暴力温泉芸者の ― 2006年04月01日 21時51分37秒

どのみち大作は時間がかかるので、中断して、こちらを先に読む。
本のタイトルは『名もなき孤児たちの墓』(新潮社)作者は、暴力温泉芸者の中原昌也だ。別に芸者さんではない。彼のミュージシャン名だと思ふ。例によつて思ふとはいい加減だが、バンド名ではないと思ふ。また思ふ。
ぼくの iPod には『Que Sera,Sera』といふアルバムが入つてゐるが、残念ながら愛聴盤といふことでもない。
タイトルに「暴力温泉芸者の」と書いたが、本当は『映画秘宝の』と書いた方が正しい。一時期『映画秘宝』は愛読書だつた。小説もノンフィクションも読まなくなつた時期、巡り会つたのが『映画秘宝』だ。何故がフィーリングにあつてしまつた。まあただ、最初から最後まで読み切つたことはないのだが‥‥‥。
そのなかで、中原昌也の文章は特に好きだつた。映画秘宝から『ソドムの映画市』など単独の本も出てゐる。いつの間にか小説も書いてゐて『奇跡の』だつたか『まさかの』だつたか忘れたが、三島由紀夫賞をとつてゐた。『奇跡の』だか『まさかの』は、枕詞のやうについてゐたことばだ。中原昌也を読むものには解りやすいキャプションだ。
今度の新聞広告にも『「誰の欲望も満たすことの絶対にない」小説を書いてみたい』と書いてあり、思はず予約してしまつたわけだが、この言葉は売り言葉ではなく、小説の中の文章であつた。これは、短編集といふか掌篇集で、ひとつだけ中編と言つていいのかな?やや長めのものが入つてゐて、それが、本のタイトルの『名もなき孤児たちの墓』といふ小説で、主人公の切々とした語りの中にこの言葉がある。
本の帯には『ふざけてるのか?天才か?』とあるが、ぼくには『誰の欲望も‥‥』が印象として残る。
『らしい』のだ。あまりにもフィットしてしまつた。その勢いで読んだため。残念なことにどの短編も中途半端に満足しながら読み進んでしまつた。(満たされてしまつたとまでは言はないが‥‥‥)そして『名もなき孤児たちの墓』へ到達して、ああ、中の文章だつたのかと知つたわけです。
ぼくは、三島由紀夫賞をとつた『あらゆる場所に花束が‥‥‥』も読んでゐるが、何故賞をとつたのかはわからない。ふざけてゐるのか?天才か?ふざけてゐるとは思へない。天才かどうかはわからない。ただ、映画秘宝を読んで、少し遡(さかのぼ)つて暴力温泉芸者を聞いて、小説を読んで、そのどれからも感じる『悶々と切ないところ』が、気に入つてゐる。
手ぶれ効果 ― 2006年04月02日 20時40分31秒

でも、まあ、手ぶれ防止なんて機能もどんどん優秀になつてゐるみたいですが、ことスチール写真においては手ぶれ写真好きです。手ぶれぶれぶれ写真ね。(ムービーの手ぶれは、辛いな〜)
あ‥‥‥‥思ひ出しちやつたよ。
『シリアナ』
手ブレ映画。
こんな言ひ方は失礼だが。でも手ぶれ映画。最近流行(はやり)?
結構多いですね〜。手ぶれ映画。ドキュメンタリータッチですか?躍動感を出すため?でも、アクションならなおのことしつかりキチッと見たいな〜。
さうは言つても好きな手ぶれ映画もある。う〜む。仕方あるまい。面白いんだもん。
とりあえず思ひつくのは『トラフィック』と『ひかりのまち(ワンダーランド)』
『シリアナ』は、あきらかに『トラフィック』意識しまくり。だけど、カラーは普通だし、手ぶれも少し緩和されてゐる。ぶれ過ぎたら見にくいと気づいたのだらうか?
にも関はらず『シリアナ』は辛い。内容も撮影も。何故かしら?
といふか、内容に関しては、本当は言へません。申し訳ない。割りと前半で寝てしまつた。少しだと思ふんだけど‥‥‥‥。気がつくと、ジョージクルーニーがよく解らない行動をしてゐて、???と思つてゐたら、いきなり激しい拷問されてゐた。このシーンは滅茶苦茶ショックで心臓に悪かつた。おそらくジョージクルーニーほど拷問されるのが似合はない役者はゐないのではないだらうか?だから、意味も無く痛さ百倍。ホントに胸が苦しくなりました。『シリアナ』を見て死んだ人が!とニュースになつては嫌だから腹式呼吸くりかえす。イメチェンですかね。その意思は止められない。
とまあ、息苦しい映画だつた。『トラフィック』も、厳しい現実を切り取つた映画だつたけど、『心臓』ではなく『心』に来たな。だから手ぶれも我慢する。
ついでだからもう一枚。

