むむっ2006年05月01日 10時06分18秒

 最近アサブロが重たくなつてきた。利用者が増えてきたのか、ゴールデンウィークだからか、昨日更新せやうと思つたらアクセス出来なかつた。あらま。
 まあ、無料だからね〜。
 と、更新する時間帯をやはり変へやうかなと思ひました。
 でも、あれなんだよな〜。あれ?あれよ、あれ。どれ?それ?と脳年齢気にしながら。
 夜だと手早くサッサと済ませられるんだけど、朝はなんとなくゆったりしたいので、時間かかつたりするのだな。どうせやうかね〜。
 と、つぶやき、ぼやき、もたもたと。
 してゐる場合ではないのだ、コンテに目を通しておかねば‥‥‥。
 と、仕事に向かう振りもしつつ、今朝ついにポケモンアリコを見てしまつた。どこまでいくのかアリコ。ぼくは心配でなりません。横田さんはブッシュに会へたといふけれど、テレビCMはアリコに席巻されやうとしてゐる。世田谷区、今の仕事場のそばにスモールファウンテンの『改革を止めるな』といふ??なポスターがある。心ある人がその顔の鼻の頭に『青少年に有害なビラ・チラシお断り』シールを貼つてゐた。うれしかつた。しかも、その後シールがはがされたけど、さらに眉間に『青少年に有害なビラ・チラシお断り』シールが貼り直してあつた。えらい!おかげで鼻の頭は白く剥がれた跡が残つたし、効果倍増だ。でも、アリコはとどまるところを知らない。昔、サイボーグ009が金貸しのイメージキャラに使はれたとき悲しかつたけど、ポケモンアリコはどうなのか?アリコは保険会社だからいいのか?でも、日本の企業は独自にがんばつて欲しいし、外資を嫌ふつもりはないが日本には『奥ゆかしい』といふ文化があるのだ。郷に入つては郷に従へ。CMは誰よりも目立つことが大事だけれど、ちやんと奥の床を見つめてゐる人たちはまだまだ大勢ゐるのだ。

大切なもの2006年05月02日 16時29分50秒

 昨日アサブロは緊急メンテしてたさうな。でも、つながらなかつた時間帯とは少々違ふ。深夜を中心につながりにくい事に対しては調査中とのことだ。インフォメーションがあつた。
 でも、このインフォメーションに入るためにはアサブロにアクセス出来なければいけないので、どうなんだろか?
 おかぴに言はせるとアサブロだから夜は入れないさうだ。

 と、まあさてをき。

♪忘れなぁいで お金よぉりも
 大切なものがあるぅ〜
 忘れなぁいで あなたよぉりも
 大切なものはない〜

 とは金貸しのCMだ。
 たしかアイフルだと思つたが違つたかしら?
 アイフルはチワワが有名だから、違ふのかな?
 最近見ないのは、営業停止処分に伴ふ自粛と考えてゐるが、どうなのか?
 と、??を列ねるのはこの辺にして、とにかくアイフルがそんな処分を食らつたさうだ。
 まあ、困つてゐる人は助けるべきだと思ふが、金貸しは金貸し、その社員は借金取りと呼ばれる人たちですよ。何をいまさらといふ感じがします。ぼくはそれよりも銀行がすつかり金貸しと手を組んでゐることに非常に違和感を感じます。
 とりあえずぼくの言つてゐるのは三井住友銀行のことです。
 銀行のATMのよこに『金貸しボックス』があるのは率直に嫌です。これは銀行の『高利貸し宣言』ととればいいのですかね。

 で、歌に戻ります。
 ぼくはある意味このCMは凄く正直だと思ふのですね。
 上に書いた歌詞の行がえはメロディー合はせです。
 CMの場合ラストにリフレインが入るんですね。

 頭からくり返すと

♪忘れなぁいで お金よぉりも
 大切なものがあるぅ〜
 忘れなぁいで あなたよぉりも
 大切なものはない〜
(そしてリピート、締めです)
 大切なものはない〜

 です。
 ね。正直でしょ。
 本来の文章からすれば「あなたよりも大切なものはない」ですが、メロディー割りで行くとかうなるんです。
 『大切なものはない!』のです。
 うちへ来て金を借りたからには、お前に大切なものは残らんぞと言つてゐるわけです。

