ごぶさたしましたん。2006年02月01日 21時11分56秒

 コメントくれた方々ありがたう。
 やや危ぶまれましたが、再開第一日目、載せられそうです。
 でもまあ(何が「でも」なのか?何が「まあ」なのか?まあ)けふは謹慎あけ一発目といふことで、優等生的にやつてみやうかと思ふ?この二ヶ月の間に社会派になつたのだ!?凄い!??
 なにしろ、誰が勝手に謹慎してゐやうと、世の中ではいろいろな事が起こる。気のせいか、ぼくの謹慎中は様々な事象がキャパシティーを越えはじめて、ズリズリを滑りはじめた感がある。良いか悪いかはわからない。でも、自然治癒といふのは確かにあつて、それは人の心が生むものなのだなと思ふ。病いは陥るも治すも気からなのか。

 さて、小学生の頃、先生に新聞を読めと言はれた。
 毎日毎日隅々まで読んで社会を勉強して知識を身につければ東大に合格できる!
 とまで、言はれたやうな気もするし、東大以降は記憶の増幅かも知れない。
 いづれにしろ、ぼくは読まなかつた。先生ごめんなさい。そして、当然習慣にはならなかつた。
 そのころ家では天下の朝日新聞をとつてゐたが、テレビ欄しかみなかつた。親父が野球ファン、熱烈なジャイアンツファンだつたので、家の新聞はいつの間にか読売新聞に変はつてゐたが、ぼくにとつては同じだつた。そもそも何故最初から読売新聞でなかつたのかが謎である。
 中学に入り、映画が好きになると、テレビ欄よりも夕刊の映画広告が気を引いた。金曜日は映画広告が多いので、特に楽しみだつた。まあ、小学校時代の先生の言つてゐたこととはかなり意味が違ふが、とにかく夕刊は毎日めくつた。ぼくの、新聞スクラップのはじまりだ。
 しかし、一人暮らしを始めた時、新聞はとらなかつた。そもそも、読む習慣がないのだから、そんなものにお金を払ふ気にはなれなかつたわけだ。ぼくの、新聞の映画広告スクラップ趣味はそこで、終はつたのだ。と、今、気が付いた。さうか。別に仕事を始めて忙しかつたからとか、さういふ訳ではなく、ただ、新聞をとらなかつたからなんだ。なるほど。 その程度の趣味だつたのか‥‥‥‥。
 とまれ、新聞を読まなくても大人にはなつてしまつた。昨今三大新聞の堕落とか話題になることもあるが、ぼくにはあまり関係がない。
 だが、結婚後、おかぴは新聞を読む習慣があつたので、我が家には新聞がある。完全に任せつきりだが、朝日、毎日、読売の三紙を、半年ごととかで、変へてゐる。これは、悲しくも一生懸命な新聞屋さんへの営業対策だ。考えてみると一人暮らしの頃、新聞勧誘を無碍(むげ)に断つてゐたなあ〜。『読まないからいらないよっ』バタン(ドア閉める)てなもんで、取りつく島もなし。離れて行くおっちゃんが『サイテーだ!』とか喚いてゐるの聞こえたこともあつたな。すまんね。でもホントにゐらないんだもん。
 で、今現在我が家には毎日新聞がくる。毎日新聞は薄い。と、おかぴには目方で減点されてゐるが、1月6日の夕刊に素晴らしい記事が載つてゐたので、どうしても紹介する。
 あれ?新聞読まないのに?と思つた人は正しい。
 ぼくは、その後日、インターネットで、この記事の存在を知つたのだ。とある方が自分の記事の一部を紹介してゐた。
 そして、家でとつてゐるのが毎日新聞であると、確認し、数日分掘り返し探し出した。
 読んだ。
 涙した。
 これが、その記事だ!

