遅ればせながら小さい春 ― 2007年05月07日 19時59分28秒

つ〜か、世間的には金週間も終はつとる。
時間とは気がつかないうちに過ぎてゆく。
時間だけではない。
気がつかないもの、こと、ほにゃららはたくさんある。
気がついてしまつたがために苦しい思ひをすることもある。
それならば気がつかない方がましだつたのではなからうか?
なんて、思ひもするが、気づかぬまま悪行を重ねてはまづからう。
とはいへ、気づかぬままの快眠を、気づいて失ふ辛さもあらう。
果たしてどちらがよいものか?
ただ、世に様々なもの、こと、ほにゃららのある分、もしかすれば自分の中に様々なもの、こと、ほにゃららの隙間があるかも知れぬと考える。
それら埋まれば満たされる。
満たして何の得と思ひもするが、日頃からその中身の無さ軽さにいささか恥づらい、すきま風も暴風のごときなれば、少しは埋めてみんとす。
と、相変はらず適当な言の葉の繰り返し。
本当は、小さい春見つけたシリーズ!なんてやらうと思つてゐたのだが、タイミングを失つてしまつた。
時間は充分あつた筈なんだが‥‥。
二子玉川 ― 2007年05月08日 23時43分29秒

特にその日に意味があつたわけではないが、五月五日だ。
天気はよかつた。河原はバーベキュアーでいつぱいだつたが、それも目的外だ。
写真は、街中を走るコミュニティバスだと思ふ。普段なら、真つ先に珍しがつて撮るやうなものだが、これも目的外だ。
目的外なのに堂々と映つてゐるのは偶然だ。
今回はスチールではなくデジタルビデオを回したので、たまたまフレームに入り込んで来ただけだ。実際、バス型の車両が来たことは判つてゐたが、このバスだとは気づいてゐない。あとで、ビデオを確認してゐて見つけたのだ。
これはエスカレーターを降りながらビデオ回しつぱなしで、撮つてゐて、下まで来た所で、歩いて、右側のウインドウ際に移動するときに、ファインダーからは目を離してゐる。そこで、バスのほぼ全身が入つたのだ。
これは止めて切り出してゐるからなんとか見られるが、ビデオは、ガタガタにブレてゐる。経験のある方もゐると思ふが、シャッター入れつぱなしで忘れたりすると、天地ぶんぶん振り回された映像が撮れる。あれみたいなものだ。
ところで、今回のロケハンにはちやんと目的がある。
だが、その目的にはいささか適合しなかつたので、実際は、補助映像ぐらいな扱ひになりさうだ。
つづく。
遅ればせながら小さい春2 ― 2007年05月09日 23時32分24秒

