11年前か2006年04月26日 23時29分33秒

 あの年、阪神淡路沖地震が起こり、地下鉄サリン事件が起きた。
 そして、ぼくは、親知らずと格闘した。
 そこはとある町のchrといふ開業歯科医だ。最近では、いやずいぶん前から町の歯科医は親知らずを抜かなくなつた。だいたい大学病院を紹介され、抜きに行くのが普通のやうだ。でも、少なくともchrは熱心に対応し挑戦した。ご多分にもれずぼくの親知らずは真横を向いて奥歯を攻撃してゐた。左の下だ。
 chrはわざわざ抜歯のプロ!?を呼び寄せ、診療時間後にセッティングをし、万全の体制で戦ひに挑んだ。やつてきたフリーの抜歯マンはさすが手際よく「こことこことここに麻酔、ここをこの角度に切開、ここをここをここを‥‥‥」と、テキパキと作業を進めた。ところで、3人掛かりの編成だつた。
 しかし、手際のよかつたのは最初の5分か。
 ぼくの口は狭い。あごが弱い。口を開けるのがへた。なによりもこの親知らずは頑固だつた。抜けない。砕けない。耳にはガンガンガシガシガリガリギガガガもの凄い音が鳴り響いたが、彼らの焦りはつのりぼくの我慢は限界に達した。どれくらいの時間がかかつたのだらうか?もう覚えてゐない。1時間は確実に過ぎてゐたと思ふ。2時間だつたらうか?とにかく、ぼくはもう絶えられず「もういいです」と言ひたかつた。しかし、抜歯マンが諦めムードに入る中、chrはあきらめなかつた。そしてガシガシグリグリを繰り返し、半分だらうか?いや、3分の1か4分の1くらいだらう。ぼくの親知らずを欠けさせた。
 「抜けなかつたけど、これで、隣の歯には当たらなくなつたから」と言はれた。
 さういふ問題だらうか?
 抜歯マンは「いやあ〜chr君の勝利だね〜」と感慨深く言つた。
 さうなの?ぼくは?
 とにかく、そのときぼくは解放されたことだけがうれしかつた。
 抜く予定だつた親知らずは抜けなかつたのだ。
 翌日、当然のやうに頰といふか顔がふくれあがり変形した。
 マクロス7の本読みの日だつた。みなさんに「凄いね」と言はれた。「失敗した上にこの顔になつてしまいました」と説明するしかなかつた。

 その後、今に至るまでぼくの一部欠けた左下親知らずは健在だ。
 chr君の努力の成果か?長い間、大事には至つてはゐない。もつとも、少々痛むことがあつても、あの地獄体験にくらべればどうといふことはない。
 しかし、ここ数日。痛みといふよりもやけに疼きやがる。どうしたんだベイビー。こころなしか舌触りがモッコリグシッとしてやがるぢやないか。

 11年ぶりに、まさか暴れる気なんだらうか!?

 あの年、他にもいろいろなことがあつた。
 ロックバンドの追つかけは楽しかつた。