こかげ2008年08月03日 22時18分50秒

 木陰といふのは有り難ひよね。
 あれは多分、7月の17日。
 お日様の元気な日の都下の町。駅のそば。
 バスを待つてゐたのだけど。


 この木のお陰で助かつたのだ。
 と、ここで気づく。
 おお!『木のお陰』だから『木陰』!
 ……。いや、多分、逆でせう。
 ま、それはともかく、そよりと風が吹いてゐたといふこともあり、それはもう気持ちがよかつた。
 いやあ、この木の下にボンボンベッド(サマーベッドといふやつ。何故かボンボンベッドと言つてしまうのだよな)でも置いて昼寝したら気持ちいいだらうな〜なんて思つたさ。
 駅前だし、車の通りも多いから、そんなことしたら相当まづいだらうけど。

 ところがね。
 昨日(8月2日)同じ場所へ行つたらね。


 かうなつてゐたのだ。
 提灯がぶら下がつてゐるのは、つまり夏祭りなんだが……。
 おいおい……つ〜か。
 なんでこんなに枝まで落としてしまつたのさ……。
 空がすかすかだべ。
 上の写真と比べてみてよ。
 使用前使用後っつ〜か、お祭りはいけどさぁ。
 みんな楽しさうだし、小学生の鼓笛隊なんて、可愛らしくて、いいんだけどさ。
 まだ、夏は続くのよ。秋祭りでないのだから……。
 つ〜ことはつまり、ここいらで日光を避けやうと思つたらどうしたらええねん。


 影、これだもの。
 なんか涼しくないよ……。

 てね。
 なんかちよつと寂しい気分になつたものだ。

 でね。
 ついでに、もう少し書くとさ。
 いかにも地元の小学生の鼓笛隊が奏でる行進曲なんだけど。
 これから書くことは本気なんだけど……。
 歯切れが悪くていいよね。
 本気で『いい』と思つてゐるのだよ。
 やはり当然パワーに限りあるしさ、技術もさほどでもないと思ふのね。
 だから、どうしても、行進曲といひつつ、何とも言へず『ふがふが』しててさ。『どろどろ』?『でろでろ』?
 ザッザッ!と歩く感じにはならないよね。
 だけど、それが胸にくるんだな。
 しつこいけど本気でさう思ひます。
 ビシバシッ!と決めてしまう子供もゐるかも知れないし、それはそれで凄いと思ふのだけど、なんかやはり固有のね『味』といふものがあるのだな。
 木陰を無くしてしまつた大人たちに成り代はり、そんな音楽を聴かせてくれた子供たち(大人にやらされてんだらうけど)に免じてけふのところはゆるしてあげる。

8月6日9日、何故か7日2008年08月09日 19時14分40秒

 新宿で、打ち合はせのあと、次の予定が夕方6時だつた。
 見事に時間が合つたので、バルト9で『インディージョーンズ、クリスタルスカルのなんとか』を見た。
 困つた。


 話は聞いてゐたので、いや……聞いてゐたから『アトミックカフェ』の看板を見たときには、あ……と思つたし、超ウソくさいプレーリードッグも気になつて仕方なかつたけど。
 なんといふか、世の中にはやつていいことといけないことがあるのではないか?と思つたよ。
 単なる偶然だけど、これを中日(なかび)に見てしまつた人間としてはやはり怒(いか)らないといけないと思ふな。
 6日と9日のことは、日本人として忘れてはいけないことだけど、アメリカ人だつてネバダの人体実験の事は、忘れる以前にもつと真実を知る必要があるのではないの?と思ふし、それをこんなに面白い娯楽映画でこんな風に扱つてはまづいでしょ。
 それとも米国では『解禁』になつたでもいふのかね?
 最近『惑星X』のことや、宇宙人の存在など小出しにし始めて、新たなつじつま合はせをせやうといふ妙な気配があるけれど、その筋の人たちには政府の広告塔なんて呼ばれたりもするジョージやスチーブンなんだけど、本当にさうかも知れないなんて思つてしまうよ。
 次は『地底人』の存在が発表されるんだらうか?
 ハリソンフォードなんか、かつてあの、どんなホラー映画もかなわない超絶に恐ろしい<アトミックロシアンルーレット>な作品『K19』の製作総指揮までしてゐたのに……(あれには別なメッセージがあつたのか?)……今度はこれですか?

 でも、まあ、いいや……つ〜か、それはさてをき、ひとつだけ念のために、この人知れないブログから遠吠へしとく。

原子力爆弾に時効なし!

ぉ〜〜〜〜〜〜〜〜ん

ロドリゴ イ ガブリエラ2008年08月10日 22時38分25秒

 久々に(でもないか……)HMVへ。
 あれこれ視聴する。
 と、言つてもだいたいラテン系が多いのだな。
 ワールドミュージックと言つてもいいが、どうしても中南米にかたよりがち。
 お気に入りは数あるのだけど、音楽を書くのはむづかしい。
 まあ、奏でるのもむづかしいので、もつぱら聴くしかないのだな。
 いつか書こう書こうと思つてゐるうちに時は過ぎてゆく。
 かうして書きたいなと思ひつつ、書いてないアーティスト多数。
 以前マリーザモンチは書いたつけな。
 それだけかな?
 アイルランドのシャロンシャノン(名前がいかしてる)なんてずいぶん聞きまくつたな(ラテンぢゃね〜や)
 アコーディン奏者なのだ。ケルト系?伝統的な音楽です。
 フォークダンスなんか思ひ出す人がゐるかも。