今朝、西武池袋線で池袋に向かいました。
各駅でも座れなかつたので、途中(石神井公園)から急行に乗り換へたのですが、一番前の車両はそれはもう満員でぎゅうぎゅうでありました。
ぼくはラッシュには慣れておりません。
押されるままに配置された(!?)位置は、運転席の真ん中のドア辺りでした。そのドアは、段差で運転席側にくぼんでゐて、両側が出つ張つてゐます。
その凹み部分に女性が一人。その真後ろがぼく。その女性とぼくの間左手側にややふくよかな女性。その3人が凝縮された三角形になつてゐて、全員進行方向を向いてゐます。そして、ぼくの右側に老婦人が、両手で手すりを握つてゐました。ぼくの左後方にゐたのが男性だとは判りましたが、後は、視角に入りません。
ほぼ全員密着状態だつたのですが、しばらくしてぼくの前、つまり運転席のドアにへばりついてゐる女性が「あぁぁ〜ん」と妙な声を出しました。
な!?なに?
何が起こつたの?
「あ〜〜〜ぁん」
またです。しかもそこそこ大きい声。聞き方によつては悩ましい声です。
なんだか、やばい感じがして、自分の手元を見ました。
右手はずつと老婦人側で、手すりの上側にありました。
左手はかけてゐたショルダーのひもをつかんでゐます。
いきなり振り向かれて「やめてよ痴漢!」とか言はれても、手の位置は大丈夫だ。とか、思ひましたが、果たしてどうなんでせう?
かうして痴漢冤罪は生まれるんだらうか?
などと、緊張してしまいました。
と、さらに続く「あぁぁあ〜」に、さすがに気になつたのか、左側の女性がぼくの方を(顔ではなくてやや下)見ました。
それで、ぼくの手の位置を確認したのでせう。
とにかくぼくはショルダーをしつかり握つてゐましたから、それを確認した女性は視線を戻しました。
よかつた。これで、ぼくの無実は証明されると思ひましたが、果たして、わざわざ説明してくれるでせうか?
どこか目的地があるわけでせうから、そんなことに付き合つてくれるかどうかわかりません。
あるいは、たまたま彼女が見たときぼくの手が無実(?)だつただけで、ずつと、そこにあつたかどうか彼女が証明出来るものでもありません。さらにさらに、人間といふのは不思議なもので、何かそんな話をしてゐるうちに『そういえば、私が見たとたんに手を引っ込めてバッグのひもをつかんだような気がします』なんて記憶にすり替はつてしまうかも知れない。『いや、気のせいではないです。確かに、彼女のお尻から手が離れました』なんて、どんどんその気になつてしまうかもしれない!
みなさんもそんなことありませんか?
ぼくはつい最近。<バイクのケースから帽子を出して、家の中で置いたのに無い!>と思ひ込んでゐた事件があり<ケースから出してかぶつて家に入つて>とかなり鮮明な記憶があつたのにもかかわらず、念のためバイクのケースをみたら入つてゐたのです。
人の記憶の曖昧なことよ。
ですから、人の証言がどんな結果を生むのかなんてことは判りません。
なんてことを考えてゐると「あぁ〜ぁぁ〜」と、また!
これは、何よ!と気になつて仕方がありません。
まさか、ぼくの後方から変なことをしてゐる人がゐるのでは?
なんて思ひますが、もしも手を伸ばしているのならば、ぼくの身体に間違ひなくあたります。
これは本当にどういふことなのか?
と、悩んでゐると「あぁ〜ぅ、ぅゔ〜」と声音が変はりました。
どちらかといふと、気分が悪さうな‥‥。
ゲッ、それはそれで、どうする?
ここで吐かれたらかなり大変なんだけどと思ひましたが、気分が悪いとなれば仕方がありません。気の毒だし、大丈夫かな?と、別な不安が。倒れたらどうすればいいのか?などと、思ひましたが、幸いにも、ここは運転席の真後ろで、しかも、この時は線路作業の人が二人ほど、運転席内で立つてをり、いざとなればドンドンドンとガラスを叩けば、振り返り、真ん前に気分の悪い女性がゐるのですから、なんとかしてくれるでせうと、考えました。
と、思ひはすれど、なんだか、落ち着かない状態が続きます。
急行は、終点池袋まで止まりませんから、妙に長い時間に感じられます。
まあ、いろいろな状況下での本能でせうか。ぎゅうぎゅう詰めにも関はらず、ぼくはその女性との間を少しでも広げてゐました。
それが、気に入らないのか、右側の老婦人が敵意の目でぼくを見ます。
仕方ないぢやないの自分は両手でしつかり手すりつかんでゐるのだから、その邪魔はしてゐないのだから、といささか、その目つきにはムッとしましたが、それより前の女性が気になります。
と、後ろで、おぢさんがそんな不安と緊張に落ち着かない時間を過ごしてゐるとは知る由もない女性が『ふあああああああああ〜〜」と、大あくび。
なんぢや〜〜こいつは〜〜〜!眠かつただけかい!
それにしても、なんちゅうでかい声だ。
と、神経を疑ふけふこのごろ‥‥。
二子玉川2 ― 2007年05月11日 20時43分58秒
都会の定義は、いろいろ考えられるけど、都会を求めてならばもつと他の場所が浮かぶはずなのに、何故いきなり二子玉川が浮かんだかといふと、撮影の自由度を考えてのことでもあります。
いきなり、どこか守りに入つた考え方だけど、それは、つまりアメリカが舞台である西部劇をスペインで撮影するといふやうなことを思ひ浮かべて欲しい。
例えばネバダ砂漠では残存放射能が漂ひ危険だけど、スペインなら安全に撮影が出来ると言つたやうなことだ‥‥。
例えば新宿渋谷で撮影するよりも、楽かもしれないと、まあ‥‥。
つまりどんなに言ひ繕つてもやはりだめですな。はなからすり替へをしてゐたのかも知れない‥‥。
かも知れないけど‥‥。それでも、決して、単なる弱腰かといふとさうでもないのだ。
幼い頃、ぼくにとつては、二子玉川は本当に都会だつたのだ。
もう、ホント遥か昔のことだけど、玉電といふ路面電車が走つてゐて、その両端は『渋谷』と『二子玉川』だつた。
なんとも象徴的だなあと思ふ。
ここで、もうひとつの主旨に関して、付け加えると、それは『夢』だ。
明確なものではないかも知れない。どこか茫洋としてゐたとしても、広がる未知の世界に対する『夢』
子供にとつては、大人の世界なんか最たるものだ。よくわからないけれど、自分がいつか行く場所なんだ。
必ず行く筈の場所。そこに思ひ浮かべる『夢』が欲しかつたのだ。
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そして、ビデオカメラを回しながら、あれこれ探つてみたのだけど、何か違つた。
ここが都会でないとか『夢』がないといふことではない。
二子玉川はとても『いい』街だつたのだ。
どこか落ち着いてゐる。安心感がある。
それでは、まづいのだ。
そして、多分‥‥そんなことは初めから判つてゐたことなのかも知れない。
ただ単に久しぶりに来てみたかつただけなのかも知れない。
それで、ぼくは、急遽玉電のアザーサイド『渋谷』へ向かうことにしたのだ。
渋谷に関しては、とくに書かない。
今回はあくまでも『二子玉川シリーズ』だから‥‥。
ただ、一つだけ「面白ひ違ひ」があつたので、それだけ書いておく。
それは、撮影してゐても二子玉川で人々は無関心だつた。あるいは気にしないやうにしてゐた。逆に渋谷では、カメラに向かつて来る人が多かつた。
それが何故面白いかといふと、昔は、都会の方が撮影に対して無関心だつたのだ。シリーズ『エキストラの頃』(?)でも、書いた。新宿のロケだと、人々は通り過ぎ、少し都心を離れると、人々は寄つてくる。
つまりさういふことだ。二子玉川は昔の都会なんだ。
カメラを構へてゐると、ファインダーに入つてくるその人が、意識して前に来たのかどうか判る。
下の写真の人たちは、全然意識してゐなかつた。ぼくは本当に目と鼻の先でカメラを構へてゐるたのだが、気づいてないのではいか?と思つたぐらいだ。
いきなり連れて来た犬をバッグに入れてゐた。
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この日、子供の日だつたんだよな。
でも、この白い風船は‥‥。ここでもソフトバンクがうるさかつたな〜。
そこだけが、今の都会してたかな。
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まだ、もうちよつとだけ書きたいことがあるんで、つづく。
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