バイク倒し事件その後2005年11月01日 14時20分45秒

上の映像の権利は株式会社サンライズにあります。転載禁です。

 stupid girlさんもやってたですか、バイク倒し事件。10日とはまた泣きですね。ぼくはもう5ヶ月たってますから、泣いては行けませんかね。実は丁度あの日、バイクを長家から出した時。ずいぶん汚れたな、洗ってやらんとなと、思ったのです。倒したのは、10分後ぐらいかな。思うだけではいかんとです。でも、まだ洗っとらんけど‥‥‥‥。
 なので、さらなる‥‥‥‥といふか、バイク起こし事件の結果が判明しました。数年前より、通い続けてゐる気功整体の先生に見てもらったところ、まずは、左の肩の方が炎症が激しいねと言いながら、背骨のズレなど直してもらいつつ、しまいに左の肩をギコギコさすりながら「長くかかるかもしれないね〜」と、言います。左肩の靱帯(じんたい)がのびちゃってるんだそうで、道理で腕が『何か変』だと思いました。
 人間不思議なもので、言われるとその気になつてしまいます。重いものを持ったりした時、痛かったのですが、そのうち直るだろうと、気にしてなかったのですが、とたんになるべく負担をかけまいと、左手に持ったものを右手に持ち替えたり、心なしか、痛みが増したような気もして、だるさ3倍。リュックを背負うと、左肩が圧迫されて、鈍痛なのですが、それも、気にしてなかったのに、急に右側だけで掛けたり(ぼくは肩幅が狭いので、すぐ落ちて面倒)バイクのセンタースタンドをかける時、ハンドルをちょっとひくために左手に負担がかかるのですが、だから、しばらく乗れないなとか‥‥‥‥。すっかり『けが人モード』です。

 そんなけふこのごろ‥‥‥‥。

 なんとなく体がぎこちないので、ついでに居心地の悪いことを‥‥‥‥。
 このところの自ら民の集団ですな〜。『自ら民』は、明らかにぼくの訳し違いですけど、本当はフリーダムなんとかといふらしいです。フリーダムって自由ですよね〜。自由な集団が造反分子の粛正とかするんですかね〜。なんとなく全学連のリンチを思い起こさせます。あるいは旧ソ連の強制収容ですかな〜。反対するまでもなく『従わなかったら』シベリア送りですからね〜。実際に犯罪を犯したとなれば、処分が必要でしょう。(仕方の問題はともかくとして)だけど、みんなが上げてるのに手を上げなかったから、みんなが誉める人を誉めなかったから、お前気に入らない!
 って、どこにそんな世界があるのだろう?なんだか、凄く神経に触るおぞましさを感じます。
 しかも、出て行くと決心してゐる人を待たせて置いて、出て行け!の声をわざわざ聞かせてから出て行かせる!?

Oある日
 社員1「こんな会社嫌いだ!やめてやる!」
 上司 「まあまあ、押さえて押さえて、短気にならないで」
 社員1「わかりました。考えます」

O翌日
 上司 「お前、嫌われたみたい。クビだって」
 社員1「なぬ〜〜〜〜〜〜!?」

 みたいな感じ。
 つまり、誰が法律(エライ)か、身の底まで叩き込んでやるぜっ‥‥‥‥って。
 古来!?『裁くのは俺だ!』なんてのはアウトローな奴が、杓子定規な法律にはまった庶民のために、おごり高ぶる権力者に向かって吐いたりした言葉だと思う。見栄と負け惜しみとそして誇りとが綯い交ぜ(ないまぜ)になった切ないセリフだ。
 権力者がこんなセリフを吐いたって、そりゃあ弱いものいぢめ以外のなにものでもないでしょ。
 『俺が法律だ』といふセリフは『本当は違うけど』といふ注釈が含まれてゐて成立するものです。
 力のある奴が、それをやる時、人は暴君と言って怖がるし、嫌います。(陰でね)
 今回の出来事はそれほど大袈裟なことでは無いと思うけれど、気になります。
 処分された人たちと縁もゆかりもない。興味もない。吉野家もない。だけど、とにかく居心地が悪い。

 と、不穏に終わりたく無いので、喜びネタをひとつ!
 昨日、東武練馬と上板橋の間の某所へ『演出』の講議に行きました。
 みんな熱心で嬉しい限り。でも、喜びネタはそれと関係なく、コインパーキング!
 1時間100円!!!!!!!!!!おお〜〜〜!す〜ば〜ら〜しい〜〜!
 道の両側で競い合った結果でしょうか?片側は30分100円。でも満車。
 ラッキーなことに1時間100円に一台空き!止めましたぜ。午後1時前に止めて6時過ぎまで!(こんなに長くなるとは思わなかったけど)でも600円!やった!やった!やんややんや!
 だって、最近よく行く世田ヶ谷某所近辺は15分100円だぜ!こりゃ止められんよ。といふわけで、その後、世田ヶ谷まで行ったのですが、ロクに仕事もせず、30分ぐらいで帰っちゃった。それでも200円取られたぜ!
 って、せっかくの喜びネタで終わらんといかんぢやない‥‥‥‥。