 でも、まあこれでは読み難いと思ふので、ここ「貫く石川文洋さん(毎日新聞のサイト内)」へ行つて下さい。是非読んでね。
 以前にも書いたと思ふ。写真家石川文洋さんの「戦場カメラマン」は、まるで辞書のようなボリュームのある文庫本。ボリュームはその物理的な厚みだけでなく、ぼくの奥歯をガタガタ言はせました。テレビ番組のベトナムルポで見た事がありますが、老若男女誰にでも非常に丁寧に会話をする方です。尊敬してゐるくせに追っかけではないので、久しぶりです。いまさらホームページまで見つけてしまいました。でも、何はともあれ毎日新聞の記事を見てね。
 まあ、見てね見てねではあまりにも投げ捨てなので、記事の最後にある言葉だけ書いてをきます。
 石川文洋さんの言葉。
 (一部抜粋)『私は最後の一人になっても言い続けますよ。軍隊はいりません』(抜粋終はり)
 ちなみに今更ですが、阿弥音の外国語表記は army-non です。英語と仏語が混ざつとりますが、意味は明確『軍隊いやん』です。 navy ならいいのかと突つ込みはしないでください。

 とまあ、先ほど新聞の堕落などと解りもしない事を書きましたが、かのやうの記事が載る限り新聞も捨てたものではないなと不遜にも思ひます。でもまたしかし!世の中の皮肉といふか、理不尽といふか、笑ふしかない単なる偶然なんですが、この記事の裏側、つまり第一面なんですが、その記事がこれです。

 これは、オリンピックに向けて日本橋の上を覆ふ首都高速を移転するなら、視界の開けた日本橋に自分の記念碑を作ろう!作れ!?といふおふざけたお方の記事です。
 毎日新聞さま『?』が小さいです。新聞たるもの冷静客観中立を意識したのかも知れませんが、そもそもいつの頃からか中立のセンターラインが大きく反対側へそれてしまつたのです。だから、いいんです。10倍ぐらい大きくても立派に中立だと思ひます。

 とまあ、かなりエラソーに再開してみましたが、その後相変はらず新聞読んどりません。やはり新聞を読むといふのは習慣にしないとダメなものです。

コニカ〜!2006年02月02日 23時41分59秒

 コニカミノルタが、カメラ/フォト事業を終了するといふ!

 なんだか寂しいニュースだ。

 以前なぐなぐ様のコメントに返事した事もありましたが、ぼくはフイルムはコニカ派。正確にいふと1999年の年末からコニカフイルムにぞっこんなのだ。CENTURIAといふ奴だ。
 ベストな組み合はせは、いつかモノ自慢で紹介したフジペットと400だ。フジなのにコニカだ。
 1999年とはずいぶん最近だが、20数年遡つて、インドネシアの満員バスの中で盗まれたカメラは姉のコニカだ。
 しかし、コニカミノルタがカメラとフイルムをやめたら何が残るのだ?よくわからない。

 そもそもカメラに興味を持ち始めた頃は、ご多分にもれずコダックにあこがれた。オレンジ色の憎い奴だ。ジープでアメリカさんハフドゥユドゥ、てなもんで、ギブミーチョコレート同様占領民から見たら後光が射してた。でもお値段で言へばやはり国産品フジと小西六(さくら)だ。フジはトヨタ車みたいなもので、優等生な感じがした。となるとやはり昔からコニカ(小西六)だつたんだ。ややこじつけだ。コダックもフジもサクラも使つてた。
 で、また話は1999年に戻るが、同じ頃、もう一つの好みフイルムはアグファだつた。なんとも色あせたやうな、乾いた色合ひがたまらなかつたのだ。コニカと対照的だつた。
 そのアグファも昨年消えちまつた。ぼくが好きになると消えてしまうのか、くれぐれもぼくには好かれるな!と今更言つても遅いぜベイビー。
 アニメ界ではすでに『セル』が消えちまつた。そいつはそいつで、悲しくもあり、現実的にいろいろ試行錯誤もさせられたが、この世からフイルムが消えちまつたら、セルの比ではない。寂しすぎる。これが、世の流れなのか?とあきらめないでイリオモテヤマネコなんかんと一緒にレッドデータ扱ひにして欲しいぜ。

