花粉、黄砂、鉛筆の芯2008年03月10日 21時21分17秒

 あまり放置してはいけないといふことなんだらうな。
 ゴミ箱も、あまりにも汚いとゴミを捨てる気にもなれないといふか、この箱に捨てられたゴミは、未来永劫そのままに放置されてしまうのではないかと不安になるね。

 あるいは、単なるゴミの山かと思つてゐたら、実は、掘り起こすと、ちやんとゴミ箱があつたりね。しかし、最終処理場でない限りコミ箱は、定期的に空にならないとその役割を全う出来ないわけだ。ゴミに埋もれてしまつたゴミ箱は可哀想だね。

 と、まあ、いま、ぼくの部屋がそれに近い状態?

 いや、その、なんの必要性があつて言ひ訳をするのか不明だけど、言ひ訳をすると、ここ3週間ほど、腰が曲がらなくてね,床にものを落としたら放置なんて状態が続いたのでね。
 いや(「いや」ばかりだが)その前から、部屋は雑然としてゐたな……。

 ちやんと小屋に入つてゐるバイクも(完全密閉ではないから)シートに土ぼこりが積もつてゐるな。

 バイクに関しては、サイドスタンドが戻らなくなるといふ事件も起こしてゐて、まあ「よーろぴあんのふあん(ヨーロピアンの不安)」なんてタイトルで、事の顛末を書く所なんだけど、すべてが停滞気味で、放置なわけだ。

 写真は、ヒヲウ戦記のロケハンで、蓬莱山まうでをしたときに(延々階段が続く)買つた杖のにぎりです。
 9年前になるのかな?
 こんなにお世話になるとは思ひもよりませんでしたね。家の中でも、ついて歩いてました。階段では必須です。
 もう、杖無しで、普通に歩けるのですが、何故か手放せずに持ちあるいてゐる。
 愛着がわいてしまつた。

 久しぶりなのに相変はらずの脈絡の無さで、わからないでせうが、ブログを放置し過ぎたせいかどうかわかりませんが、不思議なコメントが来てゐたので、削除したつうことです。

ストップウォッチ2008年03月15日 22時35分22秒

 やはり、時計にしろ、ストップウォッチにしろ針式がいい。
 今は、もうデジタル表示の方が,判り易くていいといふ人が多いとは思ふが、時計の針を見ないと実感がわかないといふ人もまだまだゐるはずだ。
 ストップウォッチは、コンマ以下の僅かな誤差を明確にするためにデジタル表示が相応しいとされて、一気に、それはもう有無を言はさず、軒並み、針式のものは消えて行つた。まあ、基本的に、お安い価格のものは「すべて」デジタル表示だ。
 この愛用のものはいつ買つたのかもう忘れてしまつたが、その時すでに、針式のものを見つけるのは大変だつた。これは、二代目(二台目?)で、これの前は、ゼンマイ式のものを使つてゐた。
 それが壊れたんで、新しくしたわけだが、これは、いはゆるもいはゆらずもクォーツといふ奴で、水銀電池を使ふ。針の戻り方が、ゼンマイ式と違つて、ゆる〜りと回つてゆくので、初めのうち煩わしかつた。(ゼンマイ式だと、ピッ!と一気に戻る)
 しかし、こいつは、実は優れもので、針が戻り切らないうちに、次のスタートをしてもきちんとカウントするのだと、途中で気づいた。実はこいつの後に3代目がゐて、そいつは、戻り切らないとスタート出来ないといふ奴だつた。

 で、何故、三代目がゐるかといふと、この二代目には、欠点があつて、ごらんの通り!真ん中のボタンがポロリンコと取れてしまうのだ。ちなみにここはリセットボタンだ。(2時側がスタート&ストップボタン。10時側がラップ/スプリットボタンだ)
 アニメーションの作業におけるストップウォッチ使用頻度は高いとは思ふ。アニメーターや演出家は、ビシバシしかも小刻みに使ふ。トラックレースでラップタイムを計るのとは違ふ。
 1秒以下のものから、10数秒のものが、ほとんどで、30秒60秒を超すものはかなり少ない。なので、このストップウォッチの場合60秒計なので、左半分は寂しい思ひをしてゐるかもしれない。(ただ、戻りの時きちんと回るので、針が通過しない事はない)
 にしても、そんなに壊れるモノなのか?
 このリセットボタンのこの状態は3回目である。
 いつ買つたのか忘れるぐらい前のもので、3回なら少ないと思ふかも知れないが、2回までは修理に出したのだが、3回目は修理に出してないのだ。そして、3回目がいつだつたかも忘れた。
 どうやつて使ひ続けたかといふと、テープで止めてゐたのだ。遊び部分を作り、操作が出来る状態にして使ひ続けて来たのだ。症状としては、単に抜けてしまつただけなので、それでも機能に問題はなかつたのだな。
 ちなみに3代目を買つたのは2回目の修理期間だ。3代目も悪いものではなかつのだが(これもセイコーの針式)修理から返ると、やはり元のものを使つてたんだな。
 ところが、3代目は、最近「ゼロ」がすぐにずれるやうになつて、調整しても調整しても気づくと妙な所へ戻つてしまうのだ。これは、かなり厄介で、3秒ぐらいのカットなのに、計ると4秒5秒と違和感のある長さが出る。あれ?と思ひ、リセットすると、1秒とか、2秒へ戻るんだな。電池がないのかな?と思つて入れ替へても同じ、そんなこんなで増々使はれなくなつて、現在に至る。
 とか、なんとか、時が過ぎてゆき、とうとう……、といふか、愛用のテープ止め式ストップウォッチのそのリセットボタンが、さらにおかしくなつてしまつたけふこのごろ。
 なんか、引つかかる感じがして、リセット出来なくなつてしまつたんだ。
 ああ〜。
 テープで止めて使つてゐたがために、微妙に要らぬ負担をかけてゐたのかも知れないな、なんて思ふても後の祭り。
 これは、やはり修理かいなと、思ひつつ、でも、なんか、新しいの欲しいな!なんて薄情な!
 いや、修理に出す気はあるんだが、今ちよつと……て、ことで、インターネットでストップウォッチを探したのさ。

