大久野島を巡る22013年03月09日 00時13分11秒

そう。
ここは広島県竹原市忠海(ただのうみ)町大久野島。
あ、向こうに見えるのは小久野島ね。

と、三軒家毒ガス貯蔵庫からこの小久野島を眺めて少しだけ北へ進むと、山への進入路の一つがある。
こんな風に階段でウサギが待っているので、上がることにする。

雨が降っていて森へ入ると結構暗いので、視界はだいぶ悪い。
しかしウサギたちは気にしてない。
この階段の途中、丁度写真のウサギが見ている方向にさっき見たばかりのものが並んでいる。
むき出しである。

翌日に島の案内図で確認すると「野ざらしタンク跡」とあった。
そ、そのまんまやんか。

ここは昔から野ざらしだったのだろうか?
説明の看板はなかった。(目玉遺跡ではないということなのか…)

どこまで進もうか迷うところだが、
とりあえずウサギに誘われてもう少し上がることにする。

でもこの上はもうこんな感じで、道とは言いづらい道が続いている。

実際、日没前とはいえ山の中はかなり暗い。
そして、何か見えてきた。
なんだろうこれは?

反対側へ回ると
ほとんど埋まってる。

う〜ん。
そのときはこの輪っかに銃身を挟んでとか思ったが、今思えばこれは毒ガス用の『管』を支えるものではないだろうか?
だって重火器だとしたら、狙う先が見えないのだもの…
(一つ上の写真を撮った後、回れ右をしてみるとこんな感じ)

ここから今来た登り口付近の「野ざらしタンク」に毒ガスを送っていたのかも知れないし…
三軒家の貯蔵庫へも西の斜面を落ちるように下れば(?)近い。
ということは、この土中で毒ガスが作られていた!?
…しかし…確かなことは判らない。
ここは翌日に見た島の案内図にものっていないのだ。
道だけは記載されているが「野ざらしタンク跡」以外に特定できるものはなかった。

あ、それから足元に謎のコードが這っていた。
これは電気なんだろうな…?
ウサギに聞いても判らない。
と、これより先に進むとますます道がなくなりそうなのと、これ以上暗くなったら足元が見えなくなるので、とりあえず引き返すことにした。

つづく。

大久野島を巡る32013年03月10日 21時34分21秒

 大久野島には「休暇村」がある。ぼくの感覚だと「国民休暇村」なんだけど、いつぞやからの民間化の流れの中で、運営団体が変わったらしい。今移行中ということなのだが、すでに「休暇村」が正式名称のようだ。(この辺の情報はかなり曖昧です。気になったらお調べください)
 小さな島だし、最寄りの陸地(!?)からは船で15分。1時間に2本ぐらいはあるから、日帰りも可能だ。
 だがまあしかし、小さな島だといってなめてはいかん。
 1日では無理だとだけコメントしてをく。

 この大久野島の休暇村はその一つだ。
(玄関ではいつもウサギがお待ちしております)

 そもそも国民休暇村の始動が昭和36年(1961年)だというから、その歩みはほぼ重なる。
 
 そもそも国民休暇村というのは、国立公園、国定公園につくるというのが目的だ。
 瀬戸内海は国立公園である。でも広いよ。
 調べたところ瀬戸内海国立公園がらみは、香川県にひとつ、愛媛県にひとつ、そしてこの広島県大久野島かなと思う。(調べたかぎり)
 そして、この大久野島は毒ガス工場があったため「地図から消された島」であったという。(いつからいつまで消されていたのか不明というか、なかなか資料が見つからない)
 だからこそか…ここに作りたかったのでしょうね…。

 しかしというか、そしてというか、否定的に言うつもりは毛頭ありませんが、この休暇村の建物は先に紹介した「三軒家毒ガス貯蔵庫」を含む「三軒家工場群」と呼ばれる地域の中心に立ってます。
 玄関に向かって左に貯蔵庫跡、そして右側に、
「研究所跡」というのがあります。

 なにしろ日没間際に撮ったので暗く、若干ホラーじみた雰囲気になっておりますが、他意はありませんので、ご了承ください。
 上の写真の建物は研究室と薬品庫。
 そしてこちらが、
検査工屋で、製品管理、機密書類保管、検査が行われていたということです。

 …だけでなく!
 説明看板によると「休暇村が整備された頃、これらの建物は一時、宿泊施設として利用されていたこともありました。」ということです。

↓これは、どちらかというとその頃のなごりでしょうか?