 なんだか、焦つてるのは、今日が終はつちまうからだ。
 つづくかどうかわかんないけど、つづく。

傘の旅2006年02月03日 23時09分59秒

 寒っ!!
 寒すぎる。出掛けた時は暖かかつたのに、冷たい強風が、バイクにぶち当たつて怖かつたぜ、キーボードを打つ手が、うまく動かない。

 と、まあ、現在の状況は『傘の旅』と関係ありません。

 写真は1月21日。東京地方に雪が降つた日であります。

 その日。

 井の頭線に傘を忘れた。

 雪が降つてゐる真つ最中に忘れるのだから、かなりおバカである。
 吉祥寺から明大前へ、京王線に乗り換へて下高井戸まで行くといふコースの、京王線明大前のホームではたと気がついた。

 と、ここで話は少々脱線するが(鉄道の話をしてゐて脱線とは言葉の使ひ方に配慮が無い)明大前から下高井戸へ行くのは注意が必要だ。うかつにしてゐてはいけない。実際注意してゐる人は少ないと思ふが、ぼくは2、3度失敗してゐる。
 京王線の凄いところは、特急、急行、快速、その他いろいろ種類が豊富な事である。明大前には全種類止まるが下高井戸に止まるのは各駅停車と快速だ。
 ここで、油断の話といふか思ひ込みの問題なんだが、特急や急行には乗つてはダメだと認識してゐるが、どうもぼくの中には『乗つてはいけない電車の次に来た電車に無条件で乗つてしまう』といふ不思議な条件反射が、内蔵されてゐるみたいなのだ。
 ホームで本など読んでゐるときは効果覿面(てきめん、こんな字だつたんだ)だ。
 京王線は、特急の後に急行(通勤快速かな、準特急といふのもある)が来たりする。つまり2台続けて下高井戸に止まらない電車が来る事がよくあるのだ。それを確認しないで乗つてしまい。気がつくと桜上水にゐるといふことになる。

 といふ訳で、最近ぼくは明大前では必ず電車の種類を確認するといふ細心の注意を払つてゐるのだ。(当たり前かも知れぬが)
 おかげで!?ぼくはこの日、傘を忘れた事に気がついた。丁度各駅停車が入つて来たところだつた。
 うっ!
 悩んだ。
 つまり、今すぐ探す。仕事が終はつてから探す。あきらめる。など頭の中を駆け巡つた。
 傘は、以前ブログで紹介した『43120』ネーム入りのカーボン傘だ!買つたばかり。

 ところで、また少々脱線するが、ぼくは西武新宿線上井草駅のホームに雨具を、東伏見の改札の外に帽子を忘れた事がある。それらはそれぞれ両駅で保管されてゐて、無事戻つたが、雨具も帽子もかなりボロボロの品でよくぞゴミと間違えられなかつたといふぐらいの代物で恥づかしかつた。それでも、取りに行かなければホントにただのゴミで邪魔なだけになるから迷惑といふものだ。渋谷某所で眼鏡ケースを無くした事がある。これは1週間後になつて探したので、出てこなかつた。確かにそこの店に忘れたといふ確証もない。
 なので、探し物は早くといふのが鉄則だ!
 まあ、そんなに力をこめていふほどのことでもないが。

