続、小屋にスコッティ2005年10月06日 11時57分09秒

 少なくとも20年頃前、まだ世界は謎だつた。

 んぢやないかな?(30年前にしとく?)

 今もホントは謎だらけだけど、気にされなくなつた。いや、珍しいものではなくなつてしまつた。どこへ行つても人間がゐて、多かれ少なかれ「同じだ」と言ふことにされてしまつた。
 フイルムで記録してゐたころは、寒すぎると凍りついてフイルムが回らなくなつたりして、冬の北極や南極の撮影が困難だつた。
 記録映画のクストーとかピエールドミニクゲッソーとか、少々偏見には富んでゐるが、世界には色々なところがあるのだと説得力を持つて語る人がゐた。かなり偏重なヤコペッティもゐた。
 さて、ビデオ機材の発達でかなり自由度があがつた。
 交通機関の発達で、および、旅行社の業績と功績で、世界はどんどん近く安くなつた。「秘境」はどんどん追ひやられた。テレビで、パリもパタゴニアも隣り合はせになつた。(パリとパタゴニアと言ふ比較の仕方にかなりの意味がある。パリは都市。パタゴニアはチリとアルゼンチンに渡る地域の名前だ)よく空港などの一般インタビューで「どこへ行ってきたんですか?」「パリー!」「楽しかったですか?」「サイコー!」なんてのがある。「ではパリを地図で指してください」「え〜?どこかな〜?ここ?」と、エルサレムを指したりする。これは受け狙ひのヤラセではない。最近は誰でもテレビの愚かさを知つてゐるから、わざとやるケースもあるにはあるだろう。バカをやるとウケると知つてゐるからだ。テレビカメラの力なのだ。テレビカメラの前ではウケることをしなければならないとパブロフの犬のやうになつてしまう一般人は大勢ゐる。
 でも、繰り返すけど、リオデジャネイロとフランスが隣同士でも構はない人はたくさんゐる。

 う〜ん。「小屋にスコッティ」は書こうとすると、どうも偉さうな内容になつて困る。ぼく自身、小さい頃からアフリカの国々を把握することは放棄したし、ソ連崩壊で、混乱の極みだ。
 ただ気にしなくなるのは困るなと思ふんだ。仙台があるのは宮城県と言ふところなのだ。東北にあるのは間違ひないけれど、いつか宮城県が消えてしまうのではないかと心配する。(すまない。かなり誇張した)

 で、たつた今現在の心配は、話が全然思つた方向へ進まないことだ。

 あれ?

