Just the way Zombie is ― 2013年06月05日 22時05分07秒
ライブ
「ゾンビからの道」いよいよラストの曲となりました。
Taking Hold
ゾンビからの道は紆余曲折どこにたどり着いたのか?
いまさら語らんとする捉えて離さないものはなんなのか?
それは言い訳ではなく重要な現状把握。
「ゾンビからの道」というタイトルで重要なのはあくまでも「から」であった。行き先が問題なのではなく、これは出発宣言であった
のだ。

ゾンビだって明日をめざす

世界はみんなのもの

どう?
わかった?
ってなもんで、ゾンビの道は続くのだろう。
こうして2日間にわたるライブは幕を閉じるが、2日目はアンコールで Anything が再演(!)された。
うかうかしているとみんなゾンビになるぜ。
で、さて、前回メンバー紹介をしたにも係わらず大事なことを忘れていた。
とはいえ最後にこれで締めくくって良いのか?
という疑問と言うよりも不安もあるが「すべての道はローマに通ず」ではなくて「すべての道はここから始まった」みたいな存在なので仕方あるまい。
ぼく自身、未だによくわかっていないが、あの2日間の出来事を目の当たりにしたのは、この人のお陰である。(…せいである?)

構成(更生じゃないよ)演出、プロデュースの石川あさみ女史です。
あ、あと振り付けも。
と、多くは語らず、道がどこへ行くのか見届けたい…
と、思ふ…
Zombie Holiday ― 2013年06月04日 10時03分45秒
The Legend of the Zombie's Holy Rebellion ― 2013年06月01日 22時13分43秒
ということでまるで普通のライブのようになってしまった「ゾンビへの道」であるが、いかに社会復帰を計ろうと真実は変えられない。
本性をあらわすという言葉がある。そう、多分非難の場で使われることが多いのではないかと思うが、本性に悪い意味は無いはずだ。
本性をあらわすと言うことは問題解決に一歩近づくということだ。
そう。それは、反動ではないかと思えるぐらいの勢いでやってきた。

いしやまめぐみゾンビと中里順子ゾンビの乱入である。
と、二人を悪人にしてはいけない(あ、ゾンビか…)
ただこのいきなりの後半3曲目「Be my 肉食男子」におけるリン ホブディは、躍動感にあふれすぎていて、ほとんどカメラに収まらなかったのだ…。
かの日本が世界に誇る映画監督の有名なフレーズに「筆舌にし難い」というのがあるが。それをお借りして撮舌にし難かったのだ(!?)
なので、まあ、こんな二方をご覧いただきたい。
(「こんな」はないだろ!)

ちょっとコラージュしてみました。
ん?

いしやまゾンビの手にあるのは?
(さつまいもではない)

中里ゾンビもなんか持っている!
(あかべこではない)
そうです。
内臓です。
で、貴重な1枚。

手にしているのは大腸だが、付けているのは内臓エプロン。
で、思ったことは…。
エプロンが似合う!
つづく。
The Ballad of the Nameless Zombie ― 2013年05月31日 09時59分53秒
次の曲は No Name

Lullaby から続く2曲で、リン本人も普通のライブみたいと思わず言ってしまうほど、前半の異様な感じは一体なんだったのか?
と思える流れになってしまった。

いきなりゾンビ脱出してしまったのかともとれる展開だが
、ちょっとしたインターバルでそれを期待するのはいささか楽観的すぎだ。
ゾンビも人間も真摯さに変わりなく、ものを伝えるためには伝える内容によって様変わりが必要なんだと訴えていると考えるべきだ。

ぼくは今回の
シリーズでライブタイトルである「ゾンビ」を繰り返しているが、この古典的な表現に敬意を表しつつ、少しだけ別の呼び名を使ってみる。
それは、Living Dead。
(最近では Walking Dead という表現も定着しているようだが)
Living と Dead という相反する単語をならべたこの表現を見つめ直して、
つづく。
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