あっと2006年10月17日 23時39分02秒

 いかん。気がつけば昨日は父の命日ではなかつたではないか!
 ごめん。親父。どういふわけか前の日まで覚えてゐるのに当日忘れてしまうといふことが、よくあるのだ。不思議だが、さうなんだ。明日は「○○の記念日」だなんて、思つてゐても翌日になると日常のなかでケロリと忘れ去つてゐることが、よくあるのだ。
 ま、言ひ訳だけど、近いうちに墓参りに行きます。

 父は、あの戦争中満州にゐたのだ。軍隊ではないらしい。半官半民で、上司は軍人だつたらしいが、本人はただの(?)測量技師だ。
 まあ、でも、関東軍がらみの仕事をしてゐたことではあらう。
 父は戦争のことなど話した事はなかつた。
 小学校の時、担任の先生が海軍上がりで、よく戦争の話をしてくれた。子供としては喜んだものだ。(今思へば不思議だが、楽しかつたのだ。戦争の話が!負け戦だつたにも関はらず!?)先生の話は勇ましく面白く、潜水艦に乗つてゐたとのことで、空気が恋しかつたなんて話も聞かされた。さういへば海軍かっこいい。陸軍地味。なんて印象はすでに社会的に形成されてゐたのかも知れない。
 それはさておき、そんな「楽しい戦争話」を聞かされた子供は家に帰りそれをまた自慢気(!?)に話す事もあつた。しかし、そんな時、我が父は嫌がつてゐたのだと思ふ。今思ふとますますさう思ふ。一度だけ、なんだか良く判らないが、激しく文句を言つたことがある。腹の虫の居所が悪かつたのかもしれないが、いつもとは違つて(そもそも気を荒くする事の少ない人だつた)語気荒く、そんな事をいふ先生は認められんみたいなことを言つてゐたと思ふ。ぼくは訳も判らず戸惑ふだけだつた。不思議だつた。だからか、父に戦争の事を聞かうと思ひはしなかつた。(ただ自分の父が満州にゐたといふことは何故か自慢なのであつた‥‥‥)
 それから年月をへてぼくが結婚するときに、仲人さんと父が会つたとき、何故そんな話にはつたのか思ひ出せないが、それまで戦争の話などしたことなどないのに、ふと、ポツリと「あのときは日本人もずいぶん悪いことをしたな」と言つたのだ。
 不思議だつた。おそらく父の口から聞いた戦争の話はそれだけだ。それ以上の事を語る事無く他界した。

 終戦時、父は中国軍につかまつたらしい。両手を縛られ何人も前後数珠つなぎにつながれて移動中に、知り合ひの中国人に見つけられ助けてもらつたらしい。それで、無事帰つて来た。
 そんな話をつい最近母親から聞いた。
 え〜と、9年前か‥‥。いかん。
 父が死んだ時、見たこともないアルバムを見た。
 これは昭和史だと思つた。
 父は満州で何をやつてゐたのだらう。
 怪しすぎてブログに出すにははばかられる写真もあつて、上のが限界か‥‥‥。