 もつとちやんと計画しなきゃ。
 は、金貸しのCMだが、言つてゐることは正しい。

 なので、またタイトルの説明だ。「続、小屋にスコッティ」とは「ポワカッッィ」のことだ。ポピ族(アメリカ先住民)の言葉で「ポワカ」は黒魔術。「カッッィ」は生き方なのださうだ。それを合成したのは、この映画を作つた監督の技なんだと思ふ。「自己の繁栄のために他人の生命力を食い物にする生き方」と説明してゐる。
 カッッイ三部作の二作目。一作目「コヤニスカッッィ」に引き続き、音楽と映像と『タイトル』だけで、語り切ると言ふ偉業を行つてゐる。しかし『タイトル』の説明をするのはラストだ。ただ残念なことに情報にて先に意味を知つてしまうので、やや先入観で見てしまう。(多分作り手は気にしてないし、好都合と思つてゐると思ふ)「コヤニス」は北半球、「ポワカ」は南半球と言ふ概念で作つたらしいが、「コヤニス」はアメリカ的であり、北半球育ちのぼくとしては、現代社会そのものと言つた感想がある。21年前の作品である。
 何年前か忘れたが、輸入CDでPOWAQQATSIを買つた。ジャケットとタイトルを見た瞬間に続編だと思つたからだ。でも読めなかつた。ポワキュキュアツチ?(コヤニスカッツィの音楽と同じ様に「ポ〜ワカッチ〜」とコーラスが入つてる曲があるので、聞いてから『ポワカッチ』ぐらいにはわかる)
 それはともかく待てど暮らせど、映画が公開されない。
 まあ、確かに公開はしづらい内容かもね。「コヤニス」は六本木シネヴィヴァンつうところで単館上映したのね。六本木シネヴィヴァンが無くなつたのが六本木ヒルズの開発のためか、ただ単に客が入らなかつたからかは知りません。
 そして、ついに、昨年フィリップグラスの来日して「コヤニス」と「ポワカ」の二本を生演奏上映をやつたのだ!
 『!』なんてつけたのだが、行つてないのだ‥‥‥。
 はあ〜‥‥‥。残念でした。去年はね〜‥‥‥。いろいろ事情がね〜。
 と、まあ、それはともかくDVD購入です。変な言ひ方だけど、新鮮に蘇つたな〜。CDよく聞いたもんな〜。マスタリングがあきらかにCDよりいいのね。迫力でした。ことに冒頭(金鉱の泥運び人たちのところ)は凄かつたな〜。
 ただ、南半球とザックリ言ひ切つてはゐるのだけど、それは地理的な問題ではなく、いはゆる「北の論理」の時の「北」に対しての「南」ですね。インドやエジプトも出てきます。そしてね、テレビで世界の位置関係がどうでもよくなつてしまつたと書いたけど、「ポワカ」はそれとは違つてね。それを越えてね。次から次へと国々が移り変はるんだ。エンディングを見るまではどの国で撮影したのかわからないのだ。位置関係そのこと事態に意味はないんだ。十把一絡げで「南」だからね。(あれ‥‥‥貶してるやうに聞こえる?)
 この映画はドキュメンタリーであり作為的映画でもあるんだね。一カ所だけヤラセを発見しました。(メイキングで監督も白状!?してる)ただ、これは、ドキュメントの立場を壊すものではないよ。
 写真学校に行つてゐるときに課題で撮つたドキュメンタリーを思ひ出すな。町の風景を撮る時に学校帰りの小学生を「合図したら歩いてね」とヤラセたつけ。
 ぼくは「コヤニス」より「ポワカ」の方が好きかな。おそらく「コヤニス」の時は三部作のつもりはなかつたのではないかな?完成度が違ふ。「ポワカ」は、どこか中途半端な感じが漂ふんだが、人間味があつてね。そこがいいんだな。撮影は「ポワカ」の方が遥かに大変だつたのではないかな。
 さあ!次は「ナコイカッツィ」だ!見るぞ!見たら「コヤニスカッツィ」へ戻つてみやう。

 バリは地理的にも南半球だね。
 冒頭の写真は、北半球日本国の公園の池だね。「ポワカッツィ」の水面の画像がきれいでね〜。

ググ(ケツァル鳥)2005年10月07日 21時08分02秒

 「ケツァル鳥の館」La Mansio'n del Pa'jaro Serpiente(「'」は文字の上につく奴ね)ビルヒリオ ロドリゲス マカル Virgilio Rodri'guez Macal 児嶋桂子[訳]山本容子[画]コピーライトは1999年、翻訳は2001年となつてゐますが、書かれたのは1939年とのことです。

 著者はグァテマラの人で、1964年に亡くなつたとのことです。それなので、帯にはリゴベルタ メンチュウの推薦文が載つてゐます。リゴベルタ メンチュウちゅう人は、グァテマラの先住民族の女性で、政府軍の弾圧から逃れ、世界に訴えかけて帰還を果たした人です。1992年ノーベル平和賞をとつてます。と、10年以上前に読んだ社会新報ブックレットを片手に解説せやうと思ひましたが、記憶も薄れて超生半可なことを書くのは無礼きわまりありません。インターネットで見つけたので、ここ「リゴベルタ メンチュウからブッシュ大統領への手紙」へ行つて下さい。9.11直後の手紙のやうです。しかし、丁度時節なので加えると、皮肉でもなんでもなくノーベル平和賞の受賞者からのかのやうな手紙が、無視されたと言ふことはノーベル賞になんの意味が?と思ひます。

