胎内ライダー巡の壱2008年12月28日 18時56分25秒

 さて、12月15日「師走だといふのに」以来だらだらと続けてきたライダーシリーズ!?だが、そろそろ目的地へ着いた。
 目的地と言つても、天から降りた思ひつきの場所であるからして、計画性など何もない。
 一度は訪れてみたい場所であつたことは確かだが、この日このときに行つたことに意味はない。


 つ〜わけで、東京湾観音。
 でかいものには、何故か憧れる。
 で、この4種類の写真は4つのカメラでほぼ同じ位置から撮つたものだ。
 今回何かを撮らんとして選んだ4つ……といつても1つは、電話付きデジタルカメラであり、自動的に付いてきたわけだが……のカメラを並べてみた。


 実は、重いので滅多に(もうほとんど)持ち歩かないこいつを使ふことが、最大の目的であつた。
 重いとはどのくらいなのか?
 このブログを書くために初めて測つてみた……が、我が家にある台所用秤(はかり)上限2キロでは、レンズ付きではエラーが出てしまう。
 おつとあぶねえ壊したら怒られてしまう。
 なので別々に測ると、レンズが1013グラム、本体が1238グラム、しめて2251グラム。間違ひなくオーバー2キロですな。
 ついでに、ほかのも測つて見ると、上の下手(しもて)から時計回りに、フジペット287グラム、D902i116グラム、RolleoMiniDigi114グラムである。はつきり言つてこの3つは超軽いカメラである。
 だから、可能ならしめた(!?)今回のプロジェクトだ!
 このでかいカメラは、サリュート(ソリュート?)と言つていはゆるロシアンカメラだ。だけど、サリュートとふからにはソビエト連邦時代の産物であることは間違ひない。
 見るからにといふか、この角度では判りにくいがハッセルブラッド(瑞典)のレプリカ……パチもの?……だ。
 ハッセルにはとてもぢやないが、手は届かんけど、こちらの中古ならなんとかなる。レンズも3種類持つてゐるが、写真のは一番のお気に入りの30ミリです。35ミリカメラだと、広角だけど、6×6なので魚眼になります。
 写りもさることながら、レンズそのものが大きくて綺麗!


 小さいカメラはレンズにすつぽり収まつてしまいますな。
 それから、4つのカメラのうち2つがフイルムカメラです。
 上の4分割を見ていただいて、わざとらしく黒ブチが残してあるのが、フイルムの証。フジペットは切り取りが極めてファジー、湾曲してます。サリュートはシャープだけど、角が切り込んであつたりします。それから、年季が入つてゐるので、光漏れしてます。これも味といふことで……。
 それからそれから、サリュートのレンズには黄色のフィルターがはまつとります。
 フォトショップで思はず色調整してしまつたり要注意ですな。
 と、そんな準備万端で!?
 胎内巡りに行くのであつた。


 おお!
 この背中の銃痕の痛々しさよ!
 ……って、もちろん違ひます。

 P.S.
 うつかりしてゐた。
 なんのために4枚並べたのか意味がない。
 一番上の写真。時計式に1時がサリュート(でかい奴)、4時がRolleiMiniDigi(最近話題の!?)7時がフジペット、10時が電話付きデジタルカメラD902iで撮つたものです。

胎内ライダー巡の弐2008年12月29日 22時01分47秒


 つ〜ことで、拝観料500円を払ひ、この中に入るのだ。
 何故だらう人型の中に入るつてのはわくわくするな。
 まあ、観音さんに人型なんていふたら失礼かも知れんけど、このわくわくは人として仕方がないのではないかと思ひもする。胎内めぐり(本来は「くぐり」か……)ちうぐらいに、記憶にはないけれど自分がそこにゐたはずの何かを確認したいのかも知れぬな。

「めぐり」か「くぐり」かで考察すると、ここ東京湾観音は、縦に細長いわけで「くぐり」感もあるけれど、中には大勢の神さんや、仏さんが、待ち構へてをつて、ぐるぐると螺旋(らせん)をたどりつつ次々にお目見へしてくるので、やはり「めぐり」感が大きいの。


