あ、そ、 ― 2006年09月09日 23時26分14秒

やはり見てをかねばいかんと思ふて『太陽』見る。
ロシアの人より提示された日本の一大事数日をまとまらぬ考え胸に抱きつつジッと見る。
レイトショーなれば眠気もあらんところが気配すれど何故かそれよりもなによりも画面より目を離す気になれず食ひ入るばかり。
太陽の光は陰のごとし抑へ保ち崩れる事なし。
イッセー尾形おそるべし。
幕の引き際に言葉なし。
ロシアより『何』をこめてのメッセージか計り知れぬ思ひ消せずエンディング凝視続けるとItalyなる文字多く流れる。
枢軸国からも何をかあらん?
いつものやうに調べればロシア、イタリア、フランス、スイス合作なり。
ロシアの人より提示された日本の一大事数日をまとまらぬ考え胸に抱きつつジッと見る。
レイトショーなれば眠気もあらんところが気配すれど何故かそれよりもなによりも画面より目を離す気になれず食ひ入るばかり。
太陽の光は陰のごとし抑へ保ち崩れる事なし。
イッセー尾形おそるべし。
幕の引き際に言葉なし。
ロシアより『何』をこめてのメッセージか計り知れぬ思ひ消せずエンディング凝視続けるとItalyなる文字多く流れる。
枢軸国からも何をかあらん?
いつものやうに調べればロシア、イタリア、フランス、スイス合作なり。
ばあさんは大事 ― 2006年09月10日 22時58分00秒

太陽つながり(?)で「スーパーマンリターンズ」見ました。
ソクーロフの映画とは大分違ひます。
音楽が感傷的すぎてちよいとやられてしまつた感があるのですが、そもそも最初のシーンでやられてしまつたので、音楽のせいばかりとは言へない。
ファーストシーンで来てしまつた映画はよほどの事がない限り、すべてOKだね。(過去、違つたのはすぐに思い出せるので『ミーンストリート』のみ。ビーマイベイビーに乗つて小気味よくスタートしたのに、展開は少々辛かつた)
で、ばあさんさ。
と、まあ、順に書きます。
オープニングクレジットを見てゐると、エバマリーセイントといふ名がありました。「へえ〜出てるんだ」と思ふ。有名人はケビンスペイシーぐらいなので、楽しみ。何の役だらうと思ひつつ本編へ突入します。
あんまり内容細かく書くのはなんなんだけど、ファーストシーンだから申し訳ない。見る前に読みたくない人は、また次の機会にお願ひします。
さて、田舎の風景と犬とばあさん。
で、宇宙から落下物。
それを見つめるばあさん。(窓越しショットがたまらない)
「あ〜〜!」と心で叫ぶ。「そうか、お母さん役なんだ」と、ここでもうやられてる。よく見れば品のいい顔立ち。さすが。
ばあさん自動車運転して落下地点へ。
そして、息子を見つけて『クラーク』と抱きしめる。
これだけで、満足してしまいました。
ご存じない人のために、エバマリーセイントとは?
女優さんです。(当たり前か)
有名なのはヒッチコックの『北北西に進路を取れ』でせうが、ぼくは『グランプリ』かな。『栄光への脱出』『いそしぎ』に出てます。主な活躍は1960年代ではないかしらね。ぼくが子供の頃すでに、ちよつと前の女優さんでした。
が、ちよつと待てよといふことで、やはり調べます。
と!
1924年生まれ!
凄いぜ!