えすえふ ど ふらんせ け ら ばたいゆ2005年11月02日 09時16分39秒

 変な映画に惹かれるのか?変なタイトルに惹かれるのか?もはや自分でもわからない。『エイリアン VS ヴァネッサ パラディ』を見てしまった。もちろん原題は違う。『アトミックサーカスまたは帰ってきたジェームズ バタイユ』だ。「または」は勝手につけてしまった。(フランス語だしよくわからなかったので)まあ、どうでもいいと思う。でも、原題もなかなかだと思う。アトミックサーカスだけではダメだ。
 これは南米なのだろうか?意味不明の町を舞台にした意味不明の物語だ。でも、もしも宇宙人が攻めて来たのなら、案外こんな感じなのかも知れない。言葉も通じないし、何をしたいのか解らないのだから。
 フランス映画で、南米と言えば『恐怖の報酬』と『ラムの大通り』が浮かぶ。熱気と汗とホコリが妙に合う。
 でもジェームズ バタイユはイギリス人のカスケーダーだ!(フランス語を話してたけど)ジェイソン フレミング。こいつ地味だけど、いい役者だ。フランス人だと、ヴァンサン カッセルとかマチュー カソビッツあたりだろうか。適度なかっこよさと頼りなさがあって、いい感じだ。
 終わって劇場を出た後、ヴァネッサの歌う「ジェ〜ムズ(うんちゃうんちゃ)バタ〜イユ」といふ歌詞が思わず口をついて出る。
 特撮がどういうわけか良くできてゐる。
 でも、この映画。一体誰に見てもらいたいのだろう?何を作りたかったのだろう?さっぱりわからない。アメリカ映画に時々ある『おバカ映画』とも違う。ギャグやナンセンス、ブラックコメディの要素もあるが、かなり真剣な映画だ。うさん臭さいっぱいで怪し過ぎる映画だ。ぼくはそこそこ面白かったが、決して滅茶苦茶面白くはない。正常な人間がみたら面白いと言ふだろうか?
 ヴァネッサ パラディファンのための映画?(風の到る土地の風景の中のヴァネッサはいいです)ヴァネッサパラディと銘打ってゐるのは邦題だけです。日本にどれくらいファンがゐるのだろう?
 と、まあ、悩んでも仕方ない。最近のSFシリーズ!?としては、ぼくはこれをイチオシにしよう。

 考え込むダチョウ。
「じぇえむず‥‥‥」
「ばたいゆ‥‥‥?」
注)『エイリアン VS ヴァネッサ パラディ』にダチョウは出てきません。
 さりげなく野毛山シリーズ第六弾です。数えました。

小僧の神様2005年11月04日 00時52分01秒

昨年の今頃か?自分撮影に凝ってゐた。

 この間、ベテランのアニメーターであり、演出家であり、なによりもアニメ界のご意見番である。TO様と話をした。「今のシナリオライターの方たちは子供の頃『国語』は出来たのかな〜?出来てないんぢゃないの?」
 思わず笑ってしまった。とはいへ、シナリオも書く演出家のぼくとしては、ヒヤリともしたが。「やはり4とか5はとってたのでないと無理ではないの?」と続く。「だって、アニメーターだって美術(図画工作)で、4とか5をとってないとなれないでしょう」と一刀両断だ。ちなみに5段階評価です。
 ぼくはといふと、国語は怪しかった。作文を誉められたことは無い!なので、脚本は演出家としてカバーする前提で書いてゐる。(言い訳に聞こえるよね)とはいへ、スタッフに読んで理解してもらわねばならないのは同じことだ。今時、出来上がったらばっちりだから!なんて言っても納得してくれる人はゐない。だから、そこそこ苦労する。そして、どうなるかといふと、あ〜だこうだと口で説明することになる。『ここはこうなるから、これはかういふ意味だから』しまいには『う〜ん。盛り上がる筈だから‥‥‥。』と、はなはだ心もとない。書いてるんだか、言い繕ってゐるのだか‥‥‥。
 だからといふわけではない。何故だかわからない。志賀直哉の短編集を読んだ。
 志賀直哉が日本文学界でどう評価されてゐるのか知らない。
 ぼくは『美しい』と思った。文章とはこれだよな〜。(『な〜』なんて文章ではないな)
 たまにはこんな文章を読まないと、言語そのものが崩壊するのではないかと改めて思った。
 『小僧の神様(他十篇)』岩波文庫。
 「小僧の神様」(大正8年12月)
 「正義派」(明治45年1月)
 「赤西蠣太」(大正6年8月)
 「母の死と新しい母」(明治45年1月)
 「清兵衛と瓢箪」(大正元年12月)
 「范の犯罪」(大正2年9月)
 「城の崎(きのさき)にて」(大正6年4月)
 「好人物の夫婦」(大正6年7月)
 「流行感冒」(大正8年3月)
 「たき火」(大正9年3月)
 「真鶴」(大正9年8月)
 『美しい』と言ったが、これは現代語訳である。語訳はおおげさだ‥‥‥現代語表記とするべきだ。それでも、美しさに変わりはない。
 最近テレビで「昭和の匂いがするよぉ」なんて、ややバカにした(若干のノスタルジーもあるが)セリフを聞くことがあるけれど‥‥‥。その前には大正や明治があったのだ。
 当たり前だけど。