 取り締まるならば、もつと根本的なところからお願ひしたい。

君も○○へ行こう2006年05月03日 21時38分53秒

 やはりけふぐらいは憲法について考えてみやう。

『ショート妄想』(ショートコントといふ言ひ方で)
 憲法が変はつて日本は戦争を放棄しなくなつた。「永久」といふ言葉は変更が利くといふことがわかつた。
 まづは緩やかな徴兵制がしかれた。
 しかし、インドネシア近海の天然ガスの利権でインドネシアとオーストラリアがぶつかつたとき、チャンスとばかりにアメリカがイスラム国であるインドネシアを非難して(国連軍が出動)戦争になつた。長い間、インドネシアは反日的側面も持つてゐたが、基本的には友好的だつた。でも、日本はためらいなくアメリカ側につき、ニューギアニアで地上戦が行はれた。熱帯雨林の再生がうまくいきかけてゐたときに、砂漠を無差別爆撃したやうな作戦がとれなかつたのだ。(実情はこれにも利権が絡んでゐて、ジャングル投資家たちの賛同を得られなかつたのだ)日本軍は主に弾よけ要員として前線に送られてバタバタと死んでいつた。
 緩やかな徴兵制は失敗だつた。
 町には「君も戦争へ行こう」のポスターがあふれた。
 それでも、志願兵はなかなか集まらなかつた。
 ので「君も戦争へ行こう」キャンペーンで戦意高揚アニメ(徴兵アニメ)を作ることになつた。ほとんどのディレクターが忙しい中、あぶれてゐたぼくのところに話がきた。
 食ふに困つてゐたぼくは「ぜひ!」と言つて引き受けた。ただ一言だけ今回のインドネシア戦での期待はあまり持たないで欲しいとお願ひした。物事には長期的展望が必要なのだと。緩やかな徴兵制にとどめた政府の尻拭ひはしないと偉さうに意見した。しかし、次の戦争は大丈夫ですと自信たつぷりに。
 戦争をかっこ良く見せるなんて簡単なことだ。演出家でもアニメーターでも、そんなんが得意な奴はあふれるほどゐる。
 全然悪くない奴を悪役に仕立て上げ、壮快にやっつける(ぶち殺す)わくわくするやうな作品群を作りまくる。かつてのぼくの作風といささか違ふが、実は得意なのだ。伊達にハリウッド映画を見捲つてゐたわけではない。
 基本はいい役の悪いところを見せないで、悪役にやらせる。悪役のいいところを見せないで、いい役にやらせる。それだけでいいのだ。
 ただし、クライマックスで悪役をやつつけるときは、いい役に悪いことをとことんやらせる。それでも大丈夫なのだ。すでにインプットは終はつてゐるので、やらなければいけないのだ。つまり、そこで行はれる『(本来なら)悪事』を正義だとしなければならないからだ。かくして悪役はとことんいたぶられ無惨に死んでゆく。
 政府の後押しがあるのだから強い。強引な展開で需要が上がる。民間のスポンサーも次々に名乗りをあげ、一週間に200本の戦意高揚アニメが流れるやうになつた。
 子供たちの心はどんどんすさんで、いい感じになつていつた。
 ところが、これだけアニメーション業界が加熱していつたにも係らず、ぼくは戦意高揚アニメの先駆者だつたのにも係らず。仕事が減つてしまつた。
 先駆者ぶつて偉さうにしてゐたら、どこも使つてくれなくなつてしまつたのだ。
 やることがないので散歩した。ある日、子供たちが『戦争ごっこ』をやつてゐるのを見た。あまりにも本気に乱暴なので、遠くから「危ないぞ」と声をかけた。(近くでそんなことを言つたら、逆に全員でかかつてくるのだ)ぼくは距離を計つて声をかけたつもりだつたのだが、子供たちは想像以上のスピードで攻撃してきた。
 ぼくは病院送りになつた。きつと死ぬんだらうと思つた。
 すべては九条を変へたことが原因だと恨んだ。一体誰が憲法を変へやうとしたんだ?
 と、朦朧とした脳裏に、なんか『水たまり』が浮かんだ。雨が降つたのか?これは池か?小さいからどうみても湖ぢやないよな‥‥‥。
 揺らぐ『水たまり』は品のない笑顔を感じさせた。

