大久野島を巡る15 ― 2013年03月29日 10時14分40秒
明治と昭和を訪ねウサギと戯れる大久野島巡り。
巡り損なったところはとりあえず置いといて最終回です。
と、山で見かけたウサギたちを先に3つほど並べてみました。
そして、さて、帰る時間。休暇村から第二桟橋へ向かいます。
すぐそばに第一桟橋があるのですが、
ここは朝と夕方(夜)に使用されるだけです。
大きなフェリーは発着できません。
このコースは南の海岸沿いを歩くことになるのですが、
どういうわけかこの辺ではくつろいでいるウサギたちが多かったです。
たまたまさういふ時間だったのでせうか?
そして、第二桟橋付近もウサギが多いです。
人の出入りが多いからでしょうか?
ここにいるウサギたちは、人見知りではなさそうですが、
群れなして人に向かってくることもありません。
これもたまたま時間帯のせいだったのかも知れませんが、
あるいは『こいつにたかっても何も出ない』という情報が、ウサギコミュニケ—ションで島を巡ったのでしょうか?
遊んだり、何か食べてたり…
身繕いしてたり『自由』な感じがしました。
桟橋の少し手前で、可愛い光景を見かけたので、並べてしまいます。
そして、大久野島お別れ、呉線の窓から撮りました。
でも、あのウサギたちどんどん増えてどうなるんでしょうか?
ウサギの楽園はいつまでも楽園でいられるのでしょうか?
ちょっとだけ気になりました。
大久野島を巡る14 ― 2013年03月25日 10時34分52秒
思えば休暇村そのものの写真を撮らなかった…。
かろうじて、三軒家毒ガス貯蔵庫跡を撮ったときに入れ込んだ奴があったので、トリミングしてみた。
矢印の方が玄関だ。
玄関の前はかなり広く、ウサギたちは自由に遊んでる。
島の中でやはりここが一番多い。(と思う)
広いから走りがいもあるのだろう…。
水は大事。
そして、北部砲台跡の2つ目(勝手な呼び名)から、1つ目3つ目に向かう途中で会った3羽が、なんか気に入った。
いつものように向かってくるけど…、
別の奴も来て、
遭遇。
どぶに隠れたりして、
一回り小さい奴だった。
これが3羽目。
つづく。
(最終回!)
大久野島を巡る13 ― 2013年03月23日 22時06分22秒
ちょっと今更であるが、当日何を頼りに歩き回ったかというと、
休暇村のフロントに置いてあったこの地図。
お世話になりました。
玄関前にある大きな案内板には、芸予要塞時代であるとか、毒ガス製造時期であるとかの説明つきで地図がありました。
その地図は写真に撮ったけど、もっぱら利用したのは、上記の地図。
やはり印刷物って利用価値大きいなぁ。
ただこれには、比較的初っぱなに紹介した「野ざらしタンク跡」がなかったり、北部照明所跡も乗ってなかった。まあ、発展途上ということですね。
いづれにしろこの地図のすべても回ることは出来ませんでした。
単純に見落としていたのと、時間切れかな。
ホントは『最後の「北部砲台跡」』に最後に行ったのだけど、都合上先にブログしてしまったので、大久野島遺跡巡り部門(いつの間にそんな名前が!?)のラストは火薬庫跡です。
(ところで、行く途中に発見した怪しいプールも地図にはありません。)
さて火薬庫は英語だと "powder magazine" というのですね。
へえ〜〜〜って思った。
これは芸予要塞時代から、つまり明治の部門ですね。
(なんでも部門になっとる…)
砲台の時代だから当然火薬庫が必要だったわけですね。
しかし、毒ガス製造時代にも化学兵器の製品置き場に利用していたと案内板にあります。
そう。毒ガス作りって、当時働いている人たちは「化学兵器」を作っていると聞かされていたようですね。(これは案内板情報ではなく、今回ブログを書くにあたってあれこれインターネットで調べて見つけた情報)
で、さらに、朝鮮戦争当時(これも当然昭和ですが)アメリカ軍が弾薬庫として使っていたそうです。
案内板に「火薬庫」と「弾薬庫」と両方表記があるので、少しニュアンスの差があるのでしょう。
とにかくずいぶん使われてきたのだなと思います。
だからという意味ではありませんが、見事に屋根がありません。
そもそも火薬庫の屋根は、爆発したとき(事故など?)に簡単に抜けるように作ってあったようです。
横方向への安全を守るということなんでしょうが、実際に爆発したのかどうかは判りません。
草がいっぱい生えてますが、瓦が多数落ちてます。
ちょっとわかりにくいですね。
ウサギもいるんです。(矢印)
端っこに瓦が残ってます。
反対側にも。
どんな屋根だったのか見てみたい…。
この出入り口部分の屋根はどうみても波形トタン板ですね。
これがいつの頃の名残なのかは判りませんが。
ところで、ここの壁のレンガもロシア製なのですかね?
目の前に井戸もありました。
防火用水にはならないのではないだろうか…。
ということで、
逆光のなか走ってきたウサギと
お別れして。
つづく。
(あとはウサギだけ)
大久野島を巡る12 ― 2013年03月22日 21時23分19秒
そして、石の桟橋を海から見ると、道路を渡った側にトンネルのようなものが見えます。
これです。
そこは…、
発電場跡です。
発電所ではなくて発電場ですね!
おお!(何が「おお」なのか?)
毒ガス製造時期のものになります。
1929年〜1945年。
8基のディーゼル発電機が設置されていたと案内板にあります。
↓これ、先の写真の前に撮った全体像に近い映像ですが、
何故中途半端になったのかというと、右下辺りに見えますでしょうか?
ここは、海岸線から近く観光に来る人も多いからでしょう。
結構ウサギさんたちが屯していたのですが、カメラを構えた途端にささささと、足もとに集合。
「発電場とウサギたち」みたいな写真を撮りたかったのですが、フレームを決める頃にはだぁ〜れもいない…。
そして、ご覧の通りガードレールがあって中には入れません。
いつ崩れてもおかしくないと判断しているのでしょうね。
崩れるは大げさだとしても、鉄骨や、天井の一部や落ちてきそうなものはたくさんあります。
ここは発電場でもありますが「ふ号作戦」(風船爆弾!ですね…うれしそうに言うなよ…)の風船の補修もしていたそうです。
動員学徒(女学生!いちいち「!」を入れるなよ)が和紙をこんにゃく糊で貼り合わせていたのだと。これも案内板に書いてありました。
戦争のために、毒ガス作ったり…、風船作ったり…
念願の遺跡前ウサギがいたので、何枚かとりました。
ホントはもっと近づきたかったのですが、ガードレールがあったので。
何故かこいつは足もとへやってこなかった。
人見知りタイプというわけでもなかったのですがね。
斜め向かいに小さな別棟がありましたが、何の施設なのかはわかりません。
案内板を見落としたのかも知れません。
ところで少し自信が揺らいでいるのですが、これも石の桟橋だと思います。
潮の満ち引きで、見え具合が変わる…のでしょう。
さて、今回巡った遺跡はあとひとつ。
つづく。
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