 とりあえずそれはさてをき最新視聴においては、サルコジ大統領の奥さんのニューアルバムが、さりげなくよかつたな。
 これは、シャンソンになるのかな、フレンチポップ?
 カーラブルーニといふ人。洞爺湖には来なかつたのかな?
 だからといふわけではないけれど、これは買ひませんでした。
 でも、いい感じなのはいいのよ。念のため。
 まあ、それどころではない衝撃を受けてしまつたのだ。
 それが、本日のタイトルね。


 これは、ジャケットを真似て適当に書いただけだけど。
 『rodrigo y gabriela』と、いふの。y は and かしら?
 アコースティックギターのデュオ。男女です。
 アルバムタイトルとデュオ名が同じやうなんだが、日本語版には『激情ギターラ!』といふタイトルがついてゐるみたい。
 それとも売り文句かしら?
 メキシコ(ラテン系だ)出身で、アイルランド(!)で活躍してゐる二人らしい。
 基本的にはフラメンコです。元々はヘビメタバンドにゐた二人らしい!

 …………

 ほらね。
 結局、何も書くことないんだよな。
 初めてジプシーキングスを聴いたとき以来の衝撃。とか、言つても仕方ね〜し。
 ま、とにかく視聴つて頭からするぢやん?
 1曲目『TAMACUN』て奴でいきなりブッ飛んぢまつたわけ。
 それでね、これにはDVDもついててさ。それ見ると自分の激情に裏付けがされるといふ、良く出来たアルバムなのさ。
 しいて言へば、ロドリゴ(♂)がテクニック(メロディ)担当で、ガブリエラ(♀)が、情熱(伴奏)担当なんだ。
 だからソロ部分は、さほどでもないんだ(いや、相当凄いけど、それをあえて『さほど』と言つとくよ)が、二つが融合したとき血が踊るのさ。オーバー50の日本人でもさ。
 といひつつすでに日本でもかなり有名らしく、アルバムも相当売れてるみたい。
 だからHMVでなくても視聴コーナーにあつたりするのではないかな?

帽子の存在感2008年08月13日 21時14分49秒

 あれからもう3ヶ月たつてしまつたか。
 相棒を見た映画館にこれを忘れてしまつた。
 行きには降つてゐた小雨が帰りにはやんでゐた。
 そんな、身軽な駅までの道。
 ふと、何かが違ふことに気づいた。
 心も身体も……頭も軽い!
 と、慌てて映画館へ戻る。次の上映は始まつてゐたが、そこは入替性の強みか?城内整備のあとであり、預かり場所へ行くと、しつかりあつた。「どんな帽子ですか?」「キャップです」「これですか?」といふぐらいにすぐに見つかつた。よかつたよかつた。

 しかし、それから2週間かそこらでまた忘れてしまつたのだ。
 しかも、このときは一体どこに忘れたのか覚えが無く、真剣に行方不明状態だつた。
 つまり、無くしてすぐに気づかなかつた訳だ。
 もしかしたらバスに忘れたのかとも思つた。家の近辺では、西武バスと関東バスが走つてゐる。それから、地域のコミュニティバスだ。これは、営業所へ探しにゆかねばなと思ひつつ、愚図愚図としてゐたのは、本当にバスかどうか確信が持てなかつたからだが、無くしたであらう曜日を記憶の中から絞り出し、もしかして、もしかして、も〜しかしてあそこでは!?と思ひ当たる場所もあつたからだ。確信よりも期待に近いものだつたかも知れない。
 もうひとつは、家の中のどこかにさりげなくあることも期待してゐたのだ。
 だいたい玄関に置く習慣なのだが、自分の部屋まで被りつぱなしで戻り、そこに置いてしまうことも多々あるからだ。ただ問題は、その部屋は四次元五次元ポケットのある部屋で、物が消えたり突然現れたりすることがよくある場所なのだ。
 逆にいふと『いつか出て来る』といふ危険な信頼感のもてる部屋でもあるのだ。
 でも、時は過ぎ、一週間は過ぎただらうか?
 四次元ポケットは作動せず。
 一縷の望みで、確信より期待の図書館へ行つたのだ。
 で、そこでの会話。
 「帽子の忘れ物なかつたですかねえ?」
 「今日?」
 「いえ、一週間以上前だと思ふんですけど」
 「じゃあ、そっちの箱です」
 と、奥の箱を見る。
 「あ!……ありました」
 てな具合に、これもあつさりと見つかつた。
 よかつたよかつた。

 といふか、なんといふか。
 この二回の出来事で印象深いのは、たまたま集められた『忘れ物たち』の中で、この帽子がひときわ目立つてゐたことだ。自分のものだから、真つ先に気づくのは当たり前かも知れないが、みすぼらしく汚れた姿が何よりも目についたのだ。
 普段被つてゐるとさほど気にならないのだが、かうやつて一旦離れてみると、それはもう自分のものとは思へないほど自分のもの以外の何物でもない。写真では判りにくいが後頭部の汚れ具合といふか、擦れ具合は凄い。

 いやあ、忘れて悪かつた。
 と、思ふ瞬間だ。

 こんなにも汚してしまつたんだなと思ひつつ、実はこの帽子は娘が友達からもらつた帽子なのだ!
 もう何年前だか忘れたが、年齢とともにファッションも変はり、初めの頃は時々借りるぐらいだつたが、今ではほとんど専用である。だからと言つて娘の大事な帽子であることには変はりなく、これは無くすわけにはいかない帽子なのだ。

 と、その割には、その後もとある撮影スタジオに忘れたりとかしてしまつたり……。
 歴戦の帽子なのだ。