もこみち、美咲走る2006年06月09日 22時17分17秒

 さういへば美男美女が成田空港で走るCMがあつたなと思ふ。思つた。
 第1ターミナルへ走つてゐたのだらうな。きつと。
 なんのことかと言ふと、北京シリーズの5として置くが、出発時の話である。
 だいたい海外出張ともなれば一応あれこれ事前に確認して同行者たちになるべく迷惑をかけない配慮をするのが大人といふものだらう。
 しかし、なんなのか?
 きちんと行程表をもらつてゐながら、ろくに見もせずに無くしてしまつた。
 かういふときぼくは、悪い癖だと思ふが行けばなんとかなるだらうと思ふ。思つてしまう。
 成田エクスプレスのチケットを握りしめ、成田へと向かつた。初成田エクスプレスである。まさか、品川周りで行くとは知らなかつた。知らなかつたものは仕方が無い。別にどこをどう通らうと成田行きである。
 して、ふと、第2ターミナル駅と第1ターミナル駅があることに気づく。
 でも、たいして気にもしない。
 時折乗客が『何か』を見に行く姿が目につく。外国人も含め明らかに『何か』を確かめに行く姿が少々気にはなつた。後でわかつたことだが『何か』とは、第1第2ターミナルの出発航空会社のリストだつた。つまり、ターミナル移行期に置いてケアがなされてゐたといふことだらうか?しかし、何も確認してゐないぼくにとつては無用の長物である。5月31日のことである。念のため。
 やがて、第2ターミナル駅につくが、ためらいなく終点を目指す。
 ただ、思ひの外大勢が降りた事が、やや気になつた。第2といふぐらいでもつとマイナーな印象を持つてゐたのだ。
 ムム‥‥‥。
 だが、何かの決断をする間もなく電車は走り出す。
 そして、終点第1ターミナル駅に付き‥‥‥。

 虫のしらせ?
 漂ふ風の感じ?
 いひ知れぬひとりぼつちな雰囲気?
 ためらいがちに訴へる心。

 ここは違ふ。
 と、ぼくは悟つた。
 ヤバッ!
 と、同行のプロデューサーにテレフォン。
 しかし、留守電。
 ありゃりゃ。普段誰かに電話する事があまりないので、もしかしたら電話番号が変はつたのではないか?などとも思ひ、今回同行しないプロデューサーにもテレフォン。誰だかわからない着信履歴にもかけてみる。変なキャッチシステムでなければいいなと思ひつつ勇気を出してかけてみる。女性が出た。聞き覚へのない声だ。やられたか‥‥‥。
 「あの〜、電話もらつたみたいなんですけど‥‥‥」「は?」「○○ですけど」「あ〜、間違へたんです」「あ、さうですか」
 名前を言つてしまつた。大丈夫だらうか?
 なんて心配よりも問題は集合に遅れることだ、とにかく折り返しの東武線(何故かJRではない)の改札に入る。しかし、次の電車が集合時間の17分後に発車だつた。
 と、同行の別の担当者から電話。第2ターミナルですよね、アハハ、今折り返しますから、すいません。と言つて切る。申し訳ない。

 さて、中略。
 出発です。
 搭乗口からバスに乗りました。
 あまり考えませんでしたが、成田つてさうだつけ?
 まあ、深く考えず。
 ああ、さうさう。飛行機はANAでした。NH905便。
 そして、それからが、凄い。
 凄いつて。
 走る。
 飛行機走る。
 もこみち美咲だけぢやない。飛行機こそ走る!
 一体どこまで行くのだ〜っつうぐらい走りました。
 飛行機といふのは飛ぶのと走るのとどちらがガソリン食ふのですかね?
 どれくらい走つたかつて、それはもう、皆と会へた安心感で眠くなつたぼくが『一居眠り』してもまだ走つてたぐらいの距離です。第1まで走つたのではなからうか?