改めて感心。
そんな出だしだつたので、いささかリアル(?)に見てしまつたやうです。
繰り返しますが音楽もいけない。こんな映画で涙腺を攻撃せやうなんてわきまえが足りません。(テーマはもちろんジョンウイリアムズですが、アレンジを別の人がやつてゐるやうです)
おかげで、スーパーマンが次から次へと人助けをするシーンでは「彼は『たつた1人』でどこまでやるつもりなのだらう」といふ思ひがこみ上げて切なくなりました。
実は『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』といふ本を読み終へたばかりで、アメリカといふ国に対する思ひに変化を生じてしまつたので(頭ごなしに嫌ふのは間違ひだと気づいた)ますます、なんでそんなにがんばるのだと、胸を締め付けられたわけです。
影響受けやすいな〜。
ソクーロフの映画とは大分違ひます。
音楽が感傷的すぎてちよいとやられてしまつた感があるのですが、そもそも最初のシーンでやられてしまつたので、音楽のせいばかりとは言へない。
ファーストシーンで来てしまつた映画はよほどの事がない限り、すべてOKだね。(過去、違つたのはすぐに思い出せるので『ミーンストリート』のみ。ビーマイベイビーに乗つて小気味よくスタートしたのに、展開は少々辛かつた)
で、ばあさんさ。
と、まあ、順に書きます。
オープニングクレジットを見てゐると、エバマリーセイントといふ名がありました。「へえ〜出てるんだ」と思ふ。有名人はケビンスペイシーぐらいなので、楽しみ。何の役だらうと思ひつつ本編へ突入します。
あんまり内容細かく書くのはなんなんだけど、ファーストシーンだから申し訳ない。見る前に読みたくない人は、また次の機会にお願ひします。
さて、田舎の風景と犬とばあさん。
で、宇宙から落下物。
それを見つめるばあさん。(窓越しショットがたまらない)
「あ〜〜!」と心で叫ぶ。「そうか、お母さん役なんだ」と、ここでもうやられてる。よく見れば品のいい顔立ち。さすが。
ばあさん自動車運転して落下地点へ。
そして、息子を見つけて『クラーク』と抱きしめる。
これだけで、満足してしまいました。
ご存じない人のために、エバマリーセイントとは?
女優さんです。(当たり前か)
有名なのはヒッチコックの『北北西に進路を取れ』でせうが、ぼくは『グランプリ』かな。『栄光への脱出』『いそしぎ』に出てます。主な活躍は1960年代ではないかしらね。ぼくが子供の頃すでに、ちよつと前の女優さんでした。
が、ちよつと待てよといふことで、やはり調べます。
と!
1924年生まれ!
凄いぜ!
改めて感心。
そんな出だしだつたので、いささかリアル(?)に見てしまつたやうです。
繰り返しますが音楽もいけない。こんな映画で涙腺を攻撃せやうなんてわきまえが足りません。(テーマはもちろんジョンウイリアムズですが、アレンジを別の人がやつてゐるやうです)
おかげで、スーパーマンが次から次へと人助けをするシーンでは「彼は『たつた1人』でどこまでやるつもりなのだらう」といふ思ひがこみ上げて切なくなりました。
実は『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』といふ本を読み終へたばかりで、アメリカといふ国に対する思ひに変化を生じてしまつたので(頭ごなしに嫌ふのは間違ひだと気づいた)ますます、なんでそんなにがんばるのだと、胸を締め付けられたわけです。
影響受けやすいな〜。
砦の29人(うち25人新兵) ― 2006年09月12日 23時22分47秒
後の四人は新任の将校、退役して軍需物資など調達してもうけてゐるらしい元軍曹(黒人)、やはり商人で実力者らしいが嫌はれ者、それから、流れ者らしき(これも元軍人か?見たばかりなのに忘れた)主人公だ。