↓研究所の窓に見える書類の山は、宿帳だったりして!?

 なんかうまく表現できませんが、この島が気に入りました。
 この気持ちは、翌日島内を歩いてますます高まります。
 同時にこの先どうなるんだろ?なんて不安(?)も感じますが…

 そして、この二つの建物の間の道は途中で塞がれていて立入禁止。
 なんとかいてあるかというと「島内水源地につき、立入り禁止」
 確かに貯水池らしきものが見えます。
 毒ガス研究所の裏庭の貯水池です。

 毒ガスの処分はどのようになされたのでしょう?
 燃やしたり埋めたりでしょうね。(ちゃんと調べてない!)
 ウサギはいつ頃からいるのでしょう?

 なにはともあれ、今はこんなです。

 こんなんとか。
 お水大好き。

 つづく。

大久野島を巡る42013年03月12日 22時45分33秒

ここのウサギたちは基本的にカメラを向けていると走ってくる。

速いっ!

なので、景色と一緒に撮ろうと思ってもなかなかにこれが難しい。

気がつくと足元にいたりする。

カメラは食べ物ではないんだが、まあ、カメラと言うよりも人が立ってると走ってくるというのが正しいか。

観光客は食べ物をくれるのでそばへ寄ってくるのだ。

といっても、勝手なものを与えてはいけない。

休暇村で売っているちゃんとした「ウサギのえさ」だけを与えることが出来る。

生態維持のためだ。

それから、抱き上げたり、もちろん殴る蹴るはダメだ。

やはり休暇村周辺では「えさ」を与える人が多く、ウサギたちもかなり心得ている。


でも、島内森の中などでは、慎重に距離をとったり、逃げてしまうウサギもいる。

性格はいろいろあるようだ。


ま「ふれあい」は良いと言うことで、こんな風に為すがまま為されるがまま放置。

(ケチったわけではないのですが、エサはとうとうあげることなく…)


ま、それはともかくたわむれているすぐそばには、こんなものがある。

陶磁器製毒ガス製造器具。

というように複雑なコンビネーションを味わうべく、南から島の内部へ入ってゆく。


と、

「南部砲台跡」というのがあるのだが、これは、日清戦争後1902年〜1924年の芸予要塞時期のものと記されている。

毒ガスに毒されて太平洋戦争のイメージばかりが膨らんでしまったが、明治の頃からここは軍事的に重要な場所だったわけだ。

芸予とは、安芸国と伊予国(広島と愛媛)のこと。

広島から愛媛へとつながる瀬戸内海の島々が芸予諸島。

不勉強のままだからこれ以上は書かない。

ここに砲塔が乗っていたのだな。


狙う方向には島がある。

この狭い海域を勇猛果敢(無謀にも)通らんとする船を目指して撃っていたのか?


島と島の間は海流が不安定だ。

鳴門とまでは言わないが、ずっと一日中渦を巻いている。


 ま、それはともかく、このあるがまま(特別扱いしてない)そこに残っている『跡』に良さを感じる。

 立入禁止にするまでもなく入れない!


ここには一応手すりがある。


この放置感と無整備感が特徴だと思う。


つづく。

大久野島を巡る52013年03月13日 23時01分52秒

 南部砲台跡を後にして再び登る。
 途中、東に発電所の屋根が見える。
 けど、そこに行くのは後にして登る。

 ↓隠れウサギがいるのが見えますか?
 ある程度上まで来るとこうやって隠れるウサギも多い。

 ↓相変わらず真っ直ぐ近づいてくるやつもいる。
 真っ直ぐを表現したくて合成してみました。
 スタート時のピントがいまいちですが、同じ奴です。

 まあ、なんとなく、この辺で少し道草。


 ↓穴掘り出すやつもいた。

 なんでもない水路なんだけど、組石の具合とか苔むし方に過ぎた日々を感じさせる。↓

 こんなところをひたすら登る。
(そして、左膝が痛くなる…けどそれは後の話)

順路通り来たつもりだけど突然進入禁止になってしまった。
(あきらかに崩れた後だったが、)
 が、戻りたくないので、ずりずりと上がりました。

 そこが展望台。
 西側に小久野島(大久野島を巡る2参照)とウサギ

 ↓ウサギと言えば耳。

 ↓こいつウサギっぽいウサギだなっ!
と、思ったりした。

そして、
この写真に事件勃発の鍵が隠されている(←超オーバーだけど)。

つづく。