 とりあえず井の頭線に戻り渋谷へ行く事にした。
 渋谷駅の改札の横で忘れ物しました〜。といふと、あそこでお願いします。と、遺失物捜索願の部屋を指差される。改札の外だつた。やはり電車賃は払つてからなのねと思ひつつ。出てから鉄製の扉をノックして入る。
 若い女性が待つてゐて(別に待つてゐたわけではないか)忘れ物しました。(ぼくは宿題を忘れましたみたいな恥づかしさ?)と手続きをとる。
 吉祥寺発何時何分の急行の渋谷側二両目の一番前のドアの横の手すりにかかつてます。把手に番号が書いてありますとよどみなく説明すると、どんな傘ですか?と聞かれてしまう。おお、しまつた!説明が足りなかつた。さらに色は?おお!改めて聞かれると何色だつたか!?
 薄い茶色です。と答えつつ、あの色を茶色と説明して勘違ひしないだらうかと気になる。ベージュといふべきだらうか?それともラクダ色?でも、微妙に違ふと思ふ、デジタル化の波で最近使はれなくなりつつあるが、セル絵の具の番号でなら言へるかも知れんが、京王電鉄の職員にYR系と言つても解る訳が無い。車両番号と思はれてしまうかも知れない。
 でも、把手は茶色で番号は黄色で大きく書いてあります。と、自信のある部分を強調した。物事を正確に伝えるのはむづかしい。
 さて、ダイヤグラムを確認してその電車はもうすぐ吉祥寺に着くので調べてもらいますと言はれる。ただ、吉祥寺で保管するので、そちらへ取りに行つてもらう事になるのですが、と、もしかすると申し訳なささうに言つた。まあ、行つたり来たりで、少し同情してくれたのか。
 ともあれ早速電話。向こうでどんな方が、応対したのかはわからないが、こちらの女性が遺失物のうんたらです。と言つたあと微妙な間で、ぐふふと笑ひをもらしながら「そうです傘です」と答えた。雪や雨の日には、こんな電話が行き交ふのだらう。
 よく雨の日に聞く「雨の日には傘の忘れ物が多くなっております」といふ車内放送の裏をとつたぜ。

 ぼくはその電車が吉祥寺に着くまで、その部屋で待つた。その間に別の忘れ傘が駅員さんの手により届いたり。
 そして一人女性が飛び込んで来た。
 傘忘れちゃった〜。と元気に飛び込んで来た女性は、今の電車、今の電車の一番前のイスの横にかけちゃったのよ〜と、続けた。担当の女性はなんとか口をはさみ、各駅停車ですかとか聞いてゐるが、飛び込み女性は(電車の話題で飛び込みといふ言葉選びも配慮がたりないか)聞く耳持たず。それでさあ、渋谷で受け取りたいんだけどと、有無を言はさず続けた。担当の女性は『今の』の電車が吉祥寺に戻る時間を確認しつつ、先ほどのぼくの時の様に吉祥寺に着いたところで、調べてもらいますからと言ひたかつたのだらうけど、飛び込み女性のマイペースにしばし絶句。
 それから、吉祥寺へ取りに行かなければならぬことを説明すると、ええ〜なんで〜お金かかるぢゃないと不服な反応。どうせ電車行ったり来たりしてるんだから、出来ないの〜。そのままくればいいぢゃないと言ふ。え!?そのままかけてくるんですか?と担当女性の戸惑ひ。つまり探さず。手すりにかかつたまま往復させろと言つたのだと思つたのだろう。多分違ふと思ふ。この飛び込み女性は、運転士なり車掌なりが保管して戻つてこいと言つてゐるのだ。
 これは忘れた立場のぼくにはなんとなく解る、傘を見つけたら車掌室に置いてピストン移送させるのだ。考え方としては合理的だと思ふ。しかし、それは鉄道会社のサービスではなからう。余計な負担といふものだ。まさか、それが事故につながる事もなからうが、思はぬ失策につながらないとも限らない。そのための専門職員を作る訳にも行くまい。宅配便ではない。担当女性も遺失物の移送はしてゐないのです。とすまなさうに答える。
 え〜〜〜〜。としばし(多分悩んだ。考えた)のち「じゃあいいわ」と出て行つてしまつた。傘が持ち主に戻らないことが決まつた瞬間である。
 それはそれとして、ずいぶんと横柄だなあ〜と思つた。忘れたのは自分だが、相手がなんでもしてくれるのが当たり前と思つてゐるやうだ。これが、平均的な人々の考え方なのかもしれないなとも思つた。いやあ〜こんな応対を続けてゐるのだとしたら、担当の人は大変だな〜と思ふ。
 せいぜい思ひ切り傘を忘れた奴を笑へばいいと思ふ。