1966年作品。タイトルは知つてゐたが、見るのは初めて。蔦屋ビデオです。(DVDでない)これが、中々に、思ひの外面白かつたので、ちよいと得した気分。本場アメリカ製西部劇だが、おもむきはやや違ふ。変化しはじめた頃の作品か。当時見ていたらどう思つたかはわからない。
変化しはじめといふのは、どういふことかと言ふと、まづ解りやすいところでいふと(いかん「いふ」ばかりだ)黒人がメインどころで出てくる。白人に対して態度でかい!(いや「普通」に接してゐる。当時としては「普通」が凄い)白人より身なりがいい。役所そのものも「いい役」である。
それから、インディアン(当時はネイティブとはいはない)の扱ひが微妙。アパッチの行為の描き方は容赦ないが、それでも、居留地に押し込めるのはいかがなものかと言つたやうな態度が伺へる。(全面的にではないところが、中途半端な印象を与えるかもしれないが、それが却つて正直と受け取れた。これも当時見たらどう思つたかはわからない。そもそもぼくは子供だつたし、そんなことまで思ふ筈もない)
そして、嫌はれ商人の奥さんはアパッチにさらわれたことがあり、酋長の息子との間に赤ちゃんまでゐる!おお、だんだん複雑になつてきた。
さらに、主人公の奥さんはコマンチ族である。この奥さんはすでに死んでゐることがわかり、その犯人探しが、主人公にとつては重大目的になるのだが‥‥。
主人公役はジェイムズガーナー。『大脱走』が有名。
この配役が大変よかつたと思ふ。この人、ヒーロー然としてゐない。頼りになりさうだし、たくましさもあるが、どこか飄然(ひょうぜん)としてゐて、深刻さが薄れるんである。角々した顔だが、丸い性格!?優しさが自然である。
奥さんのコマンチが殺されて犯人は?って、展開で、重たい演技されたら、見るの辛いよね。
おかげで、かなり深刻な内容の物語ですが「起きてしまつたこと」として、見ることが出来ました。(まあ、逃避的な考え方かも知れませぬが、娯楽西部劇はそれぐらいが良いと思ふ)
音楽も妙に前向きでいい。
さう。冷静に分析すれば、あれもこれもチグハグでまとまりがないとも言へる。暗い映画にしたいのだとは思はないが、どこまで非情に描きたいのかやや不明。それは『いい』と言つたキャスティングが実は真逆なことになつてしまうが、例えば映画会社の表記「UNITED ARTISTS」(当時日本では「ユナイト映画」と言つてゐた。後にMGMに合併される)が、ナイフで裂かれてイントロが始まるとか(ギャグではない)コマンチ族の奥さんは頭の皮はがれてた!など。かなりシビアなイメージだ。
邦題の『砦の29人』が、内容的にいい加減なのはよくあることとして、原題も『DUEL AT DIABLO』で(貧相な英語力を駆使して考えると)DUELは決闘だと思ふ。1対1の印象があるがどうだらう?DIABLOはチキンソテーディアブロ風といふぐらいで悪魔のことでしょ?『悪魔で決闘!?』
といふのは中身を見てゐない証拠で、DIABLOは、ディアブロ渓谷なる水場が出てきてそこが最後の決戦場になるので、つまり『悪魔渓谷の決闘』といふのが最大限の直訳であらう。まあ、ただ、悪魔渓谷も名前ほどに険しくなく、険しくないから逆に防備固められずやられ放題になるのだけど。
そんな具合に「あっけなさ」と「複雑性」が混在して、でも1時間45分!理想的!な映画なのだ!
新兵25人が、馬で整列せやうとしても全然出来ずにバラバラで訓練にならないシーンが可笑しい。
1966年作品。タイトルは知つてゐたが、見るのは初めて。蔦屋ビデオです。(DVDでない)これが、中々に、思ひの外面白かつたので、ちよいと得した気分。本場アメリカ製西部劇だが、おもむきはやや違ふ。変化しはじめた頃の作品か。当時見ていたらどう思つたかはわからない。
変化しはじめといふのは、どういふことかと言ふと、まづ解りやすいところでいふと(いかん「いふ」ばかりだ)黒人がメインどころで出てくる。白人に対して態度でかい!(いや「普通」に接してゐる。当時としては「普通」が凄い)白人より身なりがいい。役所そのものも「いい役」である。