 さて、このおはなしはジャングルの話です。著者が、カクチケル族のペドロ クラーンなる猟師から聞いた物語と言つてゐます。
 動物たちの物語で、アンダ ソロ(はなれハナグマ)、ヨロイネズミ(アルマジロ)、イタチ(イタチ)、パカ(テンジクネズミの一種)、バッツ(ホエザル)を、それぞれフィーチャーした短編集になつてゐる。家族や男女(雄雌)の愛情や、見栄や欲望も語つてゐて、ドラマチック仕立てなのだが、曖昧さはなく素直に食物連鎖も語つてゐる。ほとんどが死にゆく物語なのに悲しくはない。死の引き金を引くのが人間であるケースがまた多いが人間批判でもない。正直なだけだ。
 面白いなと思つたことを二つあげる。
 「はなれハナグマ」が、とある群れに一時期落ち着く。その時に、群れ一番の美ハナグマと結ばれるのだが、他の女性たちは嫉妬する。しかし、「はなれ」は所詮「はなれ」美ハナグマを置いて消える。残された美ハナグマは泣き暮らし、かつて嫉妬した女性たちはその状況の変化をよろこんだ。
 そして、その後に続く文章がさりげなくいい。
 『しかし動物の心はわるい感情を理由なくとどめておくことができないので‥‥‥』周りのハナグマたちは同情したり関心をよせなくなつたと言ふのだ。これを動物は脳みそが小さいからね。と、小馬鹿にしてはいけない。周りはそうして普段の生活に戻るが、美ハナグマは、ずつと「はなれハナグマ」を思ひ続けるのだ。

 と、動物たちへの愛情を感じる物語が続くのだが、何故か「イタチ」だけが違ふ。これが二つ目。
 日本でもイタチは悪党役が多い。
 ‥‥‥と、思はれる。
 ‥‥‥例が浮かばん。
 何がそうさせるのか?この「ケツァル鳥の館(森をあえて館と言つてゐる)」の中でも、食物連鎖で肉食のジャガーやピューマ、ワニなど怖いとは語られてゐるが、悪役ではない。ハナグマとアライグマの死闘の語られ方も中立が保たれてゐる。
 なのにイタチだけは、正真正銘「森の嫌はれ者」なのだ。
 カクチケル族のペドロさんもさんも人間、怨みが出てしまつたのかしら?物語中、このイタチだけが家畜を襲ふのだ。でも、嫌はれてゐるのは森の住民からで、人間の罠にはまつたイタチに対して、無情な鹿やニシキヘビが「いい気味だ」と言ひにくる。囮の雌鳥にまで皮肉られる。さて、人間に殺された後『みんなよろこんだ』とまで書いてある。ありゃぁ〜。唯一チチカステ(とげのある木)だけが悲しんだとあるが‥‥‥。
 このイタチのあつかいは不思議だ。『動物の心はわるい感情を理由なくとどめておくことができない‥‥‥』が、イタチに対する悪い感情には理由があるらしい。それは、蛇のタマゴや赤ちゃんを、雌鹿の乳房だけを食らうからのやうだが‥‥‥。
 ぼくが森を理解するにはまだまだかかりさうだ。

 で、どうでもいいことを、付け加える。いつものことだけど。
 山本容子は版画家だ。なんとも生っぽい動物たちが印象的だ。
 山本陽子は女優だ。
 そして、山本洋子と言ふ人がゐて「軍隊をすてた国」と言ふドキュメンタリーを作つてゐる。その国とはコスタリカで、グァテマラと同じく中米の一国だ。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥だ、だからなんだと言ふことではないんだが、ね、どうでもいいこと、ね。

 ま、その、少し気を取り直して、ハナグマつながりで、野毛山シリーズ第二弾。アナグマ‥‥‥。アとハとちやうやん!
 動きが速くて全然ピントが合はせられなかつたけど、連続写真風に撮れたのでうれしかつたのだ。

 ハナグマの写真がないからわからないと思ふけど、似てると思ふんだよね。
 でも、調べるとハナグマはアライグマ科ぁ?でアナグマはイタチ科っ!!
 で、で、冒頭の写真はもちろんケツァル鳥ではなくてフクロウです。小さく見えます。何フクロウだか忘れました。

