恥づかしいけれど2006年03月21日 22時33分32秒

 とにかくタイトル通り恥づかしいけれど、かなり赤裸裸だけど、文明批判のためだ。恥を忍んでとある文章を公表したいと思ふ。
 このあいだディズニーが嫌ひだと書いたが、おそらく小学生の頃、ウォルトディズニー's ピーターパンを見て、大変喜んだ。緑の帽子や、短剣など、憧れた。ティンカーベルも好きだつた。しかし、中学生ぐらいになると、漫画やマンガ映画(今でいふアニメーション)からなんとなく離れる。さういふ人は多いのではないかと思ふ。マンガ雑誌はともかく、アニメーションは見なかつた。何故か高校の3年ぐらいになつてから再びアニメーションを見るやうに(抵抗がなくなつた)なつた気がする。なんだ、面白いぢやないかと思つた記憶がある。
 アニメーションではないが手塚治虫「火の鳥」の影響が多分にある。
 ただ、これから、もしかしたらある程度の期間を使つて考えてみたいこととは少しズレがあるので、これについては追求しない。
 軽くまとめてをく。
 小さい頃、マンガを見た。面白かつた。少し生意気な時期に離れた。さらにもう少し世の中がわかつたと勘違ひした頃に再び「子供向き」といふ概念のもとに、マンガ&「ディズニーもの」を見直した。
 そんなやうな経路だ。
 ま、実は結論は出てゐるから、何も時間をかける必要はないのだけれど、人間はとくに罠をかけられるわけでもないのに、いとも簡単に染まつてしまうといふ見本がここにある。
 おそらく久しぶりに見たディズニー映画なんだと思ふ。1973年の文章が残つてゐた。

 なるべく原文のまま書く。
(はじめ)
そら、見えたぞ、見えないぞ!
 やはり家庭版だろう。ディズニーのこういった作品にはとても軽い笑いがでてくる。ひつこく(しつこく)もなく、気抜けするわけでもない。しかし、ストーリーの上で、この映画、最後の最後まで、こちらをじらしてイラだたせた。最後など本当に、もうだめかと思つた。
 プログラムをかって、ディズニープロの50年の歴史をみて、あらためて、やはり、これからもっともっとディズニープロの映画をみようと思った。ウォルトディズニーは死んでも、その精神は立派に残っていると思う。
(おわり)

 ふう〜。何が嫌かつて、文章能力が向上してゐないことだ。我ながらあきれる。この人は本当にこの「そら、見えたぞ、見えないぞ!」といふ映画が気に入つたのだらうか?
 ぼくは実は気に言つてないのではないかと類推する。『しつこくもなく気抜けするわけでもない』とはどういふ意味だらう?内容を覚えてゐないのでなんとも言へないが。
 このブログで映画の話を書くとき、ぼくは意識して内容を書かないのだが、この人はどうなんだらう?「ストーリーの上で」つて、意味はわかるけど、もう少し書き方があるのではないかと思ふ。
 プログラムには一体何が書いてあつたのだらう?『その精神』とは?
 ああ〜。めげる。アホだこいつは。(ちなみに「立派に残って」は「りっぱにのこって」とひらがなで書いてある。さらにいふと全体に句点の位置が滅茶苦茶だつたので、あまりにひどいところは修正した)
 まあ、文章批判をするのが目的ではないし、それはあまりにも虚し過ぎるので、自分で深く反省する。

 さて、確かに50年の歴史は大きい。まだ20年も生きてない人間にとつて感ずるものは大きいだらう。それは50年生きた今でも同じやうに思ふ。だからと言つて、誰も見ることのない自分だけのノートで、こんなに褒めそやす必要があるのだらうか?それが問題だと思ふ。
 けふはこのぐらいで勘弁しとく‥‥‥‥。