それから、インディアン(当時はネイティブとはいはない)の扱ひが微妙。アパッチの行為の描き方は容赦ないが、それでも、居留地に押し込めるのはいかがなものかと言つたやうな態度が伺へる。(全面的にではないところが、中途半端な印象を与えるかもしれないが、それが却つて正直と受け取れた。これも当時見たらどう思つたかはわからない。そもそもぼくは子供だつたし、そんなことまで思ふ筈もない)
そして、嫌はれ商人の奥さんはアパッチにさらわれたことがあり、酋長の息子との間に赤ちゃんまでゐる!おお、だんだん複雑になつてきた。
さらに、主人公の奥さんはコマンチ族である。この奥さんはすでに死んでゐることがわかり、その犯人探しが、主人公にとつては重大目的になるのだが‥‥。
主人公役はジェイムズガーナー。『大脱走』が有名。
この配役が大変よかつたと思ふ。この人、ヒーロー然としてゐない。頼りになりさうだし、たくましさもあるが、どこか飄然(ひょうぜん)としてゐて、深刻さが薄れるんである。角々した顔だが、丸い性格!?優しさが自然である。
奥さんのコマンチが殺されて犯人は?って、展開で、重たい演技されたら、見るの辛いよね。
おかげで、かなり深刻な内容の物語ですが「起きてしまつたこと」として、見ることが出来ました。(まあ、逃避的な考え方かも知れませぬが、娯楽西部劇はそれぐらいが良いと思ふ)
音楽も妙に前向きでいい。
さう。冷静に分析すれば、あれもこれもチグハグでまとまりがないとも言へる。暗い映画にしたいのだとは思はないが、どこまで非情に描きたいのかやや不明。それは『いい』と言つたキャスティングが実は真逆なことになつてしまうが、例えば映画会社の表記「UNITED ARTISTS」(当時日本では「ユナイト映画」と言つてゐた。後にMGMに合併される)が、ナイフで裂かれてイントロが始まるとか(ギャグではない)コマンチ族の奥さんは頭の皮はがれてた!など。かなりシビアなイメージだ。
邦題の『砦の29人』が、内容的にいい加減なのはよくあることとして、原題も『DUEL AT DIABLO』で(貧相な英語力を駆使して考えると)DUELは決闘だと思ふ。1対1の印象があるがどうだらう?DIABLOはチキンソテーディアブロ風といふぐらいで悪魔のことでしょ?『悪魔で決闘!?』
といふのは中身を見てゐない証拠で、DIABLOは、ディアブロ渓谷なる水場が出てきてそこが最後の決戦場になるので、つまり『悪魔渓谷の決闘』といふのが最大限の直訳であらう。まあ、ただ、悪魔渓谷も名前ほどに険しくなく、険しくないから逆に防備固められずやられ放題になるのだけど。
そんな具合に「あっけなさ」と「複雑性」が混在して、でも1時間45分!理想的!な映画なのだ!
新兵25人が、馬で整列せやうとしても全然出来ずにバラバラで訓練にならないシーンが可笑しい。
銃 ― 2006年09月14日 22時25分10秒

今朝(いつものやうにチャンネルを頻繁に変へながら)テレビを見てゐるとカナダからのニュース。ドーソンカレッジで乱射事件。
日本時間にすると夜中の出来事のやうで、情報も錯綜気味。、犯人は射殺されたとか自殺したとか両方の情報が流れた。はじめに見たのは日テレだつたか事件の場所が「専門学校」と報道された。ぼくは写真の専門学校へ通つたことがあつたので、耳に残つた。でも、数分後のフジテレビでは「大学」と言つてゐた。情報が曖昧だ。情報といふよりも訳す人の問題なのか?
とにかく、カナダといふことで、いささか驚いて(アメリカだと驚かんのか?)調べてみた。映画『ボーリングフォーコロンバイン』の影響で、乱射事件ならばアメリカ。カナダは銃の一般普及率が高いにも関はらず平和。家の戸締まりをしなくても平気な国風と思ひこんでゐた。でも実は同じモントリオールで1989年にも乱射事件があつたらしい。(血のクリスマス?)
