川の間をたどって2 ― 2015年01月02日 20時28分19秒
第二回。
1970年の他のヒット曲にはどんなものがあるかというと、
と、話を続ける前に大変な間違いに気づいてしまった。
「当時私は中学二年生」と書いたが、中学三年生の間違いだった!
あれぇ!
てな感じで困ったもんだ。
極めてパーソナルな事だし、どうでもいいといえばどうでもいいことなんだが、…にしてもひどい。
これはなんというか、個人情報垂れ流しを鵜呑みにしてはいけないという教訓なのかも知れないですよ(!?)
そもそもこの「川の間をたどって」は『記憶の呼び起こし』と『インターネットによる検索』でまとめているんだが、もうひとつ必要なことがあるね。それは『計算による検証(検算)』だ。
子供の頃、検算をしなさいとよくいわれたものだ。
それをしないからこんなことになる。
今回の手順は、
「マルタ島の砂」が流行ったのは中二の頃だったよなぁ→インターネットで調べる→1970年の作品→おおそうか!やっぱり、何故か自信たっぷり(!?)→検証無し!
ということです。
なんてこったい…。
まあ、一番まずいのは記憶のいい加減さ!
記憶ってのはいいように塗り替えられて、尾ひれやらなんやらついていくものといえばそうなんだが、この一年の差は怖いね。
ホントに中学生だったことがあるのかな…なんて考えたりして…。
昨今「中二病」なるものが、定着している気もして、そこにうまく乗っかると良いかななんて邪心がそうさせたのかも知れない。
でも中三でした。
そうそう。
1970年と言えば、三波春夫が「1970年のこんにちは〜」と歌っていた。
万国博覧会の年なんです。(大阪万博というやつです。太陽の塔が有名)
確かに中三でした。
正確に言うと中二の三学期から、中三の一学期二学期です。
まあ中二も間違いじゃないじゃん!
再度インターネットを探ってみると、3月ぐらいにはヒットチャートに現れている気配もある…。
ウソではないかも知れんなぁ…。
でも、まあ、ほぼ中三です。すみません。
明らかに私の記憶は一年ずれているようです。怖いよぉ〜。
と、いきなり混乱の第二回ですが、自分が年齢など大して問題ではなく、三波春夫さんもともかく、どんな曲があったかというと、今も有名なところであげると、ビートルズの「レットイットビー」彼らのラストアルバムのタイトル曲ですね。多分現在でも一番有名なのはこの歌ではないかと…。もう一曲シングルカットされた「ロングアンドワインディングロード」があります。私はこちらの方が好きだったかな。
他に、有名どころだとサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」なんかがあります。(有名だと思うんだけどな)
この曲は、いはゆる「美しく綺麗な良い曲」なんで、あんまり好きじゃありませんでしたね。ガキの私にはメロディすらあんまり入ってこない高尚な曲でした。妙に盛り上がってしまうところなんかも「てやんでい」って感じでしたか…。
当時からすでに、私にはそういうところがあったのですね…、きっと…、最近でいうと「Let It Go」なんかがまさしくそうでしたか。テレビを付ければ嫌でも聞かない日はない、何故か「みんな好き」という居心地の悪さ、わざとらしく盛り上がる展開、美しく綺麗な良い曲、まさしく「てやんでい」ですな。「Let It Be」とタイトルが似ちゃっているところが、このブログにとってタイムリーですね(!?)まあ曲そのものの責任ではないかも知れませんが、聞かないで済むならそうしたい曲です。
でも今では「明日に架ける橋」はそんなに嫌いじゃないです。「いい曲」だと思います。「Let It Go」も45年後にはそうなっているんでしょうか?
って、私はもう存在しませんね。
というようなことで、ガキの私には、エジソンライトハウスの「恋のほのお」クリスティーの「イエローリバー」なんかが、良かったですね。「恋のほのお」は、ずっと以前に当ブログで話題にしたことがあります。(探すのが面倒なのでリンクしませんが)

