魂のゆくえ2006年04月06日 18時35分15秒

 みなさんは『出かけやうとしてゐる人を呼び止めてはいけない』といふのを聞いたことがあるだらうか?
 日々のくらしでいつものやうに出かける時ならまだしも、(これはこれで危険なんだが)「よし!行くぞ!」てなもんで、目的意識明確に決意して出かける時はかなり危険である。ぼくはこれで、怪我をしたことがある。ま、大した怪我ではなかつたが、なるほどさうなんだと自覚したものである。
 つまりどういふことかといふと、出かけるときに意識(気持ち、さらにいふと魂)も当然出かけるわけで、呼び止められるといふ予測がないと、意識は先に行つてしまうんである。つまり、肉体は制止すれど魂は旅立つんである。
 その結果、アンバランスな状態になり、肉体が魂と再び合流するまでコントロールが聞かなくなり、不測の事態を招くんである。たいていの場合、バスの停留所であるとか、駅のホームで電車バスを待つてゐる間に合流できるから、大事にはいたらないケースが多いが、意識が先にバスに乗つてしまつたりすればとんでもないことが起こる可能性もある。
 またまた〜と思ふかも知れないが、よく言はれる現象を検討してみると、あれ!?と気づくこともあらう。
 例えば、今現在若い人にはわかるはずもないが、若い頃よく駆けよく飛び暴れ回つた人でも、大人になり運動量も減る。ある時、本気(本気でないとダメ)で走つてみる。すると、意識は肉体より前方へ行くが、実際の景色が追ひ付かず前に転ぶのである。これを単なる運動不足と解釈してはいけない。思考がモノを言つてゐるのである。これはもつとささいな場面でも起こる。例えば血流に問題のある人間や夢想してしまう人間は、脳みそが休む(空白化する)瞬間がある。普通に歩いてゐて、例えば(例えばが多い)右足が上がつて降りる前に、思考が一瞬休む。しかし、足は惰性と習慣と筋肉反射で動き続けるから、先へ進む。脳みそのお休みは一瞬だから、足が着地する前に戻る。しかし、意識してゐた場所とズレてゐるんである。となると足が浮いた(飛んだ)感じを受けるんである。そこで転ぶ人もあらう。気をつけねば。
 それは単純に医学的脳の問題では?と思ふかも知れぬ。
 しかし、幽体離脱についても考えてみやう。
 これは明らかに肉体と意識(魂)が実は分離しやすいといふことに他ならない。肉体は寝てゐるのに(あるいは死んでゐるのに)意識が起きてしまうんである。習慣なのか?あるいは何か約束をしてゐたのを思ひ出したのか『あ、起きなくちゃ!』とおもむろに起き出すんである。でも、肉体は横たはつたままだから、勢いよく立ち上がつた意識は反動で天井まで行つてしまうんである。大きな株を引き抜く時に力がこもればこもるほど抜けた時に後ろに飛んでしまうアレである。いつでも起きることのできる肉体ならさうはなるまい。起きる可能性のない頑固な横たわり肉体から抜け出る意識が、高く飛んでしまうことは容易に想像がつく。幽体離脱経験者が天井付近からみんなを見ると語るのはさういふ現象の結果である。
 もうひとつ意外と分離し易いのだといふ話をする。
 これは経験談だが、バイクで京都から島根の方に回つた時のことだ。
 それまで、高速ツーリングは東京から相模湖とか、富士山ぐらいまでだつたが、その時は一気に大津まで行つた。(もちろん途中休憩はしたが)その大津のホテルでのこと。
 夢を見た。
 ぼくはホテルで寝てゐて、ま、夢だから部屋の感じは違ふ(つまり夢の中でも寝てる)気がつくと枕元にもう一人のぼくが立つてゐたんである。横位置のフラットな画面構成だ。枕元に立つぼくは寝てゐるぼくを見下ろしてゐた。そして、その光景を見つめてゐるぼくの視線があつたのだ。つごう夢の中で寝てゐるぼく、枕元に立つぼく、それを見てゐるぼくの三人を夢で見たことになる。三人目のぼくの姿は見えなかつたが、ぎゃ!と思はず起きた(眼を覚ました)自分の枕元に立つ自分はそこそこに無気味だ。
 これは、高速道路で風圧に押されて肉体からこぼれ落ちてしまつた魂が夜になつてやつとこさ戻つて来たよといふメッセージだつたのだ。第三の視線の謎は解けないが、さういふことにしておく。
 高速道路をバイク移動する時は気をつけやう。もしかしたら魂のないライダーはうようよしてゐるのだらうか?