阿修羅120分 ― 2009年06月03日 21時19分24秒

ごらんの通りいきなりの2時間待ちだ。
私は自慢ではないが、並ぶのは嫌ひだ。
まあ、我が家族と言つてもいい。
町へ出て、お昼ご飯でも食べやうかといふときに、どんなに「おいしい」といはれてゐる店でも、並んで食べやうとは思はない。
まづ間違ひなく全員一致で否決される。
ダイアモンドをただでもらえるからといつて、並ぶことなど想像も出来ない。
しかし、今回120といふ数字を見たのにも関はらず並んでしまつた。
ちなみに家族ではなく一人で行きました。
券が一枚しかなかつたのだ。(もらい物です)
さう。もらい物だからといふことがあつたかも知れない。
が、なんともいへん。
今回に限り「流された」感がないでもない。
上野駅から、国立博物館平成館へ向かう途中先に巡り会ふのが、西洋美術館の「ルーブル美術展」
ここは80分待ち!
ぐへっ……。ルーブルは80分だよ!とか驚きつつ、阿修羅も大変なんだらうなと、まだ他人事に感じてゐた。
まさか、120分とはね。
悩みはしたのだ。一応。
普通は帰るもんね〜。
でも、人々は普通に、なんのためらいもなく120分にさほど驚きもせずどんどん並んでゆくのだつた。
お年寄りも多い。
2時間平気なの?
なんて誰一人考えてゐる様には思へない。
なんて、ふらふらしてゐたら、いつの間にか列の中にゐた。
おお……。恐るべし阿修羅の気!?
これは、もう苦行なのだ。修行なのだ。と、自分に言ひ聞かせ、最近購入した iPod で音楽を聴きながら、牛歩戦術に参加する。
列があまりにも長いからなのか?
ゆつく〜りと少しづつあまり留まることなく進むのだつた。
しかし、考える時間はたつぷりとあつた。
思ひ出すのは「キングコング」南の島で恐竜と険しい闘ひはしてゐたものの平和(!?)に暮らしてゐた巨大猿を、お金儲けとそれからほんの少しだけだけど、珍しいものを人々に見せたいといふ純な心で、都会へ無理やり運んできて悲劇を迎へるといふとてつもなく切ない話しだ。
それと、阿修羅展がどう重なつて感じたのかは、言はぬが仏。
普段ならば無い列に入ると、罠にはまつた自分をひしひしと感じる。
もちろん後ろにも絶えることなく増え続ける群衆。
さうして、おおよそ110分。予定よりも10分ほどはやく館内へ入ることが出来た。
でも、もちろん。そりゃあ、そんな列が出来てゐるぐらいだから、中は戦場よ。
2時間静かに行軍をして疲れ切つたところで戦ひの火ぶたは切つて落とされるのだ。
案の定、いきなりドタン!バタン!と人の倒れる音が聞こえる。
外と違ふ環境に入り込むと確かにめまいを感じるのだ。
空気も明るさも違ふ。整然と牛歩戦術を進めてゐるのとは訳が違ふ。
一体、阿修羅の背中に何があるのか!?
普段そんなに阿修羅の背後を気にしてゐたのか?
もしかして阿修羅は「オレの背中に立つんぢやねえ」と言ひたかつたのかも知れないぢやないか……?
まさしく天罰は下り、第2章展示場(今回のメインと言つていい)に入ると、地獄の渦が巻いてゐた。
阿修羅像の周りに右巻き修羅場が発生してゐた。
「左手の方に!左手の方に回ってください!」
と、係のお兄さんお姉さんが必死に叫んでゐた。
これを予期してゐたら、阿修羅像の台を回転させやうと思つたに違ひない。
人々は2時間耐えたのだから、オレもアタシも参加するぜ!
と、気炎を発し情念の渦に加はつた。
通勤ラッシュに慣れてゐるひとはこのぐらいなんでもないのかも知れない。
揉まれる踏まれる叩かれる。
刺されないだけましだつたかも知れない。
もちろん地獄の渦に参加することを諦めた人々も大勢ゐた。
彼らは地獄を客観的に見たはずだ。
参加をして地獄を感じないものも大勢あつたらう。
「イケメンぢやん」などといふ言葉も聞こえた。
そこまでいけばこのぐらいの地獄は確かに甘い。
バイタリティがなければ地獄を生きることも……いや、地獄にゐるといふことは死んでゐるといふことか?
まあ、いい。
第3章展示場へゆくと、仁王に踏まれた鬼たちを見ることになる。そこに自分を見るか否かはわからない。
今回は、あれこれ立像がよい。
奈良時代の八部衆も十大弟子も、鎌倉時代(第3章)の四天王や菩薩たちも見応へがある。
阿修羅像に関して一言だけいふとすれば、腕の付け根が魅力的だつた。片側3本づつの腕はかうして存在してゐるのだと新鮮だつた。
脇フェチの人は是非とも見るべきだ。
さて、疲れ切つて出てきてもまだ長蛇の列は続いてゐた。
少し短縮したか。
ちなみにルーブルは80のままであつた。
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