川の間をたどって3 ― 2015年01月03日 21時52分27秒
第三回。
ハーブアルパートとティファナブラスといえば「ビタースウィートサンバ(Bittersweet Samba)」が有名です。
というか、知らない人はいないのではというぐらいなのではないか?
1967年にスタートしたらしい深夜番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のテーマ曲として50年近くラジオから聞こえ続けてきたわけで、ワンクールごとにオープンエンドの歌を変えるテレビアニメーションなんか少し見習った方がいいよね。
なんですが、私は良いガキだったので、深夜放送はあまり聞いてません。
眠かったんだと思いますが、もっぱら日曜朝の「ポップスベストテン系」が主な聴取番組。
勝手に「ラテン音楽好き」と思ったところで、なかなか聞く機会なんてありません。
レコード屋さんに行けば「試聴」もさせてくれたもんですが、聞いたら買わなくちゃという義務感がわいたりするので、中々勇気が出ません。なので『趣味』を追求することもなく年月は過ぎてゆきます。
ハーブアルパートはA&Mというレコード会社の設立者でして、もっぱらその辺を頼りにしました。
ボサリオや、セルジオメンデスとブラジル'66が、A&Mから曲を出してました。共にブラジル。
サンバ、ボサノヴァ、カリプソなど、少しずつ知識は増えたようですが、中身はともなってない。
それどころか、高校のとき、ドラム叩いてるクラスメイトとこんな会話をしました。(現在プロのドラマーです)
ラテン音楽が好きみたいな会話だったと思うのですが、サンタナ(カルロスサンタナのバンド)の話になって、
私「え!?サンタナってラテンなの?」
彼「ばりばりラテンじゃん!」
てな感じ…。
もちろんアメリカのバンドですが、ラテンですよ。間違いなく。(と、今なら言える)
と、まあ、そんなものでした。
そんな似非ラテン音楽ファンは置いといて、ハーブアルパートとティファナブラスの最後のシングル盤は「哀愁のエルサレム」
1970年11月。
集中してますね。
実は今回調べて初めて知ったのですが、ティファナブラスは1969年に解散しているらしいんですね。
元々セッション的に集めたバンドで、その後何回か編成はしているみたいですが、日本で「マルタ島の砂」がヒットしている頃バンドはいなかったということになります。
その辺、ビートルズとレットイットビーにも近い物を感じます(!?)
今よりも海外との情報の流れがゆるやかだったということでしょうかね…。

なので!?
一気に1979年まで行っちゃいましょう。
その間のことは置いといて、私を「ラテン音楽好き」にしたハーブアルパートがソロアルバムを出します。
「ライズ(Rise)」です。タイトル曲はヒットしました。
これは今でもiTunes Storeなどで買えるはずなので買って下さい。
せめて、ちょっとプレビューでもしてください。
久しぶりの演奏に胸熱くなる。
アランフェスのアレンジぶりに飛び跳ねる。
タイトル曲ライズで思わず手を叩く。
(何故、手を叩くのかは曲を聞いてね)
ハーブアルパートは、この後数年連続でアルバムを出します。
「ファンダンゴ」(1982)なんてラテンラテンしちゃってもう!
いいなぁアメリアッチ…って、もうアメリアッチではないんです。
!!
ここ結構重要かも知れない!
と、突然思ったので!!
一気に飛んだけどちょいと遡ります。
そう。ひたすらフュージョンを聴くようになるんでやんす。(最初の頃はクロスオーバーと言いましたか)
デーブグルーシン(映画音楽をよくやってる。元々ジャスの人)の「One of a Kind」(1977年)というアルバムを聴いたのが始まりではないかと考えられます。
ボブジェームスなんかは1974年辺りからヒットし始めていたみたいなので、ちょっと遅いですかね。
ともかくそのクロスオーバーからのフュージョンの波にハーブアルパートが乗っかってきてからの、さらにレンタルレコードの時代に突入!?
定番のデーブグルーシン、ハーブアルパート以外は経済的理由によりレンタルレコードを活用させていただきました。
フュージョンを中心に念願(!?)のレゲエを借りたり(ラテン好き忘れてないぞって…)
遅ればせながらカルメンマキ&OZを制覇したりして、充実してたかも…。
ということで、キーワードは「フュージョン」(?)
つづく。
P.S.
そして、こんなの見つけた!
日本での放送は1969年~1971年。わおっ!

日本では途中でタイトルが変わった。
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