 ついでだからさらに長い中略。
 帰りの飛行機は『一居眠り』でなく『一眠り』してもまだ飛んでませんでした。走りもしませんでしたが、気流のせいとかで前が詰まつてたやうです。
 もひとつ中略。
 さて飛行機は成田へ着いた。6月2日である。
 行きはバスに乗つたよな〜と思つてゐたら今度は直接ターミナルへとつながつてゐた。
 行きと帰りと違ふのだな〜と、思ひつつ歩く。
 歩く。
 歩く。
 歩く。
 歩く。
 歩く。
 歩く。
 延々続く動く歩道をひたすら歩く。
 ど、ど、どこまで、続くのだ。恵比寿駅からガーデンプレイスなんてもんぢやない。東京駅の端から端まで歩いて乗り換へするやうなそんな気分。

 と、そこがつまり第1ターミナルだつたのだ。

 まあ、だけど、よくわからん。
 もこみち美咲の後ろ姿が目に浮かぶ。

北京、六2006年06月10日 20時48分53秒

 予定は、変動する。録音作業は翌日の段取りであつたが、即日開始。
 開始とは言へ、日本とは勝手が違ひ、作曲家とエンジニアの戸惑ひと苦戦の開始した。細かい事を書いて間違つてはいかんので、軽く書いておくが、日本では、楽器の特性ごとにマイクセッティングを変へて、防音のしきりを間に置いたり、独立ブースに分けて録音をする。録音トラックごとの音漏れを最小限にするためだ。写真を見てわかるやうに独立したブース(奥に見える窓の中。このスタジオには3部屋あつた)はあるが、しきり版がない。日本からもマイクを持つてゐつたのだが、数的に結構苦労したやうだ。
 その小部屋にはパーカッションとブラス系が入つてゐる。
 ピアノはどうしても一緒に録る訳にいかず、しかも大きくて小部屋には入らない。(そもそもスタジオの入り口が狭くて、どうやつて中に入れたのだらうと皆話してゐた)仕方ないのでダビングすることにした。(つまり最初に録つたオケを聞いてもらいながらピアニストに単独で弾いてもらい、重ねることにした)

 それでも、作曲家もエンジニアの方も、英語が達者であつたので、現地で英語が話せるスタッフとなんとかセッティングを進めた。
 作曲家本人が言ふには『和歌山なまりの英語』らしいが、中国側のコンポーザーの方も英語が達者な方で、演奏に関する意思の疎通は比較的スムーズに行つたのではなからうか?ちなみにピアニストの英語も達者だつた。皆さん凄いな。
 さて、実際に音が鳴りはじめたのは夕方からになつた。演奏者の皆さん昼間の仕事を済ませてきた後らしいが、パワフルに不平も言はず(言つててもわからないけど)リストの中でもハードな内容のものをこなして行つた。
 ところで、そんなこんなで夕食用のお弁当を先に食べたのだが、これが、もの凄い量なのである。大食ひの人は喜ぶだろう。でまた、おいしい。
 ぼくは少食なので、いささか困つた。どう説明すればいいのか?
 まづ、ごはんとおかずが別々のパックに入つてゐるお弁当を想像して欲しい。大きさは普通である。しかし、おかずは2段重ね(お重だね)になつてゐて、ごはんはぎゅうぎゅうに詰め込んである。
 うまいので、箸はすすむが、ぼくの場合少食なので突然苦しさに耐えられなくなる。その後録音なのに傍観者と言へ寝る訳にもいかない。残しました。一説によると中国では出された食事は残すのが礼儀(習慣)だなんてのも聞いた事があるので、ごめんなさい。さうしました。


 写真は翌日のものである。
 夕方からでは光が全然足りず撮れる状態ではなかつたからだ。
 あちらでは習慣なのだらうか?楽器を置きっぱなしで帰る方が多い。翌日同じスタジオだからといふことなのだらうが、おおらかである。
 つい最近日本で有名フルート奏者がロッカーに入れたフルート盗難事件といふのがあつた。こちらではさういふことはないのかな?日本の音楽関係スタッフは驚いておりました。


 これはどちらかといふと裏口!?になるのだけれど、ご覧の通り狭い。狭く見えるやうに撮つたわけでもない。まあ、普通のドア口だ。


 そして、この左側手前に見えるマリンバ。
 これは分解してこのスタジオに入れるのである。でないとドアを通らないのだ。
 そして、このマリンバが、よもや、まさか、そんな事態を起こすとは、誰もだあ〜れも、思ひもよらなまりんば!?

スタジオの周り2006年06月11日 23時34分08秒

 北京七です。
 OASISといふスタジオが博物館の敷地内にあることは書きましたが、それがなんといふ博物館なのか忘れてしまつたため、紹介が意味をなさない。軽く調べてみるべと思つたが、なかなかにむつかしい。ホテルは北京の朝陽区[陽は簡体字だと阜偏(こざとへん)に「日」)にあつてバス(車)で10分とかからない場所にある。途中外交官官邸が並ぶ地域があつて、門番さんたちが直立で微動だにせずに立つてゐる。感覚としては南へ数分、直角に東へ数分なのだが、詳しい地図を発見出来ずよくわからない。今度、コーディネーターの人に会ふ事があつたら聞いてみやうと思ふ。

