大久野島を巡る32013年03月10日 21時34分21秒

 大久野島には「休暇村」がある。ぼくの感覚だと「国民休暇村」なんだけど、いつぞやからの民間化の流れの中で、運営団体が変わったらしい。今移行中ということなのだが、すでに「休暇村」が正式名称のようだ。(この辺の情報はかなり曖昧です。気になったらお調べください)
 小さな島だし、最寄りの陸地(!?)からは船で15分。1時間に2本ぐらいはあるから、日帰りも可能だ。
 だがまあしかし、小さな島だといってなめてはいかん。
 1日では無理だとだけコメントしてをく。

 この大久野島の休暇村はその一つだ。
(玄関ではいつもウサギがお待ちしております)

 そもそも国民休暇村の始動が昭和36年(1961年)だというから、その歩みはほぼ重なる。
 
 そもそも国民休暇村というのは、国立公園、国定公園につくるというのが目的だ。
 瀬戸内海は国立公園である。でも広いよ。
 調べたところ瀬戸内海国立公園がらみは、香川県にひとつ、愛媛県にひとつ、そしてこの広島県大久野島かなと思う。(調べたかぎり)
 そして、この大久野島は毒ガス工場があったため「地図から消された島」であったという。(いつからいつまで消されていたのか不明というか、なかなか資料が見つからない)
 だからこそか…ここに作りたかったのでしょうね…。

 しかしというか、そしてというか、否定的に言うつもりは毛頭ありませんが、この休暇村の建物は先に紹介した「三軒家毒ガス貯蔵庫」を含む「三軒家工場群」と呼ばれる地域の中心に立ってます。
 玄関に向かって左に貯蔵庫跡、そして右側に、
「研究所跡」というのがあります。

 なにしろ日没間際に撮ったので暗く、若干ホラーじみた雰囲気になっておりますが、他意はありませんので、ご了承ください。
 上の写真の建物は研究室と薬品庫。
 そしてこちらが、
検査工屋で、製品管理、機密書類保管、検査が行われていたということです。

 …だけでなく!
 説明看板によると「休暇村が整備された頃、これらの建物は一時、宿泊施設として利用されていたこともありました。」ということです。

↓これは、どちらかというとその頃のなごりでしょうか?

↓研究所の窓に見える書類の山は、宿帳だったりして!?

 なんかうまく表現できませんが、この島が気に入りました。
 この気持ちは、翌日島内を歩いてますます高まります。
 同時にこの先どうなるんだろ?なんて不安(?)も感じますが…

 そして、この二つの建物の間の道は途中で塞がれていて立入禁止。
 なんとかいてあるかというと「島内水源地につき、立入り禁止」
 確かに貯水池らしきものが見えます。
 毒ガス研究所の裏庭の貯水池です。

 毒ガスの処分はどのようになされたのでしょう?
 燃やしたり埋めたりでしょうね。(ちゃんと調べてない!)
 ウサギはいつ頃からいるのでしょう?

 なにはともあれ、今はこんなです。

 こんなんとか。
 お水大好き。

 つづく。

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