 つづく(なんか久々、しかし「つづく」と言つて滞つてゐるものはどれくらいあるのだらうか?)

ストップウォッチ22008年03月20日 23時24分48秒

 これは、はずれてしまつたボタンを無くさないために、テープで止めてゐる図であります。
 テープに適度なアソビを作つてをくことで、使用出来ます。
 大きすぎては、ボタンが逃げてしまうので、可動範囲だけ伸び縮み出来るやうにします。
 で、結局先日修理に出しました。
 見積もりやらなんやらで三週間ぐらいかかるみたいです。
 うぉ〜〜やはり長いかな。
 でも、大丈夫なのだ。
 それは……
 と、ここで、またいきなり(つづく)

 といふか、本日の主なる目的は、実は「ストップウォッチ」ではなくて、ごらんの通りブログタイトル変へました。
 いきなりです。
 最近自分がブログをやつてゐることに実感がなく、まあ止めてもいいんだけど、何故が閉鎖することもなく、なんか電脳空間を無駄遣ひしてゐるやうな気がしつつ、ある意味客観的な目線になつたりして、すると、そもそも「阿弥音の護美箱」とは、ぼくには似合はないんでね〜のとか、なんかキザつたらしくない?とか思ふことにして(!?、ただ飽きただけかもしれないが)新しくしました。
 特に新しい決意をした訳ではありません。
 ただ「あみにょろ文庫」にするか、「あみにょろ通信」にするかはちよつとだけ思考しました。どちらにしろ意味はありませんが、「通信」だと、ジャーナリスティック(!)な気がしてまた似合はね〜だろどうせとか、思ひました。では「文庫」が合ふかといへば、そりゃあ文芸的でも文化的でもないので、合はんけど、口の端を両手の人差し指で広げながら発音してください。
小学生のころ絶対に一度はやつた「がっきゅう○○こ」と同じです。

 え?

 やつたことない……。

 それは、まづいな〜。
 昨今の小学生はやらんのか?
 それこそ文化の崩壊だ。
 学級文庫、金沢文庫。
 社会的情緒を味はつて欲しいな。

 あ、さうさう。
 「あみにょろ」は、カタカナのつもりだつたんだけど、書いてみたら、ひらがなのほうが表現してゐた(!?)ので、変へた。

コメンタリー2008年03月21日 11時10分19秒

 本当は発売と同時ぐらいに、書いとくつもりだつたのだが、その頃は何をしてゐたのか……。
 といふよりも発売日を忘れてゐたといふのが正解だらうな。

 昨年(2007年)の11月に、最終巻が発売されました。
 3話分収録ですが、最後の1話(つまり最終回)につく音声特典のオーディオコメンタリーに参加しております。
 参加は変ですが、やりました。
 音声解説なんて言葉もあるぐらいに、これはもう微に入り細に入り専門的な事も含めて、監督らしく説明せやうなんてことも考えてをりましたが、さうはなりませんでした。
 折笠愛さんと西村朋紘さんとぼく三人でやりましたが、二人の聞き易い言葉の間に、一人ボソボソウダウダと不快な発声でいい加減なコメントをするそれはもうサイテーな監督野郎でした。
 聞けば不愉快になること確実なので、いまからでもぜひ買つてお聞きください。テレビは部屋は暗くして画面に近づいて、何故、愛ちゃんとおもさん二人だけでやらなかつたのか!と罵声を浴びせつつ物を投げながら、ごらんください。

 どうやら教育テレビでの放映は、まだなんとか続いてゐるやうですが、テレビでは流れないかも知れないシーンも入つてをります。ましてやオーディオコメンタリーはございませぬ。
 またかういふ機会があつたらそのときこそ監督らしいコメントをするぞと反省するに十分な『自分反面教師』でありました。

 ところで、これ「シルクロード少年ユート」といふ作品のことです。最終巻は9巻。