ルーマニア、ブルガリア92018年10月11日 01時04分16秒

 結局途切れ途切れで、タイトルを『ルーマニア、ブルガリア』としたのに、まだルーマニアです…。
 しかも、2ヶ月近く更新も滞りました…。
 とはいえ(?)首都ブカレストに戻って参りました。
 凱旋門です。
 繋ぐつもりはなかった2枚ですけど、なんとなく並べて見ました。
 ちょっと惜しい感じですね。間が開いてしまいました。
 車の通りは結構あります。下まで行くのは勇気が要る感じです。
 というか、車道へ出るなという指示が出てました。

 ついでの予定外継ぎ合わせ写真は、
 カロル一世の像の騎馬像、奥に見えるのは、アテネ音楽堂?(Romanian Athenaeum:ルーマニアのアテネ神殿?)音楽堂というのだから、音楽をやるのか。
 この切り貼りはかなり強引でしたね。(凱旋門がまともとは言わないが…)
 カロル一世は、前回の『ペレシュ城』を建てた人。何年もかけて完成した年に亡くなっているようです。金と時間を掛けすぎたのですかね。もの悲しい。

 首都なんで野良犬もちゃんといます。
 HANUL HANUCというレストラン?
 営業中ではありませんでしたが、サービス精神旺盛な現地ガイドさんの案内で、中庭を通りました。
 風情ありすぎる感じの窓。日本の文豪が、執筆中みたいなイメージです。
 そして中庭を抜けて、ちょちょっと行くと、綺麗な建物があって、そこは教会です。
 本堂は手前のようですが、奥の高い建物よく見ると、荒れてます。
 窓も抜けたままだったり…。教会の綺麗さ(手入れが行き届いている)に比べると、気になります。
 ちなみにこの教会自由に入れるようでしたが、信仰もないくせに、やたらとどこもかしこにも侵攻しすぎた気がするので(なにせ名所に教会が多いもので)ここは遠慮しました。
そして、荒れてる側の建物とどこまで関係があるのか分からないのですが、この教会と並ぶようにして、Curtea Veche(古い中庭?)があります。
 この崩壊感がたまりませんな。(申し訳ない…)
 奥の建物の崩れ具合が、そそります。
 と、いけない喜び方をしているここは、旧王宮跡ということです。
 で、その主は、ここにいました。

 ちょっと切り抜いてみました。
 ヴラド公です。
 ドラキュラのモデルです。
 下の写真は、ルーマニア、ブルガリア5で、訪れた世界遺産シギショアラ歴史地区にあった像です。ドラキュラの生家のあった場所ですね。書き忘れたけど…。
 この写真も、載せませんでしたけど…。
 ブラン城というお城にも行きましたけど、住んでいたのはここらしいです。
 しかし、この廃墟状態は、これでいいのですかね?
 これが、いいのですかね?
 私は、いいですけど、どういう保存計画なのでしょうか?

 と、ちょっと歩みを止めてしまいましたが、また、サービス精神旺盛な現地ガイドさんの案内で、内装が立派なレストランの中へ!
 食事するわけでもなく、ぞろぞろと乱入!
 おお〜、確かにゴージャス。
 だけど、中に入って見るだけって、本当にいいのだろうか?
 気になっちゃったけど、なんか、50年代の(いやもっと古いかな…)洋画みたいなお二人が撮れました!?
 さて、この後小さな正教会に立ち寄り、バスに乗って一気に、国境越え!
 ついにブルガリアへ入りました。
 折角バスで国境通過したのに、写真撮ってない!おお…。

 そして、ヴェリコタルノヴォ到着。
 ウェルカムブレッドで迎えられ、そして、ブルガリアと言えばヨーグルト。
 るんるん気分で本場のヨーグルトを無造作に口に突っこんだら…、
 ガツンと喉の奥で爆発!
 濃厚とかそういう言葉では表せない質量感に襲われました。
 うわぁ〜びっくりした。

