ヒストリーオブバイオレンス2006年03月27日 22時43分34秒

 吉祥寺のバウスシアターは月曜日が男性デイなので、ヒストリーオブバイオレンスを見に行く。久々のクロンネンバーグだうれしいな。
 ぼくにとつてカーペンターとクロンネンバーグは二大巨頭と言つてよい。全然違ふタイプだと思ふが、「ヒストリーオブバイオレンス」と「要塞警察」に思はぬ共通性を見つけて、さらに満足したりして。

 さて、かのやうな映画についてきちんと語れるやうになれば、ぼくも一人前の映画評論家になれるのだが、出来ないので、けふの午後の出来事について話す。(書く)
 午後3時過ぎ頃、世田谷区若林環状七号線内回り側歩道でのことだ。局地的話で申し訳ない。北から南へ向かうと上り坂だ。ついついうつむき気味になつて歩いてゐると、いきなり左手にガシッと衝撃が走つた。自転車に乗つた男性の上着が風圧ではためいて当たつたのだが、ポケットの中に固いものが入つてゐたので、触るだけではすまなかつたのだ。自転車は下り坂を勢いよく走つてきたわけで、その分さらに力が加はつたのだらう。いづれにしても、バシ!とかポケシ!などと結構な音がした。これは当たつた本人のぼくの感触なので相手の耳に届いた音は小さかつたかも知れない。しかし、ぼくは思はず「うわち!」と声を上げた。この「ち」は痛いときに発するものだ。相手が気づかないわけがない。ぼくは見えなかつたが降りてくる自転車からぼくが見えないはずもない。にもかかわらず自転車はそのまま行き過ぎた。
 ぼくは「おい!」と大声を上げたが、無視した。そばにほかの歩行者もゐたので、気にして険しい表情で自転車を見た。ぼくはもう何年も走るといふ行為をしたことがないが、走つた。振り向きもしない自転車の男に腹がたつたのだ。もしも気づかなかつたのだとしたら仕方がないが「ぶつかつたのだよ」といふことだけは伝へたい気持ちになつたのだ。
 さらに「待て!」と大声を上げて、通る人が自分を見るのが、気になつたのか、自転車は止まり、男が振り向いた。「今、あたったぞ」といふと「知らねえよそんなの」と居直つた。そのときこいつは判つてると本能的に理解した。「だからなんだよ」と続いた言葉で確信した。「当たっといてそのまま行くのかよ!」と叫ぶと「ぼけっと歩いてっからだよ!」といつた。
 そして、ぼくは相手の自転車を蹴つてゐた。相手は自転車にまたがつたままだつたので、倒せると思つたのだ。運良くそこは石のごつごつした塀際で相手は頭を打つた。もちろん大したことはなかつたが、ぼくはためらわなかつた。斜めに倒れた自転車越しにほとんど体当たりをするかのやうに突進して右手で、相手の頭を塀にガシンと押し付けた。相手は両手でぼくの右手をつかんだが、何しろ足元が悪い、ぼくは構はずぐいぐい押し付けた塀に擦つたと言つてもいい。そしてさらに相手の手に力がこもつたのを利用して、逆に引き倒した。ぼくは必死だった。ひ弱で痛みに弱いぼくは一発でも逆襲されたらそこで負けだ。無我夢中で地面に引き倒し、思ひつきり頭を踏みつけた。ガキッと確かな感触があつたので、さらに勢いをつけて踏んだ。かういふ時は頭部への攻撃が有効なのだ。本来腹部の急所(例えば右脇肝臓に蹴りを入れる)を狙ふのが、プロだが、ぼくの蹴りでは力弱いし、確実なポイントをヒットするのは無理だ。だからぼくが次に狙つたのは、鼻と上唇の間だ。ここもポイントとしては狭いが、むき出してゐるので、狙ひやすい。ところで、こんな急所などどこで覚えたかといふとそれは映画とマンガである。ぼくの知る限り暴力を否定した作品は1%に満たない。悲観しつつもごく客観的なものが2%。後はすべて暴力礼賛作品である。まあ、その件については評論家ではないので差し置き、相手の鼻の下を蹴つた。しかし、微妙に外れて前歯に当たつたやうだ。プロではない。折れた歯がぼくの靴に刺さり、右足の薬指と中指の間にちくりと痛みが走つた。ここまで興奮してゐると痛みなど感じないやうな気がするが、さうでもない。ただ、非常に狭いといふか、針の先でつついたやうな痛みであつた。自分の足を見ると同時に相手の口から血が、吹き出るのを確認する。さらにかかとで、こめかみを踏みつける。繰り返すが、少しでも反撃されたらぼくがやられてしまうのは確実なのだ。とにかく相手が当分立ち上がれない状態にすることしか頭の中になかつた。そして、どう見ても起きて追ひかけてこないなと判断して(身体はぴくりとも動かない、動いてゐるのは頭部からじわ〜っと流れ続ける血だけだ)、蹴るのをやめた。蹴るといふよりは踏むが正しい。蹴つたのは鼻の下だけだ。
 そして「よけられないで当たつたら謝れ!それぐらいもできねえなら自転車乗んな!」と言つて背を向け歩き出した。おそらく相手には『聞く耳持たぬ』の日本語とは全然違ふ意味で通じなかつたかも知れない。
 とにかくぼくはこいつが追つてきて殴り掛かつてくることはないだらうと『安心』してその場を去つた。安堵感と言つてもいい。右足からは相手の血ではない自分の血がだらだらと流れ続けてゐたが気にしなかつた。
 しかし、あれから半日たつた今は違ふ。人を傷つける辛さは知つてゐた筈なのに。どうせやうもない苦しさに襲はれてゐる。自首する気は毛頭ない。あいつが悪いのだ。ぶつかつたら素直に謝ればいいのだ。居直つて相手を悪く言ふなんて冗談ぢゃない。あれは当然の報いだ。でも、ぼくの心は晴れない。晴れるわけがない。これからも仕事場に行き、冗談などを飛ばしながら仕事をするのか?家族にどんな顔を見せて生活するのか?一体この先の人生に楽しさを感じられることがあり得るのか?少なくともどんなことをしても爽快感など感じることはないだらう。
 ハリウッドの暴力礼賛映画のやうに悪役(悪人ではない)をぶち殺して爽快感を得ることなどあり得ないのだ。
 そこが、この「ヒストリーオブバイオレンス」の違ふところだ。
 安堵感あれども爽快感なし。
 かういふと、暗い二度と見たくない映画を想像するかもしれないが、さうではない。クロンネンバーグさすがである。といふかクロンネンバーグとしてはかなり普通の映画だ。ちやんと『面白い』(!?)でも普通の映画ではない(??)

 明日(3月28日)へつづく。