ベトナムリポート2日目〜3日目2011年01月23日 18時04分15秒

 そろそろ焦つてきた。印象的だつたからと言つて永遠に記憶されるものではない。
 ぼくの場合、例えば映画で、とにかく面白かつたことは確かだが、内容を一切覚えてゐないなどといふことは当たり前のことなのだ。(自慢にならんが……)
 といふことで、リポートを急がんといかんてな気分に追はれてゐる。
 ま、それはそれとして。

 とにかく最後まで残つてゐてくれた人がゐたので、うれしくて Xin cam on (aとoは特殊文字)を連発する。
 後で、言ひ過ぎなんぢやないの?と娘に言はれた。


 そして、その夜は、在ベトナム日本国大使館、相星公使主催の夕食会だつた。
 そんな偉い人とでは食事がのどを通らないのではないかと思つたが、もちろん食べられた。フランス風ベトナム仕立てなものだつたらしいが、概してベトナムの食事はおいしい。パクチーが苦手でもおいしい。
 相星公使は話し上手。食ふ聞く食ふ聞くで、あつといふ間に時間がたつ。


 3日目は、日越アニメーション関係者交流会。
 いきなり交流と言つてもむつかしいので、こちらへ来てからずつと司会を務めてゐる文化庁の佐伯調査官のアイデアで、ベトナムのディレクター、プロデューサーの質問に答えるといふ形で進めることにする。
 佐伯さんといふ方は、大変リラックスした方で、この交流会もそんな雰囲気にしたかつたらしいのだが、なにしろ会場といふか会議室が、共産主義的に厳粛な場所で、スローガンも掲げられ日本人からするとかなりお堅い感じの場所だつた。
 でも、まあ、国の人にとつては普通のことであるのかもしれないなとも思ふ。ベトナムへ来て感じた自由さはこのやうな場所でも変はらずに機能するのだらう。
 と、軽い気分で望むが、まあ、先に結果からいふと、ハッチの監督はぼろぼろでありました。
 会議のあとオブザーバーの娘から、本当に話がへただねと言はれる。
 質問はごくごく一般的なものであつたから、一般的に答えてもよかつたのだが、ここはやはり上映した自分の作品の状況を説明せやうと思ひ語り始めたところ収集が付かなくなつてしまつたのだ。しかも、五十音順で、一番最初の発言者だつたために、試合開始から蛇球の連続といふ感じで、さすがにこれはまづいと思ひそそくさと言ひ訳をして、次の片渕さんに渡してしまつた。
 いや〜、ハッチの事を話し始めると、いひたい事が多すぎてだめなのだ。おそらく、過去に監督として参加した作品の中で一番難産だつたのではなからうか?正直な話、大ヒットしたら「バトルオブハッチ」といふ本でも書かうと思つたぐらいの……。
 まあ、幸い……。現在に至るが。
 てな感じに訳がわからないことになるのであつた。
 大変うれしいのだけど、一体何故「ハッチ」を選んでくれたのが、選考の代表者として出席してゐた岡本教授に投げかけたぐらいです。でも、さうしたら「何故ハッチの監督をアミノさんがやつたの?」と逆質問されてしまつた。これも答えはじめると二重にも三重にも説明が重なり、何も説明がなされぬまま昼食会へ雪崩れ込む。

