素晴らしい日2006年04月05日 22時29分44秒

 けふはなんていい日なのだ。二度もエレベーターで譲られた。

 いきなりエレベーターでゆずられると言つてもどういふことなのか解りづらいかも知れぬ。
 順に説明する。
 一度目は午前中。東上線志木駅付近にある駐車場での出来事。
 7階まである大きな駐車場でそこそこ利用者も多い。なので、平日午前中だと、4階か5階に止めることが多い。けふは5階。ぼくの後から乗用車が一台きた。止めたのはぼくの方が早かつたが、のたのたしてゐたので、後のおぢさんの方が先にエレベータースペースへ行つた。だけど、5階だつたので、丁度ぼくがスペースへ来るのと、エレベーターが上がつて来るのと同時ぐらいだつた、おぢさんが先に乗る。ぼくは遅れて入り、奥へ(さほど大きなエレベーターではない)行く。まあ、二人しか乗つてゐない。先に乗つたのがおぢさんだから、ぼくは後から降りればいい。そんな気持ちもあり奥側へ行つたのだが、みなさんはどうするだらうか?そして、1階についたとき、微妙な間が空いた。そして、微妙な間ののち、おぢさんは「どうぞ」と言つた。「あ、すいません」と言つてぼくはそそくさと降りた。わざわざ譲つてくれたのだ。どのやうな気持ちだつたのかはわからない。あのおぢさんにとつてはごくごく自然な行為だつたのかも知れないし、駐車場に入つた順番を守りたかつた!?のかも知れない。
 二度目は夜。たびたび登場する京王線下高井戸駅。
 普段は階段を使ふ。エレベーターは改札から離れてゐて、通ることが少ないのだ。けふは、たまたまそちら側へ行つたといふことと、少々くたびれてゐたので、エレベーターに乗ることにしたのだ。たつた一階分だ。エレベーターは上にゐたので、ボタンを押す。と、待つてゐる間におばさんが来る。
 先に乗つたのはぼく。これまた奥まで行く。後から乗つたおばさんがそのまま先に降りればいいと思つてゐた。2階へつく。すると『朝の間』よりもさらに微妙な間ののち『どうぞ〜』と明るい声でおばさんが譲つてくれた。おばさんの片手は『開き』ボタンに、片手は『どうぞ』ポースになつてゐた。
 ぼくは「あ、すいません」と言つてそそくさと降りた。

 なんといふことだ。
 この人たちをなんと言へばいい?
 親切な人、優しい人、気遣ひのある人、思ひやりのある人、温かい人、奥ゆかしい人、礼儀正しい人?
 どれもぴたりとこない。
 何をそれぐらいのことで、そんなに感じ入つてゐるのだと思ふかも知れないが、ぼくは本当に感激したのだ。素晴らしい出来事だ。こんな人たちがゐるのだと思ふだけで、胸がじんとした。
 下高井戸のホームで涙ぐんだ。マジっす。

