ヒストリーオブバイオレンス(つづき)2006年03月28日 22時31分05秒

 昨日(3月27日)のつづき。

 今朝のこと。不思議な感覚に襲はれた。
 その日が何曜日だかわからなくなつたことはないだらうか?月曜日なのに日曜日だと思つたりすることだ。祝日の後など、ないだらうか?
 ぼくは以前、徹夜続きで睡眠不足だつた時、起こしにきたおかぴが妹に見えた(感じた)ことがある。「あ、妹が起こしにきたもうそんな時間か‥‥‥」と思つたのである。しかし、ぼくは長男だが二人姉弟の弟で妹はゐない。あれも不思議な感覚だつた。
 だけど今回はどちらでもなかつた。何曜日どころか、今が『いつ』なのか、何故これから起きやうとしてゐるのか、昨日いや最近何をしてゐたのかわからなかつたのだ。それどころか、自分に違和感を感じたのだ。記憶喪失の経験はないが、似てゐるのだらうか?自分が誰だかわからなかつたわけではない。自分は自分だ。自分の寝床だ。でも『何故』『今』『起きる』のだらう。起きて何をするのだらう?と停滞してしまつたのだ。夢うつつといふことだつたんだらうか?さほど寝不足ではないのだが。とにかく靴下をはきながら、けふは今やつてゐるテレビシリーズのチェックの定例日だよな。これから朝ご飯を食べるのだ。おかしくはないよな。だから起きるんだよな。と、頭の中を整理した。
 これはどういふことなのか?
 人間がある日から別の人間に変はる可能性があることを感じさせた。昨日ブログにあることないこと書いたのが原因なのか?自分で書いた虚実綯ひ交ぜ(きょじつないまぜ)の文章に魂が引きずられてしまつたのか?いささかオーバーだが、恐怖心にかられすべて書き直さうかと思つたぐらいだ。そもそも、インターネットとは不特定多数の人が見る。ついつい知り合ひだけが見てゐると思つて適当なことを書いてしまう。でも、面倒くさいので『つづく』だけ書き足して済ませた。このラフさ加減は間違ひなくぼくである。人格変質は遂げてない。元の自分のままだと確信する。
 かのやうな人間の変質、変貌はクロンネンバーグのテーマだと思ふ。原作ものではあるが、正直言つてわけがわからなかつた『裸のランチ』正直言つて退屈だつた『スパイダー』も、同類と解釈してよいと思ふが、なんと言つても『ビデオドローム』だ。脳内刺激が人間の本質と社会までをも変貌させてゆく展開は凄い。ジェイムズウッズのおなかの割れ目はトラウマだ。『ブルード』では、変貌どころか人間の怒りといふ感情が新たなる生物的人種(新人類?)を生んでしまう。少々残念なのは『ビデオドローム』の正当な(!?)本人リメイク(?)の『イグジステンス』では、人間の変質よりも『ゲーム』といふ怪物に映画自体が呑まれてしまつた気がする。『ゲーム』は危険だ。まだまだ人間社会をどう変貌させてゆくのか実のところ全く判つてゐないのだ。と、話がそれる。
 人間の変質についてだ。『ヒストリーオブバイオレンス』にもそれはある。『ビデオドローム』のやうな過激さはなく、切なく繊細で、より感情に触れてくる。現象を見せられるのでなく訴えられる気分だ。おかげで影響を受けやすいぼくは、危うく変身するところであつた。しかし、変貌は悪いことではないだらう。それが自己暗示なのか、誰かの意思による洗脳なのかで多いに違ふが、ぼくがいまさら暴力的人間になつてもそれは確かに仕方がないと思ふ。弱いくせにけんか好きの猫みたいなもので生傷は絶えないし、あまりに不毛だ。でも、でき得ればすべての人が優しく変貌すればそれは喜ばしいことなのではないかと思ふ。
 ところで、ぼくはクロンネンバーグと書き続けてゐるが、クローネンバーグが正しいの?