一人称の罠?2005年06月15日 08時27分48秒

 ぼくは、前にも書いたとおり翻訳物が苦手だが、一人称のものは比較的読める。このブログも一人称だね。語り口が主観的だからなのか?情報が限られるからなのか?本人がさう言ふのだから他に考えも及ばない!?
 でも、油断は禁物で、手放しで一人称を信頼すると、大変なことになる可能性もあるよね。果たして存在するかどうかわからないけど、一人称の推理小説で謎が謎を呼び、主人公は翻弄されまくり、事件は迷宮入り、でも、ラストの一行で「今まで黙ってたけどぼくが犯人です」とか言はれたら、どう思ふ?
 一人称ではないんだが、犯人を追ひつめる『謎の人物』が、実は、主人公だつた。(え!?改めて書くとさつぱり判らんな)と言ふ小説は読んだことがあるな。映画には出来んなと思つたことがある。クラークケントがスーパーマンだと言ふことを最後まで隠して描くとさうなるのかな?
 まあさておき、ぼくは本格推理とか呼ばれる小説はあまり読まないんだけど、謎説きのシーンが耐えられないのね。でも広くミステリーは好きです。ハードボイルドがいいな。一人称の作品が多いし。
 いいなと言ひながら、どこからどこまでが、ハードボイルドと聞かれても答えられません。
 で、今回はジムトンプスンの話です。有名なのは映画化された「ゲッタウェイ」です。分類分けが目的ではないんですが、そんな話の流れになつてしまつたので、犯罪小説とでもしておきませうか。ハードボイルドタッチ!と言つても問題ないと思ひます。この間読んだのが
「深夜のベルボーイ」一人称ではありません。
 あれれれ、では何故だらだらとこんな話?一人称ではないんですが、一人称の気分で読める作品なんです。と同時に、なんか、宙ぶらりんな気分にさせられてしまう。そんな感じ。この人の作品にはそんなところがありあす。犯罪小説と言ひましたが、主人公が、さほど悪い奴ではないのでは?と思へたり、妙に弱い奴だつたりとか(正直だけど、悪の道に入るとか、悪い奴だけどいいことしちゃうとか、そんな物語みたいなことを想像してはいけません)尺度がむづかしいのです。で、なんと言つても語り口がね‥‥‥。
 ところで、最初に凄い作品を読んぢやうと、なかなか、それを越えるのがむづかしいですね。凄いと言ふか、ショックを受けると言ふか、自分にはまりすぎてしまうとか。ぼくはこの人の場合
『死ぬほどいい女』と言ふのを最初に読んだんですね。これがたまげた。一人称の小説で、多分、一人称でなければ不可能な内容だし、一人称だからとんでもないことになつてゐると言ふ感じです。なんで、こんなペイパーバックが、こんなになつてゆくの?と言ふ展開で、これはミステリーなんで説明する訳にはいかないし、つ〜か、しろと言はれても出来ないし!
 全然、全く、徹底的に、心底、興味のかけらもない!と言ふ人以外は読んでみて。リストによると1954年。この年4〜5冊書いてますな。リストの並びでは「深夜のベルボーイ」がひとつ先。原題は「深夜〜」が、A SWELL-LOOKING BABE、『いい女』ってことかしら、もつと濃い意味合ひがあるのかも知れない。「死ぬほど〜」が、A HELL OF A WOMAN。テーマにためらいがありませんね。
 「ゲッタウェイ」は映画のラストの後にまだ続きがあるんだよと言はれて、確かに映画を見た時「あ、終わっちゃった‥‥‥」と思つたので、さもありなんと思ふたが、凄いんだよ、主人公がとんでもない目に合ふんだよと言はれ、どんなんだろと思ひは巡る。「フロムダスクティルドーン」と言ふ映画を見た時、あ!これか!これは「ゲッタウェイ」の後半を作つてみたんだ。と、ひとりごち。そして、「死ぬほどいい女」を読んで、原作「ゲッタウェイ」が読みたくてたまらなくなりました。でも、読んでません。角川文庫から出てるらしいんだけど、絶版なのかな。何を隠さうぼくは数年前から図書館派なんだけど、ないんだよね。保谷田無市には図書館が7つ。でもどこにもない。
 気になるな〜。
 と言ふことで結局。
 ラストをほのぼのと見てしまうか、不安を感じるかは、人ぞれぞれでせうな?でも、スリムピケンズが、滅茶苦茶いい味出してるんで、ほっとはします。
 これは、1973年公開かな?見たのは1975年12月9日(火)
新宿ローヤル劇場!
 この映画館の話もしなくては!