ノーディレクションホーム ― 2006年02月21日 22時44分19秒

ブログを始めてから2度目のボブディラン映画。今度はずばりドキュメンタリーだ。
すべて過去の膨大なライブラリーを集めて編集した『東京裁判』以来の超絶な作品だ。(すいません。ちよつと比較してみたかつたので)3時間半といふ長さ(『東京裁判』は4時間半!)で、途中で休憩が入るといふマニア心をくすぐる上映方式?それだけでも見応え充分だが、監督マーチンスコセッシはさすが目線が痛烈。ただの音楽ドキュメントではない。まあ、いまさらボブディランのドキュメンタリーを作るといふのだから、お祭り映画を作つても仕方がない。
さて、ボブディランボブディランと繰り返しても、そもそもぼくはいつからボブディランを好きになつたかといふと、このドキュメンタリーのラストシーンよりもずっと後である。早くもネタバレである。ドキュメンタリーにネタバレも何もないかも知れないが、見たいと思つてゐる人はこの先は読まぬ方がいい。
目線が痛烈と書いたが、もう少しいふと、この映画は単にボブディランの生い立ちを語るとか、軌跡を追ふこととかは意図から外れてゐる。(もちろん無い訳ではないし、ロックとフォークの起源も紹介してゐる)ボブディランを通して『その時代』を切り取り『今の社会』を見つめ直してゐるんである。
ノーディレクションホームといふのは、帰り道を考えてゐないとでも訳せばいいのだらうか?この作品のテーマソングになつてゐる『ライクアローリングストーン』(繰り返し何度もかかる。歌ふ。訳が出てゐた筈だが忘れた‥‥‥ぼくの「勘訳」は当たらずとも遠からずだと思ふ)の歌詞の一部だ。映画を見るとわかるが、非常に押しつぶされた感情の吐露で、卑屈とも居直りともとれるが、過去なんかクソ食らえ、未来しか考えてないんだ!といふ投げやりのやうだが、胸に訴えてくる歌声が圧巻だ。
何を今更だが、この曲はぼくの中ではノーマークだつた。
さうなんだ、ぼくはそもそもフォークなんて、さほど好きではなかつた。『風に吹かれて』は知つてゐるけど、対して興味なかつたんだ。ぼくがボブディランを好きになつたのは、エレキギターを持つてから、しかも、しばらく立つてからなんだ。つまり、強烈なブーイングの嵐についにライブに立つことを止めたボブディランがそれでもひたすら曲を作り続けてゐたその頃からなんだ。だつて、エレキ以降のボブディランなんてほとんど日本にでは忘れられている!「ボブディラン=風に吹かれて」は、その後おそらく10年間は定番であり続けたと思ふ。おそらく久しぶりにボブディランが生きてゐることを知らせたのは1971年の『バングラデッシュのコンサート』ではないだろうか。このときボブディランは主にフォーク時代の歌を歌つてゐる『風に吹かれて』も歌つてゐる。普通だ。皆から尊敬されてゐる姿以外は普通だ。ぼくが、ボブディランいいぢゃん!と思ふまでにはあと7年かかる!1978年、ザバンドの解散コンサートの映画『ラストワルツ』(実際のコンサートは1976年)だ。監督がマーチンスコセッシだよ。これはどちらかといふと普通のライブドキュメンタリーだ。今思へば、ボブディラン+ザバンドとは、ブーイングへの反撃だつたんだ。ここで、ボブディランはリラックスした雰囲気でロックを歌つてる。
ぼくが知らなかつただけかも知れない。でも、おそらく音楽ファンでも大勢の人がボブディランはフォークシンガーと、この空白の(少なくとも日本では)10年間思ひ続けてゐたのではないだらうか。
やうするに『ノーディレクションホーム』は、ぼくの中での発動前のボブディランを教えてくれる貴重なドキュメンタリーなのだ!(極めて個人的な位置づけ!)
なので、フォークからロックへと移行したボブディラン事件をかうしてドキュメンタリーで見ると、面白いことに気づく。ボブディランはアコースティックギターをエレキギターに持ち替えたわけではなく、むしろエレキから始まつたのだ。それを『ファン』や『マスコミ』が勝手に色を塗つてしまつたのだ。
いや〜、リポーターたちの態度が今と同じで面白い。
写真は、共にLPのライナーから、上が『ラストワルツ』エレキギター!下が『バングラデッシュのコンサート』アコースティックギターにハーモニカ!完全なるフォークスタイルだ。ジョージハリスンに過激なことはしないでと頼まれたのだらうか?
