インドイスラム型私小説!?2005年10月13日 09時43分20秒

  『あたいのじっちゃん、象、飼ってたの』ヴァイコム ムハンマド バシール著 山際素男[訳]出帆新社。
長めの短編が3つ収録されてゐる。中編?
「幼なじみ」「あたいのじっちゃん、象、飼ってたの」「ファトゥマの山羊」 前の2つは小説。3つ目は、実録もの!?日本風に言うと私小説です。まさしく。
 R.E.アッシャー(英訳者)といふ方の解説がついてます。バシールは英語でも小説を書いてゐるようですが、インドは公用語がたくさんありますね。(あきらかに知らないのをごまかした表現)この小説はそのうちのひとつで書かれてゐるようです。南部のケーララ州で使われてゐる言葉で、この地方は識字率が非常に高いのだそうです。インドは現在ヒンドゥ教の国ですが、ケーララ州にはイスラムとキリスト教があるそうです。 そうですようですばかりです。作家バーシルはイスラムの人で、ケーララ州、ヴァイコムのそばタラヨラパランブゥの寒村で生まれたとあります。地図で見ると、スリランカのちょうど反対側の海岸です。書かれた小説はマラーヤラム文学と呼ばれてゐるそうです。
 「幼なじみ」は、悲愴感ただよう作品です。フランス映画の同タイトルの作品を思い出しました。白人と黒人の話です。実はこの小説も浅川マキ事件の原動力のひとつになつてます。「ちっちゃな時から」も幼なじみを歌つたうたです。それぞれ全然違う『幼なじみ』なのですが、同様の切なさを感じます。
 「あたいのじっちゃん、象、飼ってたの」イスラムで象を飼うはかなりのステイタスのようです。自分を由緒あるイスラム家系と信じてゐる(思い込んでゐる。見栄を張り続けてゐる)母親を持つ娘の話です。イスラム教の入門書のようなところもあります。主人公は「女は勉強せず」と言う古い(間違った)戒律?で、育ち、教育を受けてゐるイスラムの娘(母に言わせると異教徒)との出合いなどで、変化してゆきます。軽妙なタッチで描かれますが、ブラックな(容赦ない)ところもあります。
 ぼくは「幼なじみ」ほうが気に入りました。
 そして「ファトゥマの山羊」です。
『もしくは女の知慧』と急に副題といふか前書きがあります。
 3ヶ月の旅から家へ帰った作者の、悲惨でおかしすぎる日々を描いたものです。
 印税を狙う一族郎党の繰り返し模写が凄すぎます。リアリティなんでしょうね。
 人の名前が混乱してしまい。途中でおさらいしました。折角なのでブログように表にしてみました。
嫁たち母と弟妹甥姪たち婿たち
母親
ファトゥクッティ
クンジュアヌマアブドゥルカダルアリファ
スバイダ
ファトゥマハディージャコチュニ
ハビーブ ムハマンド
アイショマムハマンド ハニーファライラ
ムハマンド ラーシド
アヌマサイドゥ ムハンマドスライマーン
アブゥバカル
 嫁、婿といふ感覚は日本とは違うと思いますが、わかりやすくするために、こうしました。子供達の性別はすべてはわかりませんでした。家族を色分けしてあります。母親弟妹は上から年齢順です。その妻あるいは夫の年令順はわかりません。この中でファトゥマ家族のみ別のところに住んでゐて、他は全員一つの家に住んでゐます。バーシムさんは、すぐそばに自分だけの居所を持ってゐたのですが、旅の間に次男が勝手に人に貸してしまって、帰って来たら住めなくなってゐたのです。仕方なく大家族一緒に住みます。ファトゥマの家族は別ですが、まず朝になると山羊がやって来て、実家にあるものを次々に食べてしまうのです。後からファトゥマとその娘も来ます。家へ帰りくつろぐつもりだった。作者は、混乱の中にゐることになるのです。作者の本も二冊山羊に食べられました。子供は泣くわめく、叱るために枝で叩く。先に書いた通り、弟妹、義弟妹、母親が、あの手この手でせびりにくる。途中で山羊が二匹ゐることに気づく。とても執筆活動に入れる状況ではありません。そんな様子が軽妙にコミカルに描かれて行きます。そして、幼い頃の弟とのことなど思いだします。自分も悪いことしたなとか、でも結局は自分よりすぐ下の弟が悪かったと結論します。あるいは、男が米、女がタピオカを食べてゐると改めて発見して、イスラムの世界では男の知らないところで女が苦労してゐるんだと、一瞬同情するけれど、女たちのしたたかさ図々しさに合い、この油断ならない奴らめと、元に戻るのです。なんと素直にわがままな作者。感情的すぎて感情がわからない一族郎党。いやはや、もの凄い生命力を感じます。解説によると、作者がスランプといふか精神的ダメージを受けてゐたときの作とあります。驚きます。
 おそらく、心を休めに帰ったのだけど不幸にもそれは出来なかった。でも情け容赦ない現実(自分もよく知ってる)に直面し、笑うしかなかったのでしょう。