小屋にスコッティ2005年10月04日 17時43分40秒

 今日はテレビの功罪について。
 おお!凄い!
 とはいへテレビを批判非難する気はない。それはぼくが少なからずテレビ関係の仕事をしてゐるからではない。(現在放映してゐる作品がないのだから、文句言ひ放題。批判するチャンス!?なんだが)
 このことに関してぼくはもう非難するのをやめたのだ。あくまでもテレビは数々の悪行を重ね、その上に移り変はつて来た世の中の「部分」があると言ひたいだけで、それを批判することは今を否定することにもつながるので、どこへどう流れるのかを見続けるしかないと結論した。でも、悪行と言ふ言葉を使つたらそれは批判ではないの?と疑問が生じるだらう。でも、違ふんだとしか言へない。他に言葉が見つからない。あえて言へば写実だが、これもぼくの気持ちを正しくは伝へない。ボキャブラリーの壁にまたぶつかる。
 ただ、テレビの仕事をしてゐるからテレビを批判しないと言ふのは間違ひだと思ふ。内部告発は素敵だ。どんどんやるべきだと思ふ。日々電力を享受してゐるからと言つて原発を批判できなくなつたら、明日がなくなる。「代替案なき苦情は無効だ」と言ふ意見もあるが、世の中には「それ」に詳しい人も詳しく無い人もゐる。詳しく無い人は文句言ふなでは、惨すぎる。

 さて、なんか偉さうに始めてみたけど、やはり続かない。『記録映画』と言ふ題材から、話を広げやうと思つてたんだけど、整理がつかないので、タイトルの説明をすることにする。

 本日のお題「小屋にスコッティ」とは、大変深い状況からくるかなり振幅の激しい感情を表現してゐる。
 それは‥‥‥‥。
 大風呂敷を広げると続かない‥‥‥‥。

 それはかうだ。
 A君と言ふ人がゐる。A君はA嬢でもいい。いや中年Aでも、老人Aでもいい。「人物A」だ。
 人物Aは、テレビっ子と言ふほどではないが、生活の一部でテレビを見てゐる(見て来た)人間だ。Aは飛行機に乗つてハンガリーへ向かつてゐた。(しつこいけどモンゴルでもニュージーランドでもどこでもいい)ハンガリーがヨーロッパだと言ふことぐらいは知つてゐるが、正確な位置は知らない(気にして無い)歴史もしらない。隣国との位置関係も知らない。隣国をすべて言へるかどうかも怪しい。飛行機の行く先さえ間違へなければ必ず着くからだ。
 だけど、この時は違つて飛行機が乱気流に巻き込まれ、ぐるぐる回つてしまつた。
 そして、落ちたところはジャングルだつた。奇跡的に助かつたのはAだけだつた。日本からハンガリーへ行く途中にジャングルがあるかどうかAはしらない。東南アジアにジャングルがあることぐらい知つててもいい。右も左も判らない。乗客全員の携帯電話が壊れてゐる!そもそもアンテナの立つ位置かどうかもわからない。そもそも国際通話のできる地域とは思へない。
 でも、あきらかに飛行機事故だから、待つてゐれば、必ず救援がくるだらうと思ひ、しばらくジッとしてゐることにした。だけど、ヒルの群れがひょんひょん襲つて来て、Aはしゃにむに逃げまどひ、墜落場所を見失つた。わずかな距離感しかなかつたが、完全に方向を失つた。
 それからジャングルをさまよひ続け、人の気配を感じた。それは現地民で裸族だつた。狩りの途中なのか、槍だの弓だの持つてゐた。テレビで見たことがあると思つた。部族ごとの差など判るはずも無い。彼らも、飛行機が落ちたことぐらいわかるだらうと思つた。言葉は通じないが、もしかしたら日本のテレビ局がタレントを連れて来たことがあるかも知れない。Aの窮状を見れば助けてくれるだらう。食べ物をくれるかも知れない。でも野牛の骨髄液とかくれたら飲めるかな?なんて、少しわくわくすらしてしまつた。
 しかし、Aの気配を感じるや彼らは攻撃して来た。
 超びびりながらAは必死で逃げた。
 なんとか逃げ切れた。
 それからもAはさまよひ続けた。昼夜をいくつ過ごしたのか時間の感覚は失せ、空腹疲労苦痛も限界を越え思考能力は完全に麻痺した。ジャングルの木や草や虫のせいで、Aの体のあちこちからは血が滲み、蠅は卵を生み、蛆が皮膚の下をうごめき、強烈な臭ひの花粉が鼻水を出させた。まあ、つまりどろどろのぐちゃぐちゃだつた。
 そして、飛行機事故の記憶も薄れた頃、Aはとある小屋へ辿り着く。屋根には苔、シダの類いが繁茂し、壁を蔦がたどり、傾きかけてゐる(元から傾いてゐるのかもしれない)が、まぎれも無く人の住む小屋だ‥‥‥‥。Aのアドレナリンは上がつた。複雑な感情だ。辿り着いたと思ふと同時に、何日か前にAを襲つた現地民が住む場所だつたら大変だとも思つた。安心感と同時に恐怖感が沸き上がる。しかし、ジャングルの中に突如出現した小屋からは抗ひがたい馴染み感が溢れだし、Aを捕らえてやまない。
 勇気を出し、慎重に慎重に神経を集中させて、近付いた。思考能力が低下した分、本能が研ぎすまされた。
 何か合つたら一目散に逃げ込む茂みのあたりもつけ、命を賭けて扉を開けた。

 小屋の中には木のテーブル。その上にほぼ新品のスコッティ(200枚入り)が一箱置いてあつた。

 と、これが「小屋にスコッティ」で「平衡を失つた世界」だ。
 この話にはまだ続きがある。
 だけど、これがどうテレビ批判(写実)と繋がつてゆくのか心もとなくなつてきた。「A」は平衡感覚を失つてしまつた。

 つづく。

 ちなみに写真は内容と全然関係が無い。寂しいので添えた。

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