夢の宇宙 ― 2006年07月29日 20時03分59秒

なんと!
宇宙へロケハン(取材)へ行く、夢を見た。
わりと普通の飛行機で行つた。
ビル街をすれすれに飛んだあげく、海の手前で落ちた気もするが、その後、バス!?に乗り換えたりしながら、間違ひなく衛星軌道上のステーションについた。どんな作品のためのロケハンなのかはよくわからなかつた。同行した人々も馴染みのない人たちだつた。
まあ、とにかく着いたので、フロント!?へ出向いた。宇宙ステーションといふよりも旅館のやうだつた。ホテルでもない和風な感じだつた。
宇宙ステーションには思ひの外、従業員が大勢ゐた。みんな、仕事で、宇宙に在住してゐるのだ。大変だなと思つた。
みなは風呂へ行つたが、ぼくは着替へを用意してゐなかつたので、とりあえず一回部屋へ戻つた。フイルムを一本しか持つてゐなかつたことを悔しがりながら、一方、このステーション内は撮影自由なんだらうか?と悩んだ。宇宙ステーションは国営で、旅館のやうなフロントのムードとは相反して、厳しく管理されてゐるらしいのだ。まだ、観光地ではなく、自由に行き来は出来ないらしいのだ。さう思つて見れば、旅館めいた場所がある割りに、なんとなくさみしい感じもする。どことなく温度を感じないのだ。70年代の近未来SF映画のやうな、空気感が漂つてゐる。
ともあれ、撮影の件は後でコーディネーターに尋ねてもらう(誰に聞いたらいいのか、管理者がわからないので、聞いてもらうつもりらしい)ことにした。
フロントから部屋へ戻る時はどうしたのか解らないが、再びフロントへ戻るために、移動車(新交通システムみたいなものか)に乗つて、チューブの中を通つてゐた。チューブはステーションの外に出てゐた。この宇宙ステーションは建設中ではないと思ふが、白い鉄柱を無数に束ねて作られており、全体像がつかめなかつた。窓もない、入り口も見当たらなかつた。周りは真つ暗で、上も下もない。角度のせいか?地球も見えなかつた。このチューブは大丈夫なんだらうか?とやや不安になる。
ぼくは、宇宙とか海の底が怖い。窓が破れたら息が出来ないのだ。当たり前だけど。
そんな不安の中、いつの間にか移動車は街中!?を走つてゐた。雰囲気は、東京湾沿ひの埋め立て造成地。(しかも、今風ではなくてこれも70〜80年代の雰囲気だ。最近はどうか知らないけれど、その頃の湾岸の印象は夜になると、静かで立ち並ぶ団地が不気味なものだつた)時間はこれから夕方になるといふ感じだつた。仕組みは解らないが、空もあつた。
国語の先生に声をかけられた(何故かはわからないが、その人がさう言つた訳ではないし、ぼくの知つてゐる先生でもないが、国語の先生と認識した)。
アニメーション関係の人が取材に来てゐることは、宇宙ステーション内では知れ渡つてゐて、つまり、ここでは、すべての人が顔見知りであるからして、異邦人のぼくの素性はすぐに解るわけなのだ。
そして、その先生は、以前『日本昔ばなし』のスタッフも宇宙に来たことがあるのだと話した。
そうなんだ。と、不思議に思つた。
宇宙へロケハン(取材)へ行く、夢を見た。
わりと普通の飛行機で行つた。
ビル街をすれすれに飛んだあげく、海の手前で落ちた気もするが、その後、バス!?に乗り換えたりしながら、間違ひなく衛星軌道上のステーションについた。どんな作品のためのロケハンなのかはよくわからなかつた。同行した人々も馴染みのない人たちだつた。
まあ、とにかく着いたので、フロント!?へ出向いた。宇宙ステーションといふよりも旅館のやうだつた。ホテルでもない和風な感じだつた。
宇宙ステーションには思ひの外、従業員が大勢ゐた。みんな、仕事で、宇宙に在住してゐるのだ。大変だなと思つた。
みなは風呂へ行つたが、ぼくは着替へを用意してゐなかつたので、とりあえず一回部屋へ戻つた。フイルムを一本しか持つてゐなかつたことを悔しがりながら、一方、このステーション内は撮影自由なんだらうか?と悩んだ。宇宙ステーションは国営で、旅館のやうなフロントのムードとは相反して、厳しく管理されてゐるらしいのだ。まだ、観光地ではなく、自由に行き来は出来ないらしいのだ。さう思つて見れば、旅館めいた場所がある割りに、なんとなくさみしい感じもする。どことなく温度を感じないのだ。70年代の近未来SF映画のやうな、空気感が漂つてゐる。
ともあれ、撮影の件は後でコーディネーターに尋ねてもらう(誰に聞いたらいいのか、管理者がわからないので、聞いてもらうつもりらしい)ことにした。
フロントから部屋へ戻る時はどうしたのか解らないが、再びフロントへ戻るために、移動車(新交通システムみたいなものか)に乗つて、チューブの中を通つてゐた。チューブはステーションの外に出てゐた。この宇宙ステーションは建設中ではないと思ふが、白い鉄柱を無数に束ねて作られており、全体像がつかめなかつた。窓もない、入り口も見当たらなかつた。周りは真つ暗で、上も下もない。角度のせいか?地球も見えなかつた。このチューブは大丈夫なんだらうか?とやや不安になる。
ぼくは、宇宙とか海の底が怖い。窓が破れたら息が出来ないのだ。当たり前だけど。
そんな不安の中、いつの間にか移動車は街中!?を走つてゐた。雰囲気は、東京湾沿ひの埋め立て造成地。(しかも、今風ではなくてこれも70〜80年代の雰囲気だ。最近はどうか知らないけれど、その頃の湾岸の印象は夜になると、静かで立ち並ぶ団地が不気味なものだつた)時間はこれから夕方になるといふ感じだつた。仕組みは解らないが、空もあつた。
国語の先生に声をかけられた(何故かはわからないが、その人がさう言つた訳ではないし、ぼくの知つてゐる先生でもないが、国語の先生と認識した)。
アニメーション関係の人が取材に来てゐることは、宇宙ステーション内では知れ渡つてゐて、つまり、ここでは、すべての人が顔見知りであるからして、異邦人のぼくの素性はすぐに解るわけなのだ。
そして、その先生は、以前『日本昔ばなし』のスタッフも宇宙に来たことがあるのだと話した。
そうなんだ。と、不思議に思つた。
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