 それから「最近の若いもんは」と言ふ文句、嘆きに対し、いつの時代も年寄りはさう言った。いつだって若者は同じだ。歴史は繰り返す。などと『変わらないこと』が強調されるが、ぼくはそうは思わない。

 昔(何年前とは言わないが)嘆きの対象となった若者たちは、年齢を重ねても、反省することはなく、つまり違う意味で変化すること無く、社会的地位を得てなお薄弱なまま振る舞い、その結果世の中を加速度的に悪くしてゐる。

 断言する。ぼくがそうだから自信がある。
 幸か不幸か、ぼくは直接的に世の中を悪くするほど地位がないが、きっとどこかで、質を下げてゐると思う。
 子供のまま大人になってしまった連中が、子供らしさを失わないことは美徳だと、筋を変えてしまった。確かにその一面はあるが、美化し過ぎだ。傍若無人なまま大人になることとは意味が違う。
 やっとそれに気がついた。30年ぐらいかかってほんの少しだけ大人になったのかも知れない。でなければ志賀直哉の本など手にとることもなかっただろう。
 いまからでも遅くないと思おう。国語の勉強だ。

 作品はどれも読みやすく面白い。古い感じなどしない。もちろん時代的に風景の差はある。(それも良い)でも、作風などむしろ斬新な作品もある。小僧の神様など、文庫で13〜4ページの作品だが、終わり近く突然『わたし(作者)』が、語りだす。この後はこれこれ、こんな風に話を進めることも考えたが、ここで終わることにすると。
 おりゃ〜。凄い。全体に自分の周りのことを語る作品以外は、投げ出し方が小気味いい。短編ならではなのか。
 それに登場人物の感情など、今と同じで何ら変わることも無い。当たり前と言えば当たり前だが、たった今『変わらない』は間違ってゐると声高に断言したのはなんなの?となるので、補足する。
 どうやら吸っていた空気が違うようなのだ。景色が違うと書いたが、それとも違う。空気とは社会の空気だ。生活の欲求の差とも言える。
 それは、小説の中身の問題ではないのでは?文章に関係なく当時と今の世情が違うだけぢやない。と言われますかな?
 その通りです。だから、志賀直哉を読むことには二つの意味が合ったのです。
 文章の美しさを知る。この空気のよさを知る。

 さて、どうしようと考えるのはこれからです。

P.S.
 そしてTO様は突然ぼくに「アニメーター志望だった?」と聞いた。「え!?」と驚きつつ「初めから演出希望でしたよ」と答えると「星描かない?」って、会話がつながっとらんやんけ‥‥‥。
 TO様は締め切りのカラーイラストを描いていて、その背景の星をやれと。
 まあ、筆でピッピッとはじくだけなので、ぼくにも出来るかなとやりました。どうせやるなら、上手に描くぞと気張ってはみたけれど、自己評価60点。
 それでも、TO様は「いいじゃない」と笑ってゐた。厳しいことも言ふが、基本的にはおおらかな人なのだ。

つれづれに痛み2005年11月05日 13時57分18秒

 先日、某スタジオのしちょく社長にあった。
 しちょく社長は、あえてぼくの後輩と言わせていただくが、今では実力十分、貫禄十分な大社長だ。
 数多くのヒット作を生み出してゐる。
 そのうちのとある作品にうちの娘がはまってゐるよと話をしたら、なんと最新のDVDを送って来てくれた。
 わっとびっくり。気ィつかってもらってごめんね。
 娘は、喜びと戸惑いで絶叫しておった。
 どうもありがとう。取りあえず、この場でもお礼を言っておきます。

 ちなみに娘はとうざん監督(父さんではない)と、くわのへ監督を尊敬してる。(尊敬はオーバーかも知れんが)以前とうざん監督のサインをもらったときも大興奮だったな。これも強請(ねだ)ったわけではないのだが、周りが気を使ってくれたのだ。でも、とうざん監督はともかく、くわのへ監督はぼくの後輩だからな〜。みんなどんどん凄腕になってゆくのは、いいことだが、ぼくももらってばかりではいかんかも。