映像資料2005年10月08日 12時48分40秒

 今、砂漠とか、馬とか、そんなものが出てくる企画が進行中なので、あれこれ、パクリ先!?を探してゐる。がげろうに揺れる景色を求めて、記憶をたよりに映画など見直したりしてゐるが、まあ、なんといい加減に見てゐることか!
 あたりをつけてこの映画にこんなシーンがあつたなどと、探してみるが、ないない!全然ない!ほとんどが記憶の増幅作用ではないかと思へるぐらい外し捲つてゐる。
 おかげで純粋なパクりにならずに済んでゐるとも言へるが『どこか』で見た筈(かも知れない)映像は美しいものだな。記憶アレンジャーと呼ぼう。
 この新聞広告『弾丸を噛め(BITE THE BULLET)』は、1976年に渋谷の全線座で見てゐる。全線座は、今のビックカメラの隣ぐらいにあつたのではなかつたか?外見が丸くオペラ座風で当時でも古風な格式高い印象があつた。でも名画座で300円二本立て!この時は『ガルシアの首』との二本だつた。両作とも地味にぐぐ〜〜〜っと来る映画として記憶してゐる。
 で、砂漠もね、馬もね、出てくるから、見てみたんだ。多分、その後一度も見てゐないと思ふので、ほぼ30年振りだね。
 もう参考にするとか関係なく見ちまつたよ。
 この映画こんなに面白かつたつけ!?といふぐらい夢中になつちつた。シーンハックマンとジェームスコバーンがかつこよくてね〜。粋なセリフもあつて、二時間を越す長い映画なんだけど、盛り沢山、サービス満点、粘つてゐる様で、あつさりしたラスト。見事です。
 冷静に分析すると、これは記憶の増幅がなかつた代はりに、見ながら懐かしさの増幅があつたのかも知れないとは思ひます。
 参考資料探す時はサーチでいかなきゃな〜。懐かしい映画見てはいけないな〜。なんて思ふけふこのごろ‥‥‥‥。

こんな風に過ぎて行くのなら2005年10月10日 13時57分58秒

 今日は10月10日。晴れの特異日ではなかつたですかね?東京は雨ですね。これは、40年ぐらい体育の日として努力して来たにも関はらず、へんてこりんな休日設定に変更され、今年は当日に戻つたので、複雑な気持ちで泣いているゐるのだと、おかぴと意見がまとまりました。
 それはさておき、さういへばsumiさんも野毛山付近が地元だつたんですね。元?今も放し飼ひのクジャクさんです。ピントがあつてませんが、クジャクです。
 子供が、おそらくお菓子を狙はれて「怖いよよ〜」と泣きじゃくってました。そんなに怖いか?と思ふぐらい激しかつたですが、トラウマにならないことを祈ります。ウチの子は小さい頃「東武動物公園」でペリカンに攻撃されましたが、トラウマにはならなかったやうです。
 高速回転するワオキツネザルは見ませんでした。

 どれもこれも、金網をなるべくボカさうと思つて、絞りを開放で撮つたんですが、金網にへばりつかれては仕方ありません。放し飼ひのクジャクは関係ないし、こまめにやらんとだめです。そもそもピントは甘いし、写真撮るならもっと腰入れんとなと、思ひます。まあ、今回は通りすがりのライダーの写真だからと言ひ訳しつつごまかして。
 野毛山シリーズ第三弾でした。結構続いてる。うれしい。