 これは、まあ、スタジオ横手ですわ。


 スタジオ側から見ると、こんな風に池と道。
 この道は堤防といふかダムの機能を有してゐるのか?写真では判りにくいですが、向かつて右側(北側)の水位はかなり低いです。

 そして、強引に寄りサイズで2枚ほどご紹介。



 下のはバスの中から撮りました。
 労働歌などが聞こえてきさうな雰囲気です
 中華人民共和国なんですね。ここは。一口に中国といふとなかなかにイメージが定まりにくい。

 続いて揺れるバスの中から(なんの為なのか?ここに限らずあちこちの道路に極めて段差のある鉄製の棒が敷いてある。そこを通過する時の揺れといつたら並大抵ではない。ガッツン!とはねる。スピード制限のためなのか?)


 なんだらうな〜?。

 そして<br>


 ゴミ箱。
 だと思ふ。かういふものをとにかく撮つてしまうのは、ある種の職業病だと思つてゐる。


 さきほどの池の間の道で佇むといふか、じつと立ち続けてゐたおばさん(おばあさん)
 ぴくりともしない。
 二本の足で地と気でつながつてゐるのだらうか。
 これも中国だと感じる。

北京八2006年06月13日 23時18分23秒

 ペキンパー(北京八)です。
 上の一行、意味ないです。

 ホテルからの眺めです。10階。
 初日の夜。作曲家と二人で皆より先に部屋へ向かいました。ぼくが先にエレベーターに乗り『10』を押す。丁度女性が乗つて来て「ハロー」とか言ひながら、その女性は『11』を押しました。微妙なタイミングで、作曲家はその次に乗り込みました。
 そして、10階につき、ぼくと作曲家はもちろん降りますが、『11』を押した女性も降りてくるではありませんか!?
 そして、日本語で「マッサージは?」って‥‥‥、おいおい狙つて乗つてきたのね。
 「いらない」と言ひましたが、女性は主に作曲家の方にアプローチ!
 それをいいことに!?「おやすみなさい」と、ぼくは安心して自分の部屋へ向かいました。
 まあ、女性はすぐにあきらめるだらうと思つたのですが、実はその後、作曲家は壮絶な戦ひを強いられる事になつたと、翌日聞きました。ドア口で「いらないから」とさらに断つたのださうですが、閉めやうとしたドアに足を挟んで、まるで、ガサ入れの警察官のごとく迫つてきたさうです。
 その後もかなりの攻撃にあつたやうで、いや、ぼくよりも遥かに疲れてゐて大変だつたと思ひます。申し訳ない。
 でも、ぼくに興味示さなかつたのでね〜‥‥‥‥。

 と、10階と説明した事が原因で、思つてゐたネタと違ふことを書いてしまいました。
 なので、これから本題。
 まあ、本題も何もないのですが。
 下に見えるのは運河だと思ひます。川よりは池に近い。


 そばで見るとこんな感じ。

 まあ、散歩コースです。
 この一段上のところ、ホテルからの眺めの右手側は、作られた遊歩道になつてゐて、健康機具(遊具)が、設置されてゐます。おばさんたちが、ギコギコやつてました。


 多分魚もゐるとは思ひますが、とりあえずぼくは発見出来ず。この男の子は、岸辺のゴミをばしばし棒で叩いてました。
 対岸に見えるやうに階段が水面(下)まで、続いて降りられます。
 こんな流れのない川(運河、池)があるわりには臭はないな。と思つて油断してゐると‥‥‥‥。
 ホテルからの眺めの右手上方。橋があるんですけどね。


 ここから、いきなり、本当に突然、強烈な臭ひに襲はれます。
 なんだ臭はないぢやんと安心しきつてゐますから、ガックン!とボディに響きます。鼻はもちろん曲がります。瞬間的に本能的に呼吸を止めてしまいます。
 この橋の向こう側の上には青果市場があります。
 う〜ん。あまり入りたくない。
 だから?


 馬車で果物売つてます。


 この馬車の止めてある、上の写真で言ふと右手側の広い歩道みたいなところが、川沿ひの遊歩道広場であります。
 健康機具で鍛えるおばさんや、自前の『剣』を持つて来て、剣舞(ゆつくりと動いてポーズを決めるやつ)をやつてゐる老夫婦がゐました。
 しかし、このお二人は一本しか『剣』を持つてゐないらしく、交代でやつておりました。一人がやつてゐる間、もう一方(ひとかた)は、ボーッと待つてゐるのでした。