 ブログ書いてゐるより、仕事しろかね〜。

 ところで、取り留めも無く話は続くが、ファクシミリがおかしくなった。
 ISDNなんだけどさ、一昨日家へ帰ったらターミナルのアクセスランプが、全部点滅してるの。
 電話がかかってるわけでもないのに、これはなんだ〜?
 NTTへ問い合わせてみようと思ったが今日も忘れてしまった。
 受話器をとるとズキュブジュ〜〜〜ピギュ〜と唸り続けだし、仕方ないので、端末はずしちゃた。こいつ何かに取り憑かれてんのって感じ。
 昨晩は昨晩で、ミシミシと怪しい音がして、猫のリンは走り出すし、クーは一点を見つめるし、何か来たのかな〜。多少騒ぐのは仕方ないとして、ファクシミリを壊すのはやめて欲しい。

 さらにところで、2年前から痛んでゐた歯の治療をようやく始めた。痛い歯が特定できたからだ!いままでは、右下奥から2番目の歯なんだが、いままでは一番奥が痛いのかその手間が痛いのか判別できなかったのだ。歯科医もあきれただろうが、わからなかったものは仕方が無い。両方とも過去に治療しており、一番奥は神経も取ってゐるのだ!?だから痛むとは考えられませんね。と言われるし、さらに痛い割にはレントゲンを撮ってもそれらしい症状が見られず。歯科医も首をかしげてゐたぐらいだ。可能性としては‥‥‥‥。と不確かなまま、治療開始!
 麻酔を打って‥‥‥‥。
 これが効かない‥‥‥。痛い。やり直し。
 奥歯は効きにくいんですよね。などと言われつつ、つごう3回打ったが、痛い!
 なんといふことでしょう。
 よく酒飲みは麻酔が効かないとかいふけれど、ぼくは飲まない。
 しかし、いまさらやめるわけにもいかず。少しずつやってみましょう!なんて先生は決断。
 う〜〜〜〜。ぼくの決意は‥‥‥。
 まあ、でも、思わず頷いてしまった。
 で、開始!とにかく開始!

 ウィ〜〜〜〜〜〜ン。
 いや、間違い。

ウィン。ピキィ−−−−−ッ!
 と、いふぐらいなもんで、神経に直通な直痛!
 んぎょ〜〜〜!
 口を開けているからもちろんしゃべれない。だけど、全身が反応してしまうので、先生にもわかります。
「痛いですか。痛いですよね〜」といふが、その手は止まらないぜ!

ウィンッピキ!ウィンッピキ!ウィンッピキ!ウィンウィンウィンッピキピキピキ‥‥‥‥
 全身硬直したあげくついにお手上げ。肩からではなく、手首からロバ君のように両手を上げました。まさしくお手上げ。意思と関係なく!ぱきっ!って感じ。
 さすがに先生。手を止めて、でもまだまだやるぜ!って感じで、こんどは歯の中に(つまり神経なんだろうな〜)直接麻酔を打つ!

キュ〜〜〜!ぢょ〜〜〜〜!
ウィンッピキ!ウィンッピキ!打つ!ピキュ!ぢょ!ウィンッピキ!ウィンッピキ!打つ!打つ!ピキュ!ぢょ!ウィンウィンウィンッピキピクピキョ!打つ!打つ!ぢよ〜〜!ウィ〜〜〜〜〜ン!ピキミリ〜〜〜!ウィ、ピ!ウィ、ピ!ウィウィウィン!ピキュ−キュギュキュ−!ウィウィウィウィウィウィウィ!キュキュキュル〜ピミュニュぎょ〜!にゅぎゃにゅぎゃにゅがぎゅる〜!ウィ〜ジュ、ジュジュジュンギュ〜!ジョジョジョジョ〜!ピピにゃぎゅわり〜!
 てな具合に拷問は続く。何度もう帰ると言ひかけたことか‥‥‥‥。
 そして、ようやく顎が痛いことに気づいた。ぼくは、19の頃、顎が外れかけたことがある。怖いよ〜。
 で、顎に力を入れて耐えた。
 お昼前で、先生もさぞかし空腹だったことだろう。その空腹感がより狂暴性を増させたのかも知れない。
 とにかく、その日の治療は終わった。最後までがまんしたぼくはエライッ!‥‥‥‥って、途中でやめたらもっと大変だ。穴をあけて神経むき出しの歯をほおっておくわけにもゆかぬ。
 2〜3日痛かったが、少しはおさまった。

 歯医者で思い出すのは、やはりこれだろう。