 ところで、この日は雪のためダイヤは乱れ気味で、付いた電車は即折り返し!てな具合に、吉祥寺駅での確認は出来ず(せず?)ぼくの傘を乗せた電車は渋谷へ向かつてしまつた!
 すいません。と担当女性。何時何分渋谷着予定なんですが‥‥‥。あまり待たせてはと思つたのだらう。渋谷では必ず調べますから、後で電話をいただけますか?と言はれる。正直言つて待つてもよかつたのだが、あんまりヒマだと思はれてもそれはそれで恥づかしいので、では、と言つてその場を去つた。

 傘43120は無事戻つた。

iPod 愛用2006年02月04日 22時47分19秒

 はばら様、いやいやNRこそオシャレでございます。最強色CB20の影をNRに落とす事もあるぐらいですから。

 さて、紹介文を変えてみました。でも、よくよく考えてみると『このブログについて』といふ内容にはなつとらんなと思ひます。でもまあ、しばらくこのままです。

 ま、それはさてをき。
 ぼくは2年ぐらい前から iPod 愛用者で、入れてあるのはほとんど手持ちCDからのコピーです。大体6000曲ぐらいシャッフルで聞いてます。手持ちCDでも、シャッフルで聞いてゐると新鮮です。買つてあまり聞いてゐないCDも多数あるので、なおさらです。しかし、シャッフルの仕方がどういふ仕組みになつてゐるのか解りませんが、割りと頻繁にかかるものがあつたり、おそらくまだ一度も順番が回つて来てゐない曲もあるのではないかと思ひます。つい最近、曲シャッフルをアルバムシャッフルに変えてみました。これもなかなかいいです。CD丸々一枚入つてゐるものもありますが、抜粋してゐるものもあるので、7〜800枚分ぐらいは入つてゐるのではないかと思ひます。2年間で、少し増えたぐらいで内容にほとんど変化がありませんが、飽きません。

 それで、今日また、新鮮に聞けたものがあつたので紹介。
 しかも、ちよいと勘違ひをしてゐたとろが、効能的!?

 と、その前に少々ズレて。

 今度の月曜日、FM NACK5午前中の番組のリクエストの特集が「聞くと元気の出る曲」だと思ひます。有名でもあまり知られてゐないものでも何でもいいと言つてました。元気が出る、勇気がわく、力が出るみたいな意味合ひだと思ひますが、ぼくはこのリクエストに真つ先に浮かぶ曲が2曲あります。もちろん他にも数え上げればたくさん出てくると思ひますが、とにかくこの2曲だけは条件反射的に浮かびます。
 ひとつはデボラハリー(ブロンディのボーカル。デビーハリー名義、デボラハリ—名義それぞれのソロアルバムがある)の『DEF DUMB & BLONDE』といふ放送禁止用語連発のアルバムに入つてゐる『Maybe For Sure』といふ曲。これはカナダのアニメーション映画『ロックンルール』といふ作品のクライマックスで流れる曲(主人公が歌ふ)でもあります。確か別テイク別タイトル!?