エジソンライトハウスというのは、実際には存在しないバンドです。この曲のためだけの編成なんだけど、今言うユニットとも違います。覆面バンドとも違います。なんといえばいいのだろ?
あ、それから多分有名なのではショッキンググルーの「ヴィーナス」がありました。その後もカバーなんかされているので、かなり有名だと思います。
邦楽(歌謡曲)では、由紀さおりの「手紙」なんかがヒットしました。これは好きでした。
さて、いたずらに羅列してきましたが、サイモンとガーファンクルには他にもヒットした曲がありまして、それは「コンドルは飛んでいく」です。
これは、敷居の高いサイモンとガーファンクルなんだけど、いい曲で結構好きだったんですよ。
それはですね。
当時はあまりよく分かっていなかったと思うのですが…、これは『フォルクローレ』なんですよ。
元々アンデス地方というか、ペルーの音楽なんですね。
ほら「ラテン音楽」ですよ。
つづく。
P.S.
検索してみました。
川の間をたどって3 ― 2015年01月03日 21時52分27秒
第三回。
ハーブアルパートとティファナブラスといえば「ビタースウィートサンバ(Bittersweet Samba)」が有名です。
というか、知らない人はいないのではというぐらいなのではないか?
1967年にスタートしたらしい深夜番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のテーマ曲として50年近くラジオから聞こえ続けてきたわけで、ワンクールごとにオープンエンドの歌を変えるテレビアニメーションなんか少し見習った方がいいよね。
なんですが、私は良いガキだったので、深夜放送はあまり聞いてません。
眠かったんだと思いますが、もっぱら日曜朝の「ポップスベストテン系」が主な聴取番組。
勝手に「ラテン音楽好き」と思ったところで、なかなか聞く機会なんてありません。
レコード屋さんに行けば「試聴」もさせてくれたもんですが、聞いたら買わなくちゃという義務感がわいたりするので、中々勇気が出ません。なので『趣味』を追求することもなく年月は過ぎてゆきます。
ハーブアルパートはA&Mというレコード会社の設立者でして、もっぱらその辺を頼りにしました。
ボサリオや、セルジオメンデスとブラジル'66が、A&Mから曲を出してました。共にブラジル。
サンバ、ボサノヴァ、カリプソなど、少しずつ知識は増えたようですが、中身はともなってない。
それどころか、高校のとき、ドラム叩いてるクラスメイトとこんな会話をしました。(現在プロのドラマーです)
ラテン音楽が好きみたいな会話だったと思うのですが、サンタナ(カルロスサンタナのバンド)の話になって、
私「え!?サンタナってラテンなの?」
彼「ばりばりラテンじゃん!」
てな感じ…。
もちろんアメリカのバンドですが、ラテンですよ。間違いなく。(と、今なら言える)
と、まあ、そんなものでした。
そんな似非ラテン音楽ファンは置いといて、ハーブアルパートとティファナブラスの最後のシングル盤は「哀愁のエルサレム」
1970年11月。
集中してますね。
実は今回調べて初めて知ったのですが、ティファナブラスは1969年に解散しているらしいんですね。
元々セッション的に集めたバンドで、その後何回か編成はしているみたいですが、日本で「マルタ島の砂」がヒットしている頃バンドはいなかったということになります。
その辺、ビートルズとレットイットビーにも近い物を感じます(!?)
今よりも海外との情報の流れがゆるやかだったということでしょうかね…。

なので!?
一気に1979年まで行っちゃいましょう。
その間のことは置いといて、私を「ラテン音楽好き」にしたハーブアルパートがソロアルバムを出します。
「ライズ(Rise)」です。タイトル曲はヒットしました。
これは今でもiTunes Storeなどで買えるはずなので買って下さい。
せめて、ちょっとプレビューでもしてください。
久しぶりの演奏に胸熱くなる。
アランフェスのアレンジぶりに飛び跳ねる。
タイトル曲ライズで思わず手を叩く。
(何故、手を叩くのかは曲を聞いてね)
ハーブアルパートは、この後数年連続でアルバムを出します。
「ファンダンゴ」(1982)なんてラテンラテンしちゃってもう!
いいなぁアメリアッチ…って、もうアメリアッチではないんです。
!!
ここ結構重要かも知れない!
と、突然思ったので!!
一気に飛んだけどちょいと遡ります。
そう。ひたすらフュージョンを聴くようになるんでやんす。(最初の頃はクロスオーバーと言いましたか)
デーブグルーシン(映画音楽をよくやってる。元々ジャスの人)の「One of a Kind」(1977年)というアルバムを聴いたのが始まりではないかと考えられます。
ボブジェームスなんかは1974年辺りからヒットし始めていたみたいなので、ちょっと遅いですかね。
ともかくそのクロスオーバーからのフュージョンの波にハーブアルパートが乗っかってきてからの、さらにレンタルレコードの時代に突入!?
定番のデーブグルーシン、ハーブアルパート以外は経済的理由によりレンタルレコードを活用させていただきました。
フュージョンを中心に念願(!?)のレゲエを借りたり(ラテン好き忘れてないぞって…)
遅ればせながらカルメンマキ&OZを制覇したりして、充実してたかも…。
ということで、キーワードは「フュージョン」(?)
つづく。
P.S.
そして、こんなの見つけた!
日本での放送は1969年~1971年。わおっ!