さくらネタ ― 2006年04月03日 22時22分26秒


ある冬のこと少林寺拳法修行中の、後に輪佐里(わさり)と名乗る男、森に主に会(お)ふて、その技を極めんと深き森に入る。さまよい続けるうちに桜の季節来たるがもとより俗世の習はしを捨て寝食も忘れ日の数え方も疎き男、時節を得ず。これすなわちすでに修行の意味取り違へし者なるが自らは覚へず一人どうどうと巡り続け、ある日森の彼方にやうやうの輝きを認め走り行く。そこは森の出口なり。やうやうの輝き、はからずも浮き世の絢爛、桜に惹かれし自分に愕然とするも、その先に揺れる笹に主を見い出す。森の主森におらず、俗世に出て笹の身を借りて桜と戯れるなり。男そこに竹のしなやかさ、したたかさを覚え、その音さわさわと胸に触るなり。わさわさとさわりわさわさとさわりわさわさと‥‥‥‥‥輪佐里と名乗る。
猿の軍団その2 ― 2006年04月04日 22時37分21秒

さて、猿の軍団の朝は早い。
ロケが中心で遠出をするので、どうしても早くなるのだ。
そして、どんな頃合ひで、その差があるのかわからなかつたが、七時(ななじ)集合と、七時出発といふ2種類があつたのだ。正確にいふと七時出発の場合六時五十五分集合だつたらしいが、ぼくたちは七時集合と七時出発の二つを言ひ渡されたものだ。
当時ぼくは世田谷区の農大前といふところに住んでおり、集合場所は日活撮影所。京王線布田駅から徒歩10分ぐらいだが、電車だと、家からは小田急線経堂駅を出発して下北沢、明大前、そして布田と遠回りコースになるので、使はなかつた。バスだと、渋谷から調布へ向かう路線があり、それだと『地蔵前‥‥‥』だつたか?そんな停留所があり、徒歩5分。便利なのだ。しかし、バスだと、始発に乗つて、日活撮影所着が七時丁度ぐらいなのだ。バスの微妙な時間、歩く微妙な速度で、時間がずれる。ぼくは、1分遅れで、チーフ助監督にどやしつけられたことがある。怖かつたな〜あのチーフ。mnwさん。
まあ、それだけ厳しい世界なのだ。
そして、前に書いた通り、猿の兵隊は重装備で辛い。暑い日は大変。さらに学生アルバイトたちに不評だつたのは、猿の役しかないこと。どんなに間違つても顔が映ることは無いのだ。興味でエキストラをやる人たちには、ほんとに人気のない仕事だつた。早い、つらい、顔が映らない。
でも、そんなことは全然気にしない三人の男がゐた。年齢順にmrさん、mtさん(似顔絵に間違へてmmさんと書いてしまつた)とぼくである。
といふ訳で、その3人はエキストラレギュラーだつた。
mrさんは30歳ぐらいで、体力的にきついところもあつたやうだが、顔を出さない仕事が楽だといふやう風だつた。まさか、犯罪者ではなかつたと思ふが、mmさんは年齢不詳なんだが、22、3といふ噂だつた。チョコレートが大好きで、いつも食べてゐた。虫歯の数は多さうだつた。ぼくは、子供子供してゐた。
とにかくぼくらは『猿トリオ』として、事務所の信頼厚かつた。
1分遅れてどやされることぐらいどうといふことはない。自慢の仕事だつた。
ところで、その後、七時出発の時はどうしたかといふと、基本的には停留所から走つたと思ふが、ヤバさうな時には、姉を無理矢理起こして車で送つてもらつた。思へばわがままな弟である。姉はずいぶん心が広かつたと思ふ。
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