と違ふが、ぜひ紹介したい。

(書写始め)
猫に裁かれる人々
 チェコは、どうしてこんなに特異な作品を作るのだろう。そして、どうしてこんなに夢のある作品を作るのだろう。村のいちばん高い所でいつもみんなを見ている老人の話。不思議な猫。そして、彼自身まだ見たことはなかった。その実在も、はっきり信じてはいなかったぐらいだ。しかしそれをはっきりとみる(見る)ことになる。その猫に見られると、愛するものは赤く、うそつきは黄色く、そしていちばん悪い−−−泥棒だかなんだかわすれた(忘れた)−−−は青く、あるいは紫に変わってしまう。さて、こんな猫にいられたんじゃと村の腹黒い金持ち、実権者は、おおあわて、村は混乱。でも‥‥‥となるのである。猫の持ち主のもとへ、村の愛する男いき(男粋?)、村にはまた平穏が戻った。子供は正直に大人になるとしよう。大人になってからでは大変だから。人が、腕をふりながら、ぐるぐるとまわると色が変わる光景は、なんともいえず、おもしろい。
(書写終はり)

 さて、分析に入る。おそらく見てすぐに書いたと思われるが「忘れた」とは、いい感じだ。昔も今もおんなじだ。文章の脈絡なさといい、もはや過去を批判することは今の自分を批判することだと、思ひ知る。
 チェコ映画の特異性に心うたれてゐるが、おそらくこのときの頭の中には『カレルゼーマン』しかゐないと思ふ。実写と絵画を融合させた独特の映像が、印象深かつたのだ。この『猫に裁かれる人々』は基本的には実写の映画だが、文中の色変はりのシーンが、当時は新鮮だつた。最近では『マルホランドドライブ』のオープニングシーンが、同様の効果を狙つてゐたと思ふ。
 文脈で行くと老人の物語かと思つてしまうが、もちろん違ふ。文章を読んだ始めは、老人のワンエピソードが面白かつたといひたかつたのかと思つたが、もしかしたら、この映画自体が老人の語りで構成されてゐるのではないかとも考えられる。(そのへんのことは全然覚えてゐない)
 覚えてゐるのは、色変はりのシーンだ。その映像だけが脳裏に残つてゐる。それだけで、この映画の存在を忘れない。素晴らしいことだ。
 とはいひつつカラー作品だつた自信がない!でも、色変はりが判らなければ、物語が成立しないので、やはりカラー作品だつたのだろう。
 説明するまでもないが、愛するものはといふのは愛する心を持つてゐるものはといふことだろう。
 なかなかにむつかしいのは『村の愛する男いき、村にはまた平和が戻った』である。まあ、これが明確に判るとネタバレといふことになるが、1963年の映画、ネタバレしていいだらう。
 allcinema ONLINEの助けを借りる。始め見つからなかつたが『猫に裁かれる人たち』といふタイトルで見つかつた。
 猫の持ち主はサーカス団の少女といふことだろうか?(新聞には手品師と書いてあるな。老人との関係は?う〜ん)だけど、純真な青年も出てくるやうだし、村の青年と仲良しになつて、村の愛する男いき?
 映画の感想も不思議さを醸し出してゐるといふことで‥‥‥‥。