 これは、そのうちのひとつぢやけど、なんだか忘れてもうた。
 オートフォーカスなのにピントがぼけぼけなんは「カメラなんぞ向けおつて失礼じゃぞ」つう声明なんではなからうかと思ふ。
 ちよいとデータを確認してみると、高さは56メートル。
 大きく分けて、十二支守り本尊と、七福神がおられる。
 そのつど、賽銭箱が、待ち構へとるのだけど、そんなん思ひもよらなんだで、上に行くまでにお納めするお金が無くなつてしまう可能性を鑑みて、一律に素通りさせてもらうことにした。
 なので、なるべく目を合はせないやう、でも手は合はせつつ通らせていただいたので、ピントもこんな感じになつたのかも知れぬ。


 そして、生々しい銃痕に見えた背中の穴は、かのやうに窓なわけで。


 もちろん外が見える。
 素通しだつたり、鉄の棒が横切つてゐたり、ガラスがはめてあつたりと、大きさも形も違ふ。花形は肩の文様だ。
 だが、肩はまだ先の話で。


 12階から13階あたりにトラップがある。
 そもそも階数があるなど、考えもせずに昇つてをるから、後から調べたことだけど、螺旋階段をぐるぐる回つてゆくと、脇へそれる階段がある。
 人間の心理として、脇道へそれるのは致し方ないこと…(?)


 そこは、つまり、腕なのだつだ。

 ここで、いきなりの高さに驚くといふか……恐怖した。
 推定30メートル後半かなあ?
 高所恐怖症ではないつもりだつたが、単純に怖かつた。


 ここは、脇にあたる部分で、まづは左腕に出たわけだ。
 まあ、指を見てもそれは判る。
 とにかく、そんなことよりも怖かつたわけで、何が怖いかといふと、建造者には申し訳ないが、白さが張りぼてのセットを思はせて、抜けるのではないかと、かなり余計な不安に苛まれたのだ。


 この傾斜(?)は帰りに寄つた右腕だ。
 腕の丸みは外へ向かつて下がるわけだから、金網があるとはいへやはり怖い。
 そして、この坂(?)を昇つた先に。


 ひび割れ!?を見つけてしまつた。
 いや〜ひび割れつて……ね。冷静に考えれば、この巨大な体に対してかすり傷にもならないわけで、足がすくんだ己が情けない。
 だけど、この観音さんから落ちるやうなことがあれば、それはもう地獄へ直行なわけで、恐怖を感じるか否かは日頃の生活態度の結果なんではなからうかと思つたりもするのだ。


 まあ、多少破れてたりするけれど、これだけ守られてゐるなかで、何を怖がる必要があらうか?
 それなりに品行方正にくらしてきたつもりではあるが、尺度や、概念そのものが違つてゐたら、ほとんど意味がない。
 耐震構造がどうしたかうしたとか、言葉だけで理解してはいけないといふことなんだらう。


 そんなこんなで、おお、光が見える……。
 この光の口からは、おそらくお掃除の(超勇気のある)人たちしか、出て行く資格はないのだ。

胎内ライダー巡の参2008年12月31日 10時17分49秒


 観音さまの腕の上で、恐怖により反省だけは求められた。
 螺旋階段を外れたことにより、順路に惑ふ。
 いともあつさりと観音さんの術中にはまつたわけだが、上下感覚は失ふわけもなく、さらに登る。


 と、螺旋階段に終はりがやつてきて、この先は?
 と、思ひと視線を巡らせると……。


 はしごが見えた。
 素敵だ。
 まあ、外の景色がちらりとでも見えたら、こんなはしごは登れんと思ふが。


 何故登る?
 そこに、はしごがあるから。
 といふ具合に、つまり何も考えずに上がつてゆくと……。


 さらに、はしご。
 どうでもいいことだが、この扉の向こう側はなんなのだらう?
 確かなことは判らないが、ここも超勇気のある人たちだけが、使ふことの出来る扉なんだと思ふ。
 勇気のない己は、はしごにすがるのだ。