 昼食会では、先ほどの出席者が、バラバラの席順でそれぞれそばに通訳さんをつけてもらい、雑談をするといふ言ひ感じの展開(リラックス?)だつた。
 席順は、誰が決めてくれたのだらう?JAPICの池田さんか、相原さんか、ずつと通訳をしてくれてゐた秋葉さんだらうか?
 思ひも寄らぬ話が出来た。
 ぼくの前は、ホーチミン市から来てゐる本人がいふにはビジュアルエフェクトのスーパーバイザーのグエンさんだつた。(ホーチミン市からはもうひとり3Dアニメーターが来てゐた。飛行機でハノイまで2時間。ホーチミンに住む人からはハノイは危険な町だと思われてゐる。地方から東京へ出ると身ぐるみはがされて薬打たれて捨てられるぞと言はれるのと一緒??)
 彼は幼い頃亜米利加に渡り国籍はそちらだといふ。ベトナム語よりも英語の得意なといふかそれがネイティブになつてゐる人だ。
 その横の席だつた岡本さんは英語も堪能で、半分通訳もしてもらい、いろいろと話せた。
 で、ハッチを見て、ベトナムにそつくりな童話があると驚いたといふ。しかも、彼はその原作権をすでに買つてゐて、映画にすることが夢だといふ。交流会でも「ディレクターになるためのアドバイスをくれ」と、他の方たちとは少し違ふ問ひをぶつけて来た人だ。
 1940年代に書かれたらしいその童話。
 クリケットと言つてゐた「バッタ」だと思つてずつと聞いてゐたが、cricket は「コオロギ」だわよ。いまさら。
 ま、それはそれとして、あるところにコオロギ3兄弟がゐた。母コオロギが、大人になるために「お前ら旅に出ろ!」と突き放したにも係はらず、兄ちゃん二人は家に居残り、末っ子コオロギだけが、勇気を持ち旅に出た。
 そして、数々の冒険を重ね、途中仲間を増やし、でかくて群れなしてくる凶暴な(イナゴかな〜と、想像しつつ聞いた。稲を食い尽くすし、敵としては最適!?)をやつつけるといふおはなしだ。まあ、多分、きっと、そんな感じだと思ふ。
 自分は、技術はあるけれど、良いストーリーを作る道。良いディレクションをする方法がわからないといふことだ。それで、交流会での質問となつた。
 それに対してはやはりいいアドバイスは出来なかつた。それは自分も抱えてゐる問題だからだ。
 だから、結局「やれば出来る」といふ根拠のない闘志でやるしかないと、日本風(今は違ふか……)に答えた。
 10のエピソードでつづりたいといふので、1エピソードはぼくにやらせてと予約してきた(?)
 しかし、まだその童話は見つけられないでゐる。



 さて、午後は、少々市内ツアーを。
 買ひ物などせんとするが、これがくせもの。
 なにしろ5,000円両替したと書いたと思ふが、それが、1,217,200ドン。どんっ!てね。


 百二十一万七千二百!?
 桁が違ひ過ぎ!
 もう訳がわからない。
 まあ、現実的には極めて物価が安いので、大盤振る舞ひすればいいのだが、その五千円分がなかなか減らない。
 しかも、強烈な罠があつて、帰りの空港で円に両替できないといふ!(ちなみにパッと調べた限り日本の銀行でドンを換金してくれるところもない)
 もつともつと日越の交流は必要なんだらうと思ふ。

 でも、アニメーションといふか、声優ファンはすでに国境を縦横無尽に越えてゐた。
 それは2日目のことか、佐伯さんと映画館のロビーを歩いてゐると、流暢な日本語の歌声が聞こえてきた。
 ヘッドフォンをした少女が、歌ひながら、歩いて通り過ぎて言つた。もちろんベトナムの子だ。
 彼らの前に国境はない……。

 それは、その夜行はれた「斎賀みつき fest. JUST トークライブ」でも目の当たりする。
 少し説明しておくと、ベトナムの映画上映状況としては、基本は弁士なのださうだ。オリジナル音声を小さめにして、弁士といふか解説者が、男女のセリフを全部語るらしい。(これは、確認できなかつたが、間違ひないと思ふ)今回の字幕システム事態が珍しいらしい。
 では、声優ファンになる彼らはどうしてゐるのか?
 インターネットで日本語のままのアニメーションを見てゐるのだ。(中には、どうにかして手に入れたDVDもあるらしい)そりゃあそうだ。でなくては声優ファンになれないぢやん。そして、キャラクターとその声に憧れる。
 会場を埋め尽くしたファンは、日本のそれとおんなじだつた。見事に。
 確かに興奮する喜びの口からはベトナム語が出るがそりゃあ当たり前だ。

 てな感じで、国境とか民族問題って何?な体験でリポートを終はる。
 さうさう南の国ベトナムは想像以上に寒く、それは、例年以上に寒かつたらしく、小学校も休みになる日があるくらいなそうだ。
 (暖房がないので、8度以下になると休みになるらしい)
 冬のコートをどうせやうかと思ひつつ着たままで行つて正解だつた。
 でも、朝方帰り着いた成田はもつと寒かつた。