日本では途中でタイトルが変わった。
川の間をたどって4 ― 2015年01月05日 20時05分00秒
第四回
今更のまえがき!?
この「川の間をたどって」は、概ね行き着く先は決まっている。
ちょっと興ざめかも知れないけれど、一体何故そこへ行き着いたのかということを探るのが目的なんです。
だから、いろいろと省いていることもある。
例えば持っているレコード(ほとんど捨ててしまったから「持っていた」だけど)の中で、泉谷しげるとピンクフロイドの占める割合が多いとこなどはスルーしている。(今書いちゃったけど)
記憶を振り絞っているうちに、その当時の環境や時の移り変わりの渦にはまり込み、今回のテーマ以外のテーマがわき出してくるので、結構混乱気味だ。
まあ、それはそれでいいとは思うが、出来れば目的地へつきたいと思う。
さて、前回は70年代後半にフュージョンの波にのまれたという話だった。
ラジオも聞いていた、レンタルレコードも利用した。
そして、突然だけど1980年に「ふたごのモンチッチ」というアニメが放映された。
多分、この頃、私はベータマックスを購入した。
ビデオ録画の時代へ突入したってことです。
別に「ふたごのモンチッチ」を録画するために買ったわけではなくて、私はこの作品の仕事をしていたので、記憶が重なっているだけです。
主にコンサートの番組を録画しては見ていた。
やはり演奏する姿が見られるのはいいやね。
そして、1982年。
Aurex Jazz Festival(オーレックスジャズフェスティバル)で来日したジャコパストリアスビッグバンドの演奏がNHKで放送された。

この絶妙な乱れ感!?
揃った時の圧倒感!!
楽しすぎる賑やかさ!
トゥーツシールマンス(ハーモニカ)がゲストで参加していていました。
聴かせるところは聴かせますみたいな感じ。
この録画したテープは超ハードリピート。(一昨年ビデオテープはすべて捨てました)

まあ、つまり、虜です。(あなたのとりこシルヴィヴァルタン←意味なし)
でもというか、実は、恥ずかしながらこの時まで知らなかったんです。
ウェザーリポートというグループは知ってましたが、あまり聴いてなかった。。。
そのベーシストだったわけですが、脱退してビッグバンドを率いて活動していたわけです。
だから、元々のファンの意見や、いろいろな記事を見ると、来日の頃のジャコパストリアスはもうすでに『怪しくなっていた』というのです。
この人、1987年に亡くなってしまうのです。35歳9ヶ月です。
晩年は、薬物、アルコール乱れていたそうです。
悲しいかな、死因はガードマンとの乱闘の結果、意識不明に、そして…ということらしいです。
でも、私のジャコパストリアスデビューはここです。
その後、遡って聴きました。その後も聴きます。
(90年代に入るとCDの時代になりますが、ジャコのCD出る出る!とんでもない音の悪いライブ音源とか、一体いくつあるの「ラスト音源」みたいなのが続々と発売されました。海賊版もあったかも知れません)
もちろん、CD時代を待たずにNHKで放映された来日公演のライブレコードも発売されました。
「Twins」という2枚組のアルバムなんですが………。
何故でしょう?
NHKで見た時のグルーブ感がないのです。
ビッグバンドは、翌1983年にも来日して演奏します。
私は疑っているのです。「Twins」は、こっちじゃないのか?…と。(発売日がわかってると疑っても意味ないのですが…)
あるいは、1982年の別の日の奴なのかな、なんて勝手に思ったりもしますが、単に映像のあるなしの問題なんでしょうか?
これは永遠の謎になりますが(!)私のこの満たされない心は、後のCDラッシュの時に「The Birthday Concert」というのが発売されて解消します。(多分1996〜7年)
これは、来日の前年1981年12月1日ジャコの誕生日記念コンサートのライブ盤です。
曲目は来日公演とほぼ同じ。
「ノリ」も、私の知っているジャコパストリアスビッグバンド!
これだよこれ!
と、やっと心が落ち着いたのを覚えています。
と、書き忘れていたことがありました。
印象的なのはオセロモリノウのスティールドラムです。
スティールパンというのが正式なんでしょうか?

