007−1人のボンド2008年03月28日 20時59分38秒

 3月9日、WOWWOWで6人のボンドと題して、それぞれの役者の作品を1本づつ選んで、朝から晩まで放送してゐた。
 特に007シリーズファンといふわけでもないけれど、40年続いてゐるシリーズだし、役者の変化も楽しからう。朝からひたすらやり続けるといふのも面白いなと思ひ、録画した。
 いや、こんな時、ハードディスクレコーダーとは便利なものだな。昔だつたら、ビデオデッキを数台用意して、しかもテープの入れ替へなどをしなければならなかつたらう。当然、お出かけなんかすることも出来ず、だつたら、そのまま見ればいいぢやんてな事になつてゐただらう。
 丸一日でも録画し続けられる機械があるなんて、大変なことだな、なんて思ふけれど、家族みんなで使ふ物だから、常に、なにがしかの番組がディスク内に存在してゐる。そこに10時間以上も映画が追加されると、これはこれで大変だ。
 といふことで、夜に録画を続けながら、朝の分を見た。
 録画しながら録画した物を見られるといふのも便利な物だ。

 順番通り、見ることにして、初代はショーンコネリー。作品はシリーズ第2作目の「ロシアより愛をこめて」だつた。1963年の作品で、初公開時は「危機一髪」といふタイトルだつた。だけど、原題は「From Russia With Love」だし、同タイトルの主題歌は日本でも「ロシアより愛をこめて」といふタイトルで大ヒットした。なので、リバイバル時にはこちらのタイトルで公開された。同じやうに第1作目も初公開の時は「007は殺しの番号」といふ邦題だつたが、リバイバル時は「ドクターノオ(Dr.NO)」だつた。
 彼は、1962〜3年にはまだ映画に芽生えてをらず。見たのはリバイバルで、しかも名画座(順番でいふと三番館になる?当時は、ロードショーが一番、二本立て興行が「封切り」といふ名で二番目、そして、安い名画座へと落ちて来る慣しだつた)だつた。高田馬場パール座といふ、今はライブハウスになつてゐるところで、まさしく「ドクターノオ」「ロシアより愛をこめて」の2本を見た。
 その頃、もうボンドは3代目のロジャームーアになつてゐた。1974年のことだ。

 つまり初代ショーンコネリーはもうすでに過去のボンドになつてゐたわけだが、ボンド=コネリーの印象度は強く、見た事が無くてもあの顔が浮かんでしまつたものだ。世界中でそうだつたらしく!?!?さらに10年近くたつてから、コネリーボンドの作品が作られたぐらいだ、ただし、この「ネバーセイネバーアゲイン」といふ007映画は、製作がアメリカで、第4作目のリメイク(初めて知つた……)といふことで、いはゆる007シリーズの系図には入つてゐない。もう1本番外といふか部外な作品もあるが、本家初代のボンドが出てゐる分家とは面白いなとさらに25年たつた今思ふ。

 そのコネリーボンド、おそらく世界中の人がスパイらしいスパイ、クールで頭脳明晰、ドジをせず隙がなく完璧な奴と思ひ込んでゐるはずだが、違つてゐた。
 ドジでへまでいきあたりばつたりで、相当無責任な奴だつた。
 運の良さは抜群で、結構誰かに助けられたりしてる。
 かのやうに記憶と思ひ込みとの関係にはよく驚かされる。
 だから、かういつた古い作品を見ると、逆に新鮮だつたりして面白い。まあ、もちろん出来がいいから楽しめるのだらうけど、007に限らず、この60年代あたりの作品をもつと見てみたいなと思ふ。
 それから、子供の頃、ボンドガールで美人に見える奴はなかなかゐなかつた。何故そんなに話題になるのだと不思議にすら思つてゐたのだけど、今はまあ、そこそこ見られるなと思ふ。
 これは記憶と関係なく尺度の問題か……。