すべて過去の膨大なライブラリーを集めて編集した『東京裁判』以来の超絶な作品だ。(すいません。ちよつと比較してみたかつたので)3時間半といふ長さ(『東京裁判』は4時間半!)で、途中で休憩が入るといふマニア心をくすぐる上映方式?それだけでも見応え充分だが、監督マーチンスコセッシはさすが目線が痛烈。ただの音楽ドキュメントではない。まあ、いまさらボブディランのドキュメンタリーを作るといふのだから、お祭り映画を作つても仕方がない。
さて、ボブディランボブディランと繰り返しても、そもそもぼくはいつからボブディランを好きになつたかといふと、このドキュメンタリーのラストシーンよりもずっと後である。早くもネタバレである。ドキュメンタリーにネタバレも何もないかも知れないが、見たいと思つてゐる人はこの先は読まぬ方がいい。
目線が痛烈と書いたが、もう少しいふと、この映画は単にボブディランの生い立ちを語るとか、軌跡を追ふこととかは意図から外れてゐる。(もちろん無い訳ではないし、ロックとフォークの起源も紹介してゐる)ボブディランを通して『その時代』を切り取り『今の社会』を見つめ直してゐるんである。
ノーディレクションホームといふのは、帰り道を考えてゐないとでも訳せばいいのだらうか?この作品のテーマソングになつてゐる『ライクアローリングストーン』(繰り返し何度もかかる。歌ふ。訳が出てゐた筈だが忘れた‥‥‥ぼくの「勘訳」は当たらずとも遠からずだと思ふ)の歌詞の一部だ。映画を見るとわかるが、非常に押しつぶされた感情の吐露で、卑屈とも居直りともとれるが、過去なんかクソ食らえ、未来しか考えてないんだ!といふ投げやりのやうだが、胸に訴えてくる歌声が圧巻だ。
何を今更だが、この曲はぼくの中ではノーマークだつた。
さうなんだ、ぼくはそもそもフォークなんて、さほど好きではなかつた。『風に吹かれて』は知つてゐるけど、対して興味なかつたんだ。ぼくがボブディランを好きになつたのは、エレキギターを持つてから、しかも、しばらく立つてからなんだ。つまり、強烈なブーイングの嵐についにライブに立つことを止めたボブディランがそれでもひたすら曲を作り続けてゐたその頃からなんだ。だつて、エレキ以降のボブディランなんてほとんど日本にでは忘れられている!「ボブディラン=風に吹かれて」は、その後おそらく10年間は定番であり続けたと思ふ。おそらく久しぶりにボブディランが生きてゐることを知らせたのは1971年の『バングラデッシュのコンサート』ではないだろうか。このときボブディランは主にフォーク時代の歌を歌つてゐる『風に吹かれて』も歌つてゐる。普通だ。皆から尊敬されてゐる姿以外は普通だ。ぼくが、ボブディランいいぢゃん!と思ふまでにはあと7年かかる!1978年、ザバンドの解散コンサートの映画『ラストワルツ』(実際のコンサートは1976年)だ。監督がマーチンスコセッシだよ。これはどちらかといふと普通のライブドキュメンタリーだ。今思へば、ボブディラン+ザバンドとは、ブーイングへの反撃だつたんだ。ここで、ボブディランはリラックスした雰囲気でロックを歌つてる。
ぼくが知らなかつただけかも知れない。でも、おそらく音楽ファンでも大勢の人がボブディランはフォークシンガーと、この空白の(少なくとも日本では)10年間思ひ続けてゐたのではないだらうか。
やうするに『ノーディレクションホーム』は、ぼくの中での発動前のボブディランを教えてくれる貴重なドキュメンタリーなのだ!(極めて個人的な位置づけ!)
なので、フォークからロックへと移行したボブディラン事件をかうしてドキュメンタリーで見ると、面白いことに気づく。ボブディランはアコースティックギターをエレキギターに持ち替えたわけではなく、むしろエレキから始まつたのだ。それを『ファン』や『マスコミ』が勝手に色を塗つてしまつたのだ。
いや〜、リポーターたちの態度が今と同じで面白い。
写真は、共にLPのライナーから、上が『ラストワルツ』エレキギター!下が『バングラデッシュのコンサート』アコースティックギターにハーモニカ!完全なるフォークスタイルだ。ジョージハリスンに過激なことはしないでと頼まれたのだらうか?
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