 もうひとつが、本日の本題につながるものでありますが、サイケデリックファーズの『フォーエバーナウ (Forever Now)』であります。知つてゐる人は少ないかもしれません。映画ファンなら『プリティインピンク』といふ映画を知つてゐるでせうか?モリーリングウォルド主演の青春ものです。その同名タイトル曲がサイケデリックファーズで劇中でも使はれてます。でも、何故か、挿入歌でヒットしたのはOMD(オーケストラルマヌーバースインザダーク/ Orchestral Manoeuvres In The Dark)の『イフユーリーブ (If You Leave) 』といふ曲です。これもいい曲ですが。
 それでも、この『 Pretty In Pink 』といふ曲は、有名かつ代表曲でありまして、数々のバージョンがあります。ぼくの持つてゐるものだけでも5バージョン(つまりCD化されてゐるもの)あります。これはこれで大好きな曲です。で、肝心の『 Forever Now 』ですが、曲の感じが『 Pretty In Pink 』に似てゐます。同じバンドのものですからよくあることです。なのにといふかでも『 Forever Now 』の方が特別に好きです。しかし、そう、しかし‥‥‥。『 Forever Now 』は『 Forever Now 』といふアルバムに入つとるんですが、それは特別な『 Forever Now 』ではないのです。
 わけわかりませんね。
 ぼくに滅茶苦茶元気をくれるのは、20年近く前にFMNHKで放送されたロンドンのライブの『 Forever Now 』なんです。 
 これがいい。
 この曲のおかげでどれだけ絵コンテが上がつた事か!?
 しかし、ずいぶんと探しましたがCD化はされてゐないやうなのです。エアチェックオープンテープからカセットへコピーしたものをひたすら聞き続けたので、ボロボロのびのびのヨレヨレであります。途中テープ引きつりに寄る『飛び』まで発生するやうになり、そのことでもどれだけぼくが頼りにしたか(酷使したか)わかります。数年前ハードディスクへコピー、カセットは処分。一番激しい引きつりは擬似的に修復しました。全体のよれよれ感はまんまです。その後、何度かのハードディスククラッシュにも奇跡的に生き続けてくれた『 Forever Now 』改めて聞くとカセットの使用限度を超えた感のある音に、ありがたうごめんねと言ひたくなります。

 この『 Forever Now 』と『 Maybe For Sure 』には共通点があります。両方ともエンドがあるのです。ライブはエンドしないわけにはいかないので、当たり前かもしれませんが、CD版『 Forever Now 』はF.O. なんです。別にF.O. が嫌ひなわけではないのですが、ライブ版『 Forever Now 』と『 Maybe For Sure 』のこれでもかといふやり切つた感のあるエンドが好きです。
 一体この音源どこから拾つて来たのよ!?といひたくなるぐらいいかがわしいライブ録音もCD化される昨今、これはだめですかね〜。おそらくイギリスの放送局で流したものをNHKが買つたのだと思ひますが、音源はどこかにあるんですよね。

 いまでも、CDショップに行くと、サイケデリックファーズは必ず探します。一時期一枚看板をもらつてゐたこともあるのですが、最近「Pコーナー」に存在しない事もありますね。

 ああ!このまま終はるところだつた!

 iPod の意外な効能の話だつた!

 え〜と、だから、今日の話だ。

 え〜と、いい曲が流れたんですわ。
 ボーカルはバーナードバトラーと言つて、デビッドボウイつぽい声なんですが、研ぎすまされた感は薄くもつと柔らかい触れ心地なんです。
 ああ、いいなあ〜サイケデリックファーズは〜。
 と、浸りましたが、曲名がわからない。(ぼくには珍しい事ではない)で、確認したら。
 これはバーナードバトラーが、1994年に『 Love Spit Love 』といふ別ユニットを組んで作つた『 Love Spit Love 』といふアルバムの中の『 Half A Life 』といふ曲でした。この別ユニットのアルバムは買つてからあまり聞いてゐなかつたんですね〜。
 と、新しい発見をするのだ!といふ話。

 P.S.
 5バージョンある『 Pretty In Pink 』の内、2曲はミックスの微妙な差があるけど同演奏の様子。エンドあり。2曲はライブ版とラジオセッションでエンドあり。1曲は映画用エンドなし。エンドありが4つ(実は3つ?)もあるが、普通のエンド。無理な盛り上げをしてゐない。『 Forever Now 』の方がテンポが速いんです。元気が出るのは追ひ立てられるから!?

 あ、そうそう。サイケデリックファーズのCDは全部処分してしまつたので(ひでぇ!)デボラハリーのジャケットです。