「カリブ海の島に流れ着いたドラム缶にカメの甲羅を貼り付けて棒で叩いて演奏した』というのが、どこでインプットされたのか、私のスティールドラム知識なんですが…。
ほんとは違うようです。
まさか、こんな誕生では動物愛護団体から苦情殺到だから歴史を変えたんでしょうか?
トリニダードトバゴ(カリブ海!)の国民楽器だそうです。
ほらね、
今後少し物言いを変えた方が良いかも知れませんが「ラテン音楽」ですよ。
つづく。
P.S.
ちょっと躊躇いつつ
川の間をたどって5 ― 2015年01月06日 22時25分15秒
第五回
今回は余談ぽく…。
前回90年からDCの時代に突入みたいなこと書きましたが、80年代後半からじわじわと攻めには入ってます。
気になったので、例によって記憶と資料を(インターネットだけではなく、手元も!?)探してみました。
軽く調べたところ1987年3月公開の映画「バツ&テリー」のサントラ盤はレコードしかありません。
これ、後に(至る現在まで)CD化もないという…ちょっと悲しい話でもありますが…。
ついでに言うと私の監督デビュー作で、ビデオテープしか存在しません。
LD化もDVD化も、もちろんBD化もなし!
とまあ、いきなり自虐っぽい展開になってしまいましたが…。

(主題歌はスターダストレビュー、二つ折りジャケットのシングル盤。
サントラ盤はレコードだけでCDはありませんが、主題歌の方はスタレビのアルバムとかに入っているのではないかと思います)
それは置いといて。
続いて1988年に放映されたミニコーナーアニメ「ドクター秩父山」
これは、サントラ盤そのものが存在しませんね。
ついでに言うとこれもビデオ化しかされてません。
同1988年に発売された(ビデオテープLD同時発売だったはず…)「宇宙の戦士」
このサントラ盤はCDです!(多分ビニールはなかったはず…です)
これは「レコードは売れない」時代になったと考えていいと思います。
ちなみにこの作品、DVD化もBD化もされてません。
じ、自虐が続きますね。そんなつもりで書き始めたのではないのですが…。
続く1989年から放映されたテレビシリーズ「アイドル伝説えり子」
ホントはここから始めるつもりだったんですが、ついつい遡ってしまいました。(レコード→CDの真実を求めるためです!)
これは、田村英里子さん(当時サンミュージック)とのコラボ(?)アニメだったのですが、デビュー曲「ロコモーションドリーム」のサンプルはドーナツ盤(つまりレコード)が届いたのですが、2曲目「好きよ」はシングルCDだったのです。
発売日を確認すると「ロコモーションドリーム」が3月、「好きよ」は6月です。
「好きよ」のドーナツ盤があったかどうかはわかりません。あくまでも届いたサンプルの差ですが、これは印象的だったのでよく覚えています。
他のアイドルのことは知りません。だけど、私の中では田村英里子さんは『最後のドーナツ盤アイドル』なのです。
(このことは、前にもこのブログのどこかで書いたかも知れません。というぐらいエポックメイキングな出来事!?)
で、当のアニメーションのサントラ盤はCDオンリーです。
ちなみにこの作品はとうとうBD化までたどり着きました!!
やんややんや!

(これがドーナツ盤。スタレビのですが…)

(で、当時のシングルCD。参考のため緊急入手した1983年のジャコ!)
さて、私本人はどうだったのでしょう?
いつからCDに切り替えたのか実は余り記憶にないのです。
CDは小さくて便利!と驚いたことは覚えているのですが、それが直接リンクするモノがない。
初めて買ったCDも覚えてない。
最後に買ったレコードは、泉谷しげる「吠えるバラッド」(1988)ではないかと思うのですが…。
同年の「宇宙の戦士」はCDで聴いたはずで…。
それはそれとして、自分で買ったCDは覚えていないけど、印象深いCDがあります。
それは、このときすでに仕事机をCDの山にしていた演出がいまして(今は高名な監督です)音楽情報はこいつに聞けばすぐにわかるという奴でした。私の方が先輩だったので「なんかいいのないかよ?」と上から目線でときどき漁りに行っては横暴レンタルしてました!
で、オススメされたのが『ジプシーキングス』
血湧き肉躍るギター群団の迫力!
男らしく突っこんでくる声!
熱、土、時を越えた響き!
フラメンコですが、ラテンの感触があって、そこに魂をわしづかみされた感じでしょうか?
と、無理矢理「ラテン」に持って行くことはないんですが…。
とにかく、あまりにも気に入ったのでその後(直後!?)制作することになる短編映画「SDガンダムの逆襲 暴終空城の章」に大きく影響が出ています!?
その音楽情報満載の彼には他にもいろいろ教えて貰いました。
ずっとインド系が気になってたので「何かない?」と発注すれば、即座に『ナジマ(Najima)』が出てくるとか、それはもう便利な奴でした…って。
まあ、でも漁ってばかりではやはりいけない。
けど、始めたかったCDは永久に思い出せないでしょう…。
CDの時代。
CDの特性は私にとっては「気軽」(値段的には変わらないんですがね…)
気にはなるけど中々手を出さない「ワールドミュージック」へ気分が流れ始めます。
アジアが気になっていたようではありますが…、
数年後大事件が起こるのです。
ってね。
つづく
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