 続いて本日のお題から。
 最近テレビを見てゐると「クレイジーケンバンド」の歌がよく流れる。基本的にはサビの部分が重宝されてゐる感じがするけれど、ぼくはこの曲を聴くとどうしても思ひ出してしまう曲がある。単純にメロディが似てゐるからとも言へるが、それだけではない雰囲気があつて、そちらを聴きたくてたまらなくなり行動に移した!?
 それは
浅川マキの歌なのだが、レンタルレコードから録音したカセットテープはもうない。カセットテープ処分大作戦のことは書いたかも知れないし、横道にそれるので省略する。
 でも、
浅川マキのCDはあるのだらうか?もうCDの時代になって何年たつてゐると思つてゐるのだ?あるに決まつてゐるだろ!と思ふが、何かしっくり来なかつたので、インターネットで調べた。ベストらしきものが何枚か出てゐたし、90年代にも新譜を出してゐた。
 でも、ぼくの聴きたいのは、新譜ではないので、とりあえずそれは置いといて、ありました。
 1995年に出てゐるベスト盤に収録されてゐました。(TSUTAYSAオンラインショップ調べ)どうやらデビュー盤のCDも出てゐると後でわかりました。それに入つてゐるのです。
 さて、土曜日に新宿TSUTAYAへ。(あるならばあくまでもレンタルで済ますつもり。一番在庫が多さうな新宿店へ)でも、ありませんでした。やはりな〜。と思ひました。
 その足で、HMVへ。
 ありませんでした。唯一ライブのDVDがありましたが、お目当ての曲が入つてないので、買ひませんでした。まだ冷静だつたからです。
 さて、では、と、次の方法はやはり図書館ですね。
 地元図書館を検索すると、
浅川マキありました。でも、お目当ての曲は入つておりませぬ。でもまあ、懐かしの曲が入つてゐるので予約しました。(なんと今現在貸し出し中!)
 それはそれとして「あれ」はどうするのよ!?と言ふことで、隣の市、区の図書館検索。具体的にあげると、清瀬市、東村山市、小金井市、小平市、三鷹市、武蔵野市、練馬区の図書館の資料も借りることが出来るのです。すると、ありました。練馬に集中!デビューアルバムは、小竹図書館と、清瀬の中央図書館にありました。(なんと清瀬は貸し出し中!)
 練馬区は三館に渡り五枚も揃ひます。(この辺から目的が、ややズレ始めてゐる)
 よし、行かう!と昨日、日曜日。初めはバイクで三つ廻らうと思つたのですが、昼に娘とラーメンを食べてゐて、ふと日比谷にも行かうかな‥‥‥と思つてしまいました。
 三つある図書館で日比谷が一般貸し出し担当なのださうですが、何故か、都立図書館はインターネットでAV資料検索が出来ません。う〜ん。何故だ?と、困りつつも都立なら腐るほどCDがあるのではないか?(エライ人ならなんでも持つてゐると言ふ貧困発想)と、決めて向かいました。
 西武新宿線から丸の内線で霞ヶ関。階段を上がると野外音楽堂から、リハーサルの音が聞こえてきました。(この時リハーサルと思つてませんが)いきなり好みの曲です。ジャコパストリアスの『リバティシティ』好きな曲です。
 へえ〜今日はフュージョン系のバンドがやつてゐるのかな〜。と前を通ると当日券僅かにあり。15時半より立ち見のみと書いてあります。バンド名は発見できず。そのまま図書館へ。
 さて‥‥‥ありませんでした。掠りもしないって感じ。
 ア行は相川七瀬とか並んでゐて、別に相川七瀬に文句はありませんが、それなら地元の図書館でもTSUTAYAでもHMVでも腐るほど並んどるわい!と別に憤らなかつたけれど、所詮御上のやることなどこんなものさと、さっさと表へ出ました。
 すると、今度は歌声が流れてゐて、あれ?このメロディ歌声‥‥‥は、スタレビぢやん!
 いくところにスタレビあり‥‥‥って、二度目だけど、前は広島の青空。今は曇り空だけど、空に響くスタレビっていいな〜と思ふ。もう一度入り口のところへ行つて確認すると、当日券うんぬんの下に手書きでスターダストレビューと書いてありました。へえ〜『リバティシティ』なんて演奏してるんだと思ひつつ、見ちゃおうかなとも欲望にかられましたが、6500円、立ち見、曇り、ここ数日風邪気味、今日の目的を全然果たしてゐない!とネガティブな条件が立ち並び、前を通り過ぎました。
 でも、これから行く小竹図書館には確実にあるわけですから、余裕のヨッちゃん。桜田門まで歩いて、有楽町線で小竹向原へ。
 駅の構内表示に小竹図書館方面の出口もきちんと書いてあつて楽々。
 だったのに、階段を上がつて外へ出た真正面にトラップが仕掛けてありました。
 『小茂根図書館300m』と標識。もちろん矢印付き。
 あれ!?さっきまでちゃんと小竹図書館と書いてあったではないの?(両方書いてあつたのだと思ふが、目には入つてゐない)
