山手線2006年02月10日 22時57分08秒

 エリエールローションティシュー(アミノ酸プラス)を使つてる。天然保湿成分(アミノ酸)を配合。花粉症、風邪の時、花が赤くなりにくいティシューです。
 う〜ん。アミノ酸とは一体なんだらう?我ながら!?よくわからん。
 今年はまだ花粉のえじきにはなつておりませぬ。どうなることやら。
 ま、それはともかく迂闊なことに「イジワルケイライブ」逃してしまつた。おいおい。今さつきそろそろだよなと日付けを確認したら、終わつてんぢやん!やれやれ。まあ、その日は試験場で悪戦苦闘してたわけだけど、ライブの時間には間に合つたな。
 なんか、感慨深いものもあるな。懐かしきイジワルケイの日々。故郷は遠くなりにけり。
 今度、台湾でライブなんかどうすか?着ぐるみ隊を用意して、北京語バージョンなんか歌つたりして楽しくないすかね〜。となんか夢心地。

 さて、今日は忘れ物シリーズ第2段!?
 それは、制作進行の頃、といふか、ぼくの仕事始めは、お茶汲み、駐車場出し入れ、電話番だつたので、まともに作品の担当を持つまで1年ぐらいかかつた。2年かな?別に修行してたわけではなく(松田優作似の同僚はバンバン働いてゐた)何故か仕事にありつけなかつただけなんだが‥‥‥‥。
 ともあれ、まともな制作進行第1作は『女王陛下のプティアンジェ』といふやつだ。20数年前だよな。30年近いかしら。ぼくは外部から派遣された進行だつた。スケジュールはもちろんきつく睡眠不足の日々が続いたが、一人すこぶる遅れていただいたアニメーターがゐて(まあ、振り分けができなくて一番しんどいパートを無理矢理頼んだ方なので、無理も言へず)やつと最後の4〜5カットを受け取つた後のことである。細かいことは覚えてゐないので、推測だが、それらは海外行き(動画作業)が決まつてゐたのだらう。きちりと梱包したと思ふ。ただ、日曜であつたのだらうか?出すのは翌日。家へ持ち帰り直接手配するつもりであつたのだと思ふ。
 原画を受け取つた安心感でその日は爆睡したであらう。そして、その翌日。朝。
 が〜ん。といふよりはゾクゾクとした。梱包した原画がないのである。げげ〜!ないないないない!
 スケジュールを完全に潰してゐるので、かなりヤバい状態だ。
 具体的に言ふと、機関車が障害物に激突するといふヘビーなカットも入つてる。まづ〜〜〜〜。
 先程申したやうに派遣進行としては、かなり危うい立場である。
 苦しくなる胸を無視して記憶を振り絞る。
 もう考えてゐても仕方がない。とにかく昨日の順路を逆に辿るのだ!
 てなもんで、出発。電車に乗つてゐるうちに蘇る記憶。山手線だ!高田馬場から乗り換へた時に網棚に乗せたのだ!高田馬場、高田馬場、高田馬場はまだか!と、高まる鼓動。
 そして、ホームに立ち時刻表を見る。何時だ?おらは何時に乗つたんだ?会社を出たのは何時だ?と恐ろしい程に記憶中枢を呼び起こし、これだ!間違ひないこれだ!と、指差さなかつたけど、びしりと集中したその時刻の電車は大崎止まりだつた!そうだ!たしか大崎止まりだつた気がする!
 と、大崎へ!
 ここで、あつさり見つかつた。
 遺失物の書類には「マンガの原稿」と書いてあつた。今なら「アニメの原画」と書かれるのであらうか。
 よかつた〜。と心底安心した表情を見て駅員さんも「よかったね〜」としみじみ言つた。
 大崎止まりであつたことは本当に運がよかつたのだ。これが、山手線ぐるぐる回つてしまうとどこで回収されるかわからない。そして、通常回収された遺失物は神田(東京だつたかも)の遺失物保管所へ移動してしまうといふことだ。大崎の遺失物にも1日後には同様らしい。さうなると探すのにへたをすると1週間かかると言ふ。それも見つかればだ。見つからないこともあるだらう。
 そしてぼくは、周りには言はず、何ごともなかつた様に仕事を続けた。エライ。