ベトナムリポート1日目〜2日目2011年01月21日 11時24分01秒

 そうそう。ホテルに着いてチェックインの最中。禁煙部屋でたばこを吸はないサインなど求められながら、片渕監督と思はれる人物を認識。確認してあいさつをする。ま、同業なので、身なりでだいたいの判断はつくといふか、文化庁の方たちなどはスーツだし、あきらかです。で、もうひとり怪しい人物がゐて、しかしここは慎重に。
 開幕式の席順であからさまにあきらかになつたので、オープニング作品の監督、原さんにあいさつする。
 オープニング会場は広い劇場で、ほぼ満員。凄いです。
 原さんのあいさつは、訥々としてゐるが心情がストレートに伝はつてくる見事なものだつた。と……明日は自分もあいさつせねばならんのだと焦る。もちろん何も考えてない……。ベトナム語の「こんにちは」以外は……。
 上映後の質疑応答もマシンガンのやうに飛んで来る質問に、きっちり答えてました。凄い。

 と、それよりも「カラフル」の舞台が非常に馴染みのある場所だったので、不思議な感覚に捕らわれる。
 どちらかといふと幼い頃に慣れ親しんだところなのでなおさら。
 異国の劇場で身近な光景を目の当たりにする。
 ここはどこ?
 そんな個人的な感触は関係なくベトナムの観客たちは超集中のめり込んでゐました。(後の質問攻めでよくわかつた)

 さて、空港到着から怒濤のやうなスケジュールで、遅い夕食。(後で聞いたところによると時間が遅いので、軽い食事にしてくれたさうだ)主たるものは生春巻き。
 そこで、出た何気ない会話。(個人情報として誰の話であるかは伏せる)
 「薬で悪夢を見させて煙草をやめる」禁煙法。絶煙法と言つた方が正しいのかも知れないが、夜には恐ろしい方法があるものだ。
 悪夢と断煙の相関関係はよくわからないが、話を聞いてゐると「ラスベガスをぶっ飛ばせ」を思ひ出す。麻薬でトリップしてゐるときの感覚をそのまま映像化したらしい映画だ。と、記憶する。
 そのせいなのか?
 疲れで寝入りはよかつたのだが、数時間で目が覚め、その後は悪夢の連続。(内容は不明?)
 まともに眠れずに2日目に突入した。


 でも、朝のフォーはうまかつた。
 もうずいぶん前にインドネシアに行つたときにも感じたが「適温」とはこのことなんだらう。


 午前中はハノイ市内見学に出かける。
 ベトナムではおきまりのコースらしい。ホーチミン廟。
 中に入ると大変、粗相があると銃を向けられてしまうといふことで外回りにする(?)
 それでも晩年に済んだ家であるとか、見所満載。世界各国からの観光客も驚くほど多い。
 元々の植民地の兼ねあひなのかフランス人が多いやうな気がする。(勝手な想像)
 昨日空港からガイドについてくれてゐたホーさんに聞くと、連日さうらしい。
 見学できるのが午前中だけのやうで、集中するのかも知れないが、それにしても人気のスポット。
 ベトナム=ホーチミンが、歌になつてるとも言つてゐた。
 もつと他にもいろいろあるよといひたいのだらう。


 昼食。ココナツご飯美味!


 で、午後の上映。
 あいさつ考えてない……。うう。
 でも、先に片渕さんだから猶予あり。
 と、思つてゐたが、片渕さんあいさつうますぎ。
 つ〜か、なんて話し上手なんだらうといふか、通訳してもらいながらの間合ひがシロウトぢやない。
 これはいよいよ何言ふか考えんと……。と、思ふが「マイマイ新子と千年の魔法」の上映がはじまりそちらに集中してしまう。
 それでも、時々我に返り(?)考えるがまとまらず、手のひらにメモしたりするが……。
 「マイマイ……」も恐ろしいぐらいに郷愁をわき上がらせるので、困るのだ。
 しかし、これはベトナム人たちも同様のやうで、幼い頃の記憶の底といふものには国境がないといふことなんだらうか。


 はあ、そして、Xin Chao(シンチャオ。a は特殊文字)こんにちは。
 と、必死に覚へたベトナム語を口にする。
 「ハッチ」は、どこをどうみても日本製なのだが、日本のアニメーションを騙つて紹介するには舞台があまりにも不可解なので、その辺の説明(言ひ訳?)をする。といふかそれに終始してしまう。やれやれ……。
 後で、オブザーバーとして連れて来た娘に「まとまりがなかったね」と言はれる。

 さて、上映始まる。
 今回の上映はすべてベトナム語字幕である。日本のスタッフが作成。本編の映写に字幕ロールを別に映写して重ねるといふ技法だ。
 光に光を重ねるとは凄いなと思ふ。もうすでに何度もやつてゐるらしい。(凄いなと思ふ)
 ま、それはそれとして、字幕に関する打ち合はせをしてゐないので、気になることがあり、確認したかつた。
 さほど気にしないとは思ひつつ、やはり、違つてた。ベトナム語は読めないけど、セリフとして認識して欲しくないところにも字幕があつたので、気を利かせてわかりにくい音声を解読してくれたのだろう。
 でも、仕方ない。ベトナムの地で上映されることに意義があると思ふ。
 それよりも楽しかったのは、上映中見事に音声が途絶えたことだ!
 回復したから楽しいなんて言へるが、そのときは焦りました。これは字幕がどうかういふことではないものね。
 でも、無音で楽しめるかどうかは映画の本質に迫る重大なことだとも言へる。
 正直、音が無くてもなんとか見られるところだつたので助かつた。

 ところで、エンディングが始まると席をたつてどんどん帰るといふのが、ベトナム人の映画鑑賞の仕方らしい。
 日本でも、わりと最近までさうだつたと思ふ。入れ替へ制が主流になつてから変はつてきたのかなと思う。
 あるいは、エンディング後にも映画的罠が仕掛けてあつたりとかあるので、立つ人は減つてきた。
 でも、ベトナムではまだ席を立つのが主流。
 今回は、上映後に質疑応答もあるので、片渕さんは、「エンディングにも技があるので見てね」とケアしてゐたが、ぼくは忘れる。
 「ハッチ」こそ、エンディングラストにワンシーンあるのだが、いろいろ訳があつて(?)言はなかつた。
 なんか満足していただければそれでいいといふ思ひもあるのだ。
 だけど、バタバタバタと去られると、ほんのり寂しくはある。
 一応質疑応答あるし……誰もゐなくなつたら、それはそれで、まづいんでないかいとかも思ふ。
 そんな、そこはかとない寂しさの中、立ち去る途中でぼくの目の前に来て、親指をぎゅん!と上げてくれた女の子(多分ハイティーンね)がゐた。一瞬逆光で見えにくかつたが、下げたのではなくちゃんと上がつてました!
 笑顔と意味不明な連続頷きで返事する。(うれしいといふことです)

 それで、満足してしまつたが、最後まで残つてくれた人もゐました。
 ので、やはり気になつたので、逆質問といふか、ハッチとアミィの言葉が通じなくなつてゆくのが判りましたか?
 と聞くと、どうやら判つてくれた様子。よかつたよかつた。

 ひたすら感じることは、みんな一生懸命見てくれてゐるといふこと。
 何一つ見逃すまいといふ意識を感じます。それは、映画の技を見抜いてやるとかさういつたことではなく、映写されてゐるもに素朴に集中してゐるといふ感じ。
 だから、終はつた!と思つたら帰つていいんです。「やつと終はつたよ……」では困りますが……。

 2日目、まだありますが、今回はこの辺で。