まいこんでぃず22006年05月04日 21時05分27秒

 このタイトルのときはディズニーファンの人は見ないでくだされ。

 解りやすくするためにタイトルを決めました。『まいこんでぃず』マインドコントロールディズニーの略です。ただし、マインドコントロールするのはディズニーではなくて鑑賞者本人です。この場合は若かりし頃のぼく。
 前回はタイトルが違つてます。なんだつたか?南極物語の犬の名が気に入らなくて思はず書いたネタです。で、見て文句をいふつもりだつたんですが、いつの間にか話題にもならずに終はつてゐた?ありゃりゃ‥‥‥。
 実は日本人やはりしたたかなんですかね。なんでもかんでも洗脳されるものでもない。おかげでミュージカル『ディズニー's 南極物語』が出来る可能性が減りましたかね。でもでも『ディズニー's 美女と野獣』『ディズニー's ライオンキング』などが、がんばり続ける限り(?)リメンバーまいこんでぃず(??)
(で、いきなり写分。けふは2つ続けて)
シャギードッグ
 この映画やはり、最後の最後まで、じらしてくれた。本当にひやひや、イライラせずにはいられない。(おまわりさんで、)むく犬によくぶつかるおまわりさんがおかしかった。やはり笑わずにはいられない。
 しかし、ディズニープロの映画は、一部始終笑いとおすような映画でもなんとなく喜劇といってしまうと、なんとなく、あわないようなきがする(合わないような気がする)。なにかこれらの映画はディズニーの映画という独立したものという感じがする。
 実に家庭向きという感じがした。このシャギードッグ。
(引き続き2つめ)
ベッドかざりとほうき
 ここでひとついうことができた。いままで、子供向きとかなんとかいろいろかいてきたものがあるが、(現注:ひらがな多すぎ)子供向きというものでも大人がみるものだ。という感じがしてきた。というと子供は見ちゃいけないような気がするがそうではない。子供向きということは子供がみてもおもしろいので、実は大人向きなのだとそんな感じがしてきた。ここいらは見会(見解)の相異(相違)だろう。あまり書いているとわからなくなる。
 ということでこの映画は、また楽しい映画であった。まさに楽しさいっぱい夢いっぱいという感じ。実にきれいにできていて感動もする。いい映画であった。ここで夢ということを考えよう。実はこの映画の前に「ウォルトディズニーワールド」という短い記録映画をやった。ただの記録映画というよりニュースみたいなものである。しかし、感動に涙してしまった。そこにはウォルトディズニーという1人の人間の夢があり。そしてその夢に賛成し働いた人間の情熱があったからだ。だからウォルトディズニーなき今も、こんなに夢にあふれた映画ができる。彼の夢は滅びることはないだろう。
(ふう。終はり)

 といふことである。(「という」といふ口癖は生まれついてのものなのか!?全然変はつてない。涙してしまう)
 と、ここで自己分析をしなければならないのだが、いささかくたびれてしまつた。これは何を隠さう高校の頃である。高校生にもなつてディズニー映画を見る自分を必死に肯定せやうとしてゐたのかも知れない。(そもそも何故ディズニーを見たがつたかは謎だが)
 ぼくは小学生の頃、ディズニーの伝記を読んだことがある。極貧の中でネズミが友達だつたといふ(まただ)あれだ。(かなり偏狭な記憶かも知れないが)それがミッキーマウスになつたと書いてあつた筈だ。そんなこと嘘でも本当でもいいが、彼が『アカ狩り』で、大活躍!?したことを知つたのは随分と後のことだ。高校の頃はまだ知らなかつた。
 アカ狩りで活躍したからといつて(もちろん。そこで、さもありなんと思つたが)彼には彼の考へがあつたらうし、時代の流れに飲まれただけとも考へられる。行為と作品群とを同一視するのも短絡的だ。
 でも、ぼくがディズニー作品を肯定的に見やうと努力してゐたことは事実だし、その後『転向」したことも事実だ。さらに本当に面白い作品があることも事実。ちなみに文脈から「シャギードッグ」はさほど気に入つてもなささうだ。「ベッドかざりとほうき」はそこそこ気に入つたと思はれる。洗脳がすすんだのか?問題は「ウォルトディズニーワールド」だ。よくは覚えてゐないのだが、おそらく今風にいふならば『遊園地の案内(紹介)ビデオ」のやうなものだと思ふ。東京ディズニーランドの宣伝映画だと思へば間違ひないだらう。少年がいかに純な心を持つてゐて、感化され易かつたかを想像すると悲しい。