 思はぬトラップにしばし戸惑ひました。いつものぼくなら、とにかく行っちゃえと行きます。そして、どんどん深みにはまるのですが、そこはそれ、一週間前に野毛山事件を起こしたばかりですから、慎重です。地下鉄がホームに入った方向性、改札へ上がり出口へ向かつた角度、じつくり頭の中で反芻して「違う!この矢印は逆だ!」と安手の探偵みたいに決めて、と言ふか小茂根図書館はそちらでせうが、小竹図書館は反対です。つまり小竹駅付近に図書館は二つあるのです!と結論づけて、反対へ歩き出しました。歩くこと数分。(内心不安)ありました!やったやったやった。エライエライエライエライ!
 さて、登録をしてCDの場所へ。ここには三枚の
浅川マキがある筈です。そのうち一枚は目的のデビューアルバム。
 ない‥‥‥。ないないない!
 一枚しかない!それは1996年版の「こんな風に過ぎて行くのなら」同タイトル曲の新録音を含めたアルバムです。この曲は好きな曲なので、すかさず手にしましたが、後二枚がない。とりわけ目的のアルバムがな〜い。館内の検索機で検索。一枚は書庫にあると、もう一枚は『ある』と出ました。え〜〜〜〜〜ないぢやん!調べてもらったけどわかりません。ケース持つてうろついてゐる人がゐるかもしれませんね!?と言ふ結論に達しました。うろついてたとしても、借りるためにケース持つてるのだらうから、早い者勝ちであきらめました。
 一枚は書庫から出してもらって二枚借りました。
 さて、次は江古田まで歩いて(小竹図書館は小竹向原と江古田の間にある)西武池袋線で中村橋へ、ここには貫井図書館があつて「
浅川マキ」と言ふアルバム?がある。そんなアルバムは聞いたことがないが、調べてもわからない。検索だとそう出る。
 いづれにしろ‥‥‥ない!ないないない〜!
 ので、館内検索機で調べる。
 これも書庫にありました。もう
浅川マキは書庫行きが基本なんですかね〜。それで「浅川マキ」は「浅川マキII」でした。おお、こいつはラッキー「少年」と「花いちもんめ」が入つてる。
 でも、デビューアルバム「
浅川マキの世界」にたどり着くことは出来ませんでした。残るは稲荷山図書館だが、これは徒歩だとつらい場所。バスはな〜。あるのは「黒い空間」これはライブなのかぁ〜?よくわからないし、目的の曲は入つてゐないので、行きませんでした。時間も時間だし、くたびれたし「黒い空間」‥‥‥。この人の1980年代後半からアルバムタイトル凄いんです。「夜のカーニバル」「BLACK」(借りた)「黒い空間」「闇の中に置き去りにして」集大成が「ダークネス123」て、探してるだけで暗くなります。
 そして、この症状?は帰つてから花開きます!?
 ぼくが、聴いてゐたのは、1975、6、7年あたりですから、借りて来たアルバム3枚のうち二枚は未知数。うち一枚「こんな風に過ぎて行くのなら」(1996年)は、先に記したとおり、曲は好きな曲ですが、歌ひ方がだいぶ違ひます。年齢と言へばそれまででせうが、何か、通り過ぎた感があります。でも、それはそれで、よかつたです。好きです。
 その次に聴いたのが「BLACK」これが、凄かつた。1991年で「こんな風に‥‥‥」より、前のアルバムですがね。怖いです。
ダーク、ダーカー、ダーケスト。ディープ、ディーパー、ディーペストって感じです。
 ハンガリーで「暗い日曜日」と言ふ曲が発表され、自殺者が続出して発禁になつたと言ふ事件があつたさうですが(
浅川マキも歌つてる)感情移入の問題なのですかね?ぼくはこの「BLACK」二枚組(二枚目は即興?タイトルは「無題」)辛かつたです。浅川マキは80年代から90年代にかけてここへ来てたんだと思ひました。アンダーグラウンド(アンド、アンダー、アンデスト!?なんですと〜!?‥‥‥失礼)を極めてしまつた!?と言へばよろしいのでせうか。暗く深い闇の奥底から、声が聞こえてくる感じです。気分が落ち込んできてしまつたので、飛ばし飛ばし聴いてしまいました。
 でも、よせばいいのに「
浅川マキII」を聴いて懐かしい気分になつた後にまた聴いてしまいました。おいおい、さらに気分が悪くなり、なんで翌日(すなわち今日)が誕生日なのに、こんな気分にならなあかんの?と思ひながら床に就きました。
 そうしたら、そのとたん!ここ数日猛威を振るつてゐた季節外れの蚊が、耳もとでプ〜ン!
 でぇ〜〜〜〜!許さん!蚊取り線香直接攻撃ぢやあ!今の俺をただの俺と思ったら大間違ひやでぇ〜!ブラックや〜!そんな俺のそばへ来たことを後悔させてやる〜っ!
 と、大殺戮!
 部屋が煙くなり咳まで出ました。

 あ、そうそう。目的の曲は「ちっちゃな時から」
 とにかく、清瀬は狙ふとして、今度は中古CD屋でも探してみやうかな。