ベトナムリポート1日目 ― 2011年01月19日 10時05分47秒
蓮のマークのベトナム航空は、色合ひが独特。
離陸スムーズ。耳抜きが苦手なので心配したが、平気だつた。
たまたま座席のモニターが機能せず、映画が見られないが、放つておく。
斜め前の乗客は「アバター」を見てた。
それよりも、あいさつぐらいベトナム語でしたいと考えて、iPod で聞き続ける。
しかし、耳慣れないので、なかなか入つてこない。これは、単に己の能力の問題だとも思ふが……。
もつと真面目にベトナム戦争の映画を見るべきだつた。
ベトナムは第一次インドシナ戦争から考えれば、私が生まれる前から戦争してた国だ。
ベトナムの紀元をどこにみるかとか、そんなことをこの無学な人間が語つても危険なので、無駄な試みはさけるが、ベトナムといふ名は、越の南(えつなん?)から来てるといふことが何故か心を惹きつける。越はもちろん中国。
ベトナム語で「ありがとう」は、「カムオン」(聞こえ方ではカンムーンぐらいに聞こえる)
ベトナム語の文字は基本はアルファベットだが、多分発音に合はせた複合文字(?)が加わる。
「カムオン」は「Cam on(注:aとo が、特別な文字)」真つ先に思ふのは「Come on」と同じ?
と、いふことだが、漢字で書くと「感恩」なんださうだ。
これで、言葉に親しみがわく。
「ございます」をつける場合は「Xin(スィン、ほとんどシン)」を頭につける。
飛行機は、わずかではあるが遅れて到着。
平穏だつた耳は着陸では抵抗をしめし、左耳がぴききと抜けそうで抜けない状態になる。
空港では、スタッフが待つてゐるのだが、荷物がなかなか出てこない。
これはやばいなと思ひ、電話連絡を取らうとして、娘のD705i を起動させると、おお凄い!勝手に時差調整が行はれた。
ほうさすがやなと、思つたが、肝心の電話はつながらない。
何故?
出発前にDocomoで大丈夫すか?と確認したのに(これはのちに手動も試みたが、結局ダメだつた。理由不明)
でもまあ。仕方ない。
で、出て行くと一番遅い感じ。(正確にはラス前だつたけど)
スタッフはもちろん急いでゐる様子。手早く五千円だけ両替して移動バスへ向かう。
バスの前でマッドハウスの丸山さんと挨拶。他にも監督2名ゐるが顔がわからずとにかく急いで車に乗り込み出発。
もちろん文化庁の人やらいろいろゐた訳だがとにかく大急ぎ。開幕式前にレセプションもあるし、間に合はなかつたら大変。
離陸スムーズ。耳抜きが苦手なので心配したが、平気だつた。
たまたま座席のモニターが機能せず、映画が見られないが、放つておく。
斜め前の乗客は「アバター」を見てた。
それよりも、あいさつぐらいベトナム語でしたいと考えて、iPod で聞き続ける。
しかし、耳慣れないので、なかなか入つてこない。これは、単に己の能力の問題だとも思ふが……。
もつと真面目にベトナム戦争の映画を見るべきだつた。
ベトナムは第一次インドシナ戦争から考えれば、私が生まれる前から戦争してた国だ。
ベトナムの紀元をどこにみるかとか、そんなことをこの無学な人間が語つても危険なので、無駄な試みはさけるが、ベトナムといふ名は、越の南(えつなん?)から来てるといふことが何故か心を惹きつける。越はもちろん中国。
ベトナム語で「ありがとう」は、「カムオン」(聞こえ方ではカンムーンぐらいに聞こえる)
ベトナム語の文字は基本はアルファベットだが、多分発音に合はせた複合文字(?)が加わる。
「カムオン」は「Cam on(注:aとo が、特別な文字)」真つ先に思ふのは「Come on」と同じ?
と、いふことだが、漢字で書くと「感恩」なんださうだ。
これで、言葉に親しみがわく。
「ございます」をつける場合は「Xin(スィン、ほとんどシン)」を頭につける。
飛行機は、わずかではあるが遅れて到着。
平穏だつた耳は着陸では抵抗をしめし、左耳がぴききと抜けそうで抜けない状態になる。
空港では、スタッフが待つてゐるのだが、荷物がなかなか出てこない。
これはやばいなと思ひ、電話連絡を取らうとして、娘のD705i を起動させると、おお凄い!勝手に時差調整が行はれた。
ほうさすがやなと、思つたが、肝心の電話はつながらない。
何故?
出発前にDocomoで大丈夫すか?と確認したのに(これはのちに手動も試みたが、結局ダメだつた。理由不明)
でもまあ。仕方ない。
で、出て行くと一番遅い感じ。(正確にはラス前だつたけど)
スタッフはもちろん急いでゐる様子。手早く五千円だけ両替して移動バスへ向かう。
バスの前でマッドハウスの丸山さんと挨拶。他にも監督2名ゐるが顔がわからずとにかく急いで車に乗り込み出発。
もちろん文化庁の人やらいろいろゐた訳だがとにかく大急ぎ。開幕式前にレセプションもあるし、間に合はなかつたら大変。

で。
パンク。
バスパンク。
バス大パンク。
どひゃ〜〜とスタッフ。
そして、並走してゐた少し小型のバスに全員乗り込み再び走る。
二台で来てよかったぁ〜〜とスタッフ。
で。街中に入ると。
渋滞。

まあ夕方だし、当然といへば当然か。
ベトナムの渋滞は、雑然としてゐる。
信号が少ないからか……車線がないからか!?
大体方向はあつてゐるが、ランダムに敷き詰めた感じ。
まづ目につくのはバイクの多さだが、渋滞時は歩道も通行可(!????)なぐらいに普通に走行してる。
凄く「自由」を感じる。
ちなみにベトナムは、社会主義共和国。ベトナム共産党の言葉としては独裁政治になる。
でも目の当たりに見える光景は『自由』
一党独裁でも、かの国のやうに独裁者がゐる訳ではないからか……。
クラクションはバンバン鳴り続けてゐる。
でも、険悪なムードがない。
誰も気にしてない。
しばらくする(都合三日間の)うちに、この乱雑な、でも何か暗黙の譲り合ひによつて成立してゐる光景に畏敬の念が生じてくる。
会場の映画館を右手に見つつ無事ホテルに到着。
ホテルと映画館は歩いて10分もかからない距離だとは思ふが、道路の対岸なためかなりの危険(!)を伴ふので(?)その後も車で移動する。
で、レセプションとは、何かなと思つてゐたら。
何かしなくてはいけないのだらうか?
と、おどおどしてゐたが。
なんとなくの集まりだつた。
日本語のうまい(立教大学で覚えた。つまり留学してゐた)女性と少し話す。
失礼ではあるが、年格好から気になつたので、ベトナム戦争の時はどうしてたのですか?
と聞くと、北朝鮮にゐた。「疎開」してたのと恥づかしさうに答えてくれた。
まだ一日目のレポートが残つてゐるが、今回はこの辺で。

(黄色いのは交通の公安。「警察?」こちらでは「公安」との説明)
最近のコメント