 どんどん狭くなつて、胎内めぐりから胎内くぐりの様相を呈してくる。
 あとで外殻との兼ね合ひを考えてみれば、この連続したはしごは、観音さんの一番細い部分、すなわち「首」を抜けるためのものであることがわかる。
 胎内くぐりが首を通ることとは、いささか幻惑を感じたことも無理もない……。
 上の写真の大きい方が一体何を写したものなのか、まるで覚えがないのだ。
 とにかくどんどん狭くなつた空間(狭くなるにはもう一つの要因がある)を上がつてゆくと……。


 ここに出る。
 こことは、おそらく、眉間ではないかと思ふ。
 目の裏だらうかとも思つたが、冠との境の部分なのだらう


 そこから冠の上部が通路兼展望台になつてゐる。
 もちろん怖い。
 ここでまた述べてをくが、高所恐怖症の人は別として、ここで恐怖を感じるか否かは、自身の日々のくらしの現れだと感じる。
 超勇気のある人と、正真正銘清く正しく生きてきた人は、この地獄へ直結領域にゐても怖くないのだ。
 一番上まできて、真上を見るとかのやうに丸い。
 ここで、頭部と共に並べて見れば、ここが冠の先端であることはわかるが、上までたどり着いたぞ!と思つた安直な人間にはわからない。


 ここが頭頂部だと思つてしまつたわけだ。
 事実、この場所からこれ以上上には行けない。
 だから、一番上を満喫する。


 左右にぐお〜りと、広がるといふか下がつてゆく階段。


 おお〜、下界ぢや〜。
 白い車が2台止まつてゐる上に見える「ありんこ」のやうな黒いのが、愛車スカラベオです。
 小さ〜い!
 高〜い。


 この夕日が沈むまでに、さほど時間はゐらないとは思ふ。思つた。
 しかし、20年ぐらい、いや15年ぐらい前でも、思つたかな……。
 つまり、そのころの自分であれば、このお日様が海に沈むまでこの場所に留まつたであらうといふことだ。
 そもそも、夕日を見るといふ目的はなかつたとはいへ、そんなことは、思はず去ることにしたのだ。

 だが……。
 待てよ……。
 さういふ問題ではなく……。

 心ある者ならば、気づくであらう。
 一体何をしに来たのだ?

 よく考えるまでもなく、今登つてきたここは『展望台』ではない。
 と、思へよ。
 ……と、今は思ふ。

 信仰心がない以前に状況判断が摩耗してゐると思ふ。
 ま、どうせそんな奴だが、この時点で下りることしか考えてゐない。


 で、外殻の階段を下りて中の、小さな螺旋階段へ向かう。
 この内側螺旋階段は、はしごのフロアに続いてゐる。
 一人分の狭い階段だ。
 はしごのフロアがどんどん狭くなるのは、肩から首にかけて狭くなると同時に、内側にこのスペースを確保してゐるからだ。
 はしごを見て闇雲に登りたくなつたことはさてをき、勝手に思ったことは、はしごで登つて、この螺旋階段で下りてくるといふ一方通行的な仕組みだ。
 だから、迷ふことなく、ここへ入ると。
 まだ上があつたのだ。

 上が見えれば上がる。
 本能なのか欲望なのか?

 そして、今ゐるのが、どこなのか思ひ出すことになる。


 頭頂部、20階に本尊さんがおりました。
 頭の中に頭がある……。
 ここは、密閉された空間で、外は見えません。
 何故全身がないのかは判りませんが、観音さんは顔が命。
 外の目がジッと世界を見つめて、中のこちらが、沈思黙考してゐるといふことでせうか。


 と、こんな感じに、世界平和を願ひつつ東京湾観音さんは今日もたち続けてゐるのだつた……。

 ……おしまい。