(つづく)

ルーマニア、ブルガリア102018年10月13日 11時28分29秒

 ということでブルガリアはヴェリコ  タルノヴォへ来ました。
 ついたのは夜。あくる日、ホテルの部屋からの景色です。

 是非拡大して見てください。

 川の向きというか曲がり具合が凄い。
 間の陸地は、中州とか、池にある島みたいに見えます。橋も渡ってるし。
 気になって地図を見ると、
 こんな川でした。(流れは、図の下から上だと思はれる)

 Aがホテルの位置。Bが中州に見える地続きの場所。
 ヤントラ川という名でした。
 普通に蛇行と言うのではなんか物足りない気がします…。
 で、調べてみたら、Bにあるのは、アセン王のモニュメント(尖ってるヤツ。拡大しないと見えない…)と、背後にあるのは図書館だということです。

 この川の流れが都合良かったのか?
 CとDには要塞があったようです。

 これがD。
 ツァレベッツ要塞

 あ。
 この日、雪でした。(欄干の右辺りにある謎の白いスジは雪です)
 見えにくいですが、崖沿いに城壁が続いています。
 門からの道下に民家が続いている。

 Cは、
 トラペジッツァ要塞

 これまた強引な合体写真ですけど、こちらは崖上に城壁の一部が残っているということなんでしょうか?
 こちらも崖下に家々が連なっています。
 ただ結構壊れかかっている家もありまして、誰か住んでいるのかなぁ?
 パラボラアンテナがある家もあって、そこには住人がいるのでしょうが。

 とまあ今回のツアーでは、ヴェリコ タルノヴォは、中継地という感じなんですが、素通りというわけにも行かず(?)ちょっと眺めて、バスでコプリフシティツァへ向かいます。
 ルーマニアに比べるとブルガリアは名前が難しいですね…。

 さてここでいつもの地図。
 山脈が書き足してあります。

 コプリフシティツァに向かうと言ってまだ書き込んでないのですが、まずは峠越えをしなければならないのです。
 地図上で見ると、短いですが、バルカン山脈横断は、それなりに時間がかかります。コースは2コースあるのですが、どちらを通ったのか分かりません。説明を受けた気もするのですが、忘れました。多分赤い方だと思います。
 
 いきなりですが、ヤギの放牧です。

 犬が数匹、働いています。つまり野良犬ではないでしょう。

 という感じで、バスからの景色続けます。
 馬車!

 この方たち、ロマの人たちかも知れません。
 というのは、
 ほどなく、彼らの町といえば」いいのでしょうか、住居がならぶ地域に入りました。

 いきなりゴミの広場だったので、驚きました。

 天気と、バスの窓(結構汚れ気味)の効果で、雰囲気が出過ぎかもしれませんが、家々は、かなり壊れています。
 これは政府の提供した居場所なんですかね?
 修繕の余裕がないということかしら。
 でも、パラボラアンテナはあります。

 そんな風景を見ながら、山越えをして、
 降りてきました。
 この家も年季が入ってますね。
 そうなんです。ブルガリアの家々はルーマニアの『シックカラフル』とは大分違います。
 空き家?みたいな家屋が目立ちます。
 ついそういうものに目が行ってしまう癖のせいかもしれませんが…。

 でも、
 学校ですよね。多分。
 こじんまりとして綺麗。

 ピンクの家だってあります。


 ということで、町に来ました。

 ここは、地図に入れました「カザンラク」というところです。
 しかし、観光目的ではありません…。

 トイレタイムです。
 ルーマニアでは、すべてガソリンスタンドでしたが、なんと今回はホテルのトイレを借りました。(宿泊しないのに!)
 カザンラクの『PALAS HOTEL』様、ありがとうございました。

 写真は、四つ角で見たネコ。

 目的地の、コプリフシティツァへはまだ着かず。
 (つづく)