「らしい」といふのはつまり、恥づかしながらぼくは知らなかつた(もしかしたら忘れてた?)わけで、認識の甘さを感じる。知識の不足と思ひ込みだ。そもそもニュースがすべてを知らせてくれると思ふのは間違ひだし、記録映画にすべてあると思ふのも浅はかだ。
で、ドーソンカレッジであるが、CNN.co.jp を見てみたら、カナダではカレッジといふのはハイスクールと大学の中間に位置づけられてゐると書いてあつた。なるほど「専門学校」と報道されたのもわかる。CNNを信用するかどうかも考えなければならんが、なんとなく納得した。
知識と情報はバランスよく吸収しないと、偏見の元だ。
そこでまた最近読んだ『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』(長っ!)を持ち出す。著者はヴィクターソーンといふ人で、翻訳責任編集が副島隆彦氏だ。その中に高校生乱射事件は『支配者』たちがやらせてゐると書いてある。『支配者』が誰なのか気になるのであればこの本を呼んで欲しい。ともかく、彼らの情報網はもの凄く「利用』出来る材料は有効に使ふのださうふだ。『やらせる』とはさういふ意味で、直接『お前行ってこい』と命令するわけではない。負の可能性(支配者にとつてはプラスの可能性)を持つた人(組織)を、解放(野放し)にすることで、コントロールしてしまうのだ。ただヴィクターソーンはアメリカの人で、この本はアメリカ国民に『気づいて』欲しくて書いてゐる。カナダのことはわからない。でも、翻訳タイトルが語る通り、アメリカ一国の事象を書いてゐるわけではないし、しかもカナダはお隣(地図を見るとモントリオールは国境に近い)だ。気なるところである。
ところで、写真は30数年前に入手したモデルガンのカタログだ。MGC。まだ鉄製だつた頃のだ。
日本時間にすると夜中の出来事のやうで、情報も錯綜気味。、犯人は射殺されたとか自殺したとか両方の情報が流れた。はじめに見たのは日テレだつたか事件の場所が「専門学校」と報道された。ぼくは写真の専門学校へ通つたことがあつたので、耳に残つた。でも、数分後のフジテレビでは「大学」と言つてゐた。情報が曖昧だ。情報といふよりも訳す人の問題なのか?
とにかく、カナダといふことで、いささか驚いて(アメリカだと驚かんのか?)調べてみた。映画『ボーリングフォーコロンバイン』の影響で、乱射事件ならばアメリカ。カナダは銃の一般普及率が高いにも関はらず平和。家の戸締まりをしなくても平気な国風と思ひこんでゐた。でも実は同じモントリオールで1989年にも乱射事件があつたらしい。(血のクリスマス?)
「らしい」といふのはつまり、恥づかしながらぼくは知らなかつた(もしかしたら忘れてた?)わけで、認識の甘さを感じる。知識の不足と思ひ込みだ。そもそもニュースがすべてを知らせてくれると思ふのは間違ひだし、記録映画にすべてあると思ふのも浅はかだ。
で、ドーソンカレッジであるが、CNN.co.jp を見てみたら、カナダではカレッジといふのはハイスクールと大学の中間に位置づけられてゐると書いてあつた。なるほど「専門学校」と報道されたのもわかる。CNNを信用するかどうかも考えなければならんが、なんとなく納得した。
知識と情報はバランスよく吸収しないと、偏見の元だ。
そこでまた最近読んだ『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』(長っ!)を持ち出す。著者はヴィクターソーンといふ人で、翻訳責任編集が副島隆彦氏だ。その中に高校生乱射事件は『支配者』たちがやらせてゐると書いてある。『支配者』が誰なのか気になるのであればこの本を呼んで欲しい。ともかく、彼らの情報網はもの凄く「利用』出来る材料は有効に使ふのださうふだ。『やらせる』とはさういふ意味で、直接『お前行ってこい』と命令するわけではない。負の可能性(支配者にとつてはプラスの可能性)を持つた人(組織)を、解放(野放し)にすることで、コントロールしてしまうのだ。ただヴィクターソーンはアメリカの人で、この本はアメリカ国民に『気づいて』欲しくて書いてゐる。カナダのことはわからない。でも、翻訳タイトルが語る通り、アメリカ一国の事象を書いてゐるわけではないし、しかもカナダはお隣(地図を見るとモントリオールは国境に近い)だ。気なるところである。
ところで、写真は30数年前に入手したモデルガンのカタログだ。MGC。まだ鉄製だつた頃のだ。
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