魂のゆくえ2006年04月06日 18時35分15秒

 みなさんは『出かけやうとしてゐる人を呼び止めてはいけない』といふのを聞いたことがあるだらうか?
 日々のくらしでいつものやうに出かける時ならまだしも、(これはこれで危険なんだが)「よし!行くぞ!」てなもんで、目的意識明確に決意して出かける時はかなり危険である。ぼくはこれで、怪我をしたことがある。ま、大した怪我ではなかつたが、なるほどさうなんだと自覚したものである。
 つまりどういふことかといふと、出かけるときに意識(気持ち、さらにいふと魂)も当然出かけるわけで、呼び止められるといふ予測がないと、意識は先に行つてしまうんである。つまり、肉体は制止すれど魂は旅立つんである。
 その結果、アンバランスな状態になり、肉体が魂と再び合流するまでコントロールが聞かなくなり、不測の事態を招くんである。たいていの場合、バスの停留所であるとか、駅のホームで電車バスを待つてゐる間に合流できるから、大事にはいたらないケースが多いが、意識が先にバスに乗つてしまつたりすればとんでもないことが起こる可能性もある。
 またまた〜と思ふかも知れないが、よく言はれる現象を検討してみると、あれ!?と気づくこともあらう。
 例えば、今現在若い人にはわかるはずもないが、若い頃よく駆けよく飛び暴れ回つた人でも、大人になり運動量も減る。ある時、本気(本気でないとダメ)で走つてみる。すると、意識は肉体より前方へ行くが、実際の景色が追ひ付かず前に転ぶのである。これを単なる運動不足と解釈してはいけない。思考がモノを言つてゐるのである。これはもつとささいな場面でも起こる。例えば血流に問題のある人間や夢想してしまう人間は、脳みそが休む(空白化する)瞬間がある。普通に歩いてゐて、例えば(例えばが多い)右足が上がつて降りる前に、思考が一瞬休む。しかし、足は惰性と習慣と筋肉反射で動き続けるから、先へ進む。脳みそのお休みは一瞬だから、足が着地する前に戻る。しかし、意識してゐた場所とズレてゐるんである。となると足が浮いた(飛んだ)感じを受けるんである。そこで転ぶ人もあらう。気をつけねば。
 それは単純に医学的脳の問題では?と思ふかも知れぬ。
 しかし、幽体離脱についても考えてみやう。
 これは明らかに肉体と意識(魂)が実は分離しやすいといふことに他ならない。肉体は寝てゐるのに(あるいは死んでゐるのに)意識が起きてしまうんである。習慣なのか?あるいは何か約束をしてゐたのを思ひ出したのか『あ、起きなくちゃ!』とおもむろに起き出すんである。でも、肉体は横たはつたままだから、勢いよく立ち上がつた意識は反動で天井まで行つてしまうんである。大きな株を引き抜く時に力がこもればこもるほど抜けた時に後ろに飛んでしまうアレである。いつでも起きることのできる肉体ならさうはなるまい。起きる可能性のない頑固な横たわり肉体から抜け出る意識が、高く飛んでしまうことは容易に想像がつく。幽体離脱経験者が天井付近からみんなを見ると語るのはさういふ現象の結果である。
 もうひとつ意外と分離し易いのだといふ話をする。
 これは経験談だが、バイクで京都から島根の方に回つた時のことだ。
 それまで、高速ツーリングは東京から相模湖とか、富士山ぐらいまでだつたが、その時は一気に大津まで行つた。(もちろん途中休憩はしたが)その大津のホテルでのこと。
 夢を見た。
 ぼくはホテルで寝てゐて、ま、夢だから部屋の感じは違ふ(つまり夢の中でも寝てる)気がつくと枕元にもう一人のぼくが立つてゐたんである。横位置のフラットな画面構成だ。枕元に立つぼくは寝てゐるぼくを見下ろしてゐた。そして、その光景を見つめてゐるぼくの視線があつたのだ。つごう夢の中で寝てゐるぼく、枕元に立つぼく、それを見てゐるぼくの三人を夢で見たことになる。三人目のぼくの姿は見えなかつたが、ぎゃ!と思はず起きた(眼を覚ました)自分の枕元に立つ自分はそこそこに無気味だ。
 これは、高速道路で風圧に押されて肉体からこぼれ落ちてしまつた魂が夜になつてやつとこさ戻つて来たよといふメッセージだつたのだ。第三の視線の謎は解けないが、さういふことにしておく。
 高速道路をバイク移動する時は気をつけやう。もしかしたら魂のないライダーはうようよしてゐるのだらうか?

下書き2006年04月07日 23時54分30秒


 けふは欠番ではなくて下書きシリーズ。







 来週の月曜日、一話のアフレコなのだ。
 実はアフレコ久しぶりなのだ。

獄門打ち首2006年04月08日 21時40分41秒

 先日、仕事仲間といふか、プロデューサーのwtn氏から、近況のメールをいただいた。wtn氏は大変几帳面で、絶妙なこだわりで作品に望む捨てがたひキャラクターで、ぜひとも活躍して欲しい一人だが、ぼくは彼と話をしてゐると、仕事とは関係なくついつい世の中の理不尽について熱弁をふるつてしまう。柄にもなく社会派になつてしまうのだ。彼は人からさういつた要素を引き出す力があるらしい。ぜひとも社会派アニメの旗手になつて欲しいなどと思ふが、アニメーションといふのは出来上がるまでに時間がかかるので、世情にリンクしてゐると、ズレてしまうことがあるのが辛いところだ。いかな現政府批判アニメを作つて世の中を変へやうとしても、完成したときにすでに世の中の風が変はつてゐることは充分考えられる。さらに悪くなつてゐればそれなりに価値はあるが、完成するまで『いい世の中』にならないでくれ!?なんて反社会的願望を持つわけにはいかない。
 と、なかなかむづかしいのだ。
 まあ、それはさてをき、ついつい熱弁をふるふぼくを意識してか、社会派な追伸がついてゐたので、紹介してしまう。

(紹介始め)
追伸。
偽メールで議員辞職に指導部総退陣なら、
ありもしない大量破壊兵器で戦争に引きずり込んだ連中など、
残らず打ち首獄門じゃないかと疑問を感じている昨今です。
(紹介終はり)

 wtn氏は過激といふものから遠くはなれた人柄である。淡々とした物言ひが、時として正鵠を射る。(外れまくる(浮きまくる)ことも多いが)
 とにかくこの追伸は、ぼくの中でもやもやしてゐて、形にならなかつたものをいとも簡単に言葉にしてくれた。おお!と思つたぼくは、正論だ!と返信をした。
 おかげで本文の近況報告の方は、頭の中からスコンと消えてしまつた。