ある日2011年03月03日 12時44分31秒

にしひがし京出発。
意味はないけど、6060を見て思はず写真。6時6分だつたらもつとよかつたのにとは思ふ。
ついでにCDのトラックを6にしておくことも可能だつたが、気が回らず。

四谷三丁目手前ぐらいかな?
丁度20キロ。
進行時代から都内はだいたい1時間20キロといふイメージがあるので、こんなもんかな。割りとすいてゐたとは思ふから、走りがのんびりしてたのかな?
気温は7度から8度に上がつた。都心のが暖かい。

この後、新橋まで行つた。
夕方はさすがに混んで、上井草まで1時間半ぐらいかかつたかな……。

で、別の日だが

意味はないけど、6161を見て思はず写真。(夜です)
気温2度。
時刻の横の、雪の結晶みたいなのは寒いと出る。
説明がファジーだが、マニュアル見てないから。
5度以下ぐらいで出るのかな?
寒い!と思つてエンジンかけて、これみるとさらに寒くなる。

普段と違ふ行動2011年03月14日 18時00分44秒

 さて、いつも通りなら、西武線が止まっても、JRが一割運転にならうとも、さほど影響がない行動範囲なんだが、本日14日はお茶の水にある病院で検査の予定。まあ、幸か不幸か11時15分開始。
 でも、我が家は最寄り駅へ行っても電車が動かない予定だつたので、バスを利用してJR三鷹へ行くことにする。
 まだ朝の7時前。バス停で待つてゐる間にまず停電の予定が変わつたようだ。
 その後バスに乗り込む。乗客数はさすがに多く混雑したが、まだ道路状況はさほど深刻ではなく、普段とはさほど変わりなく進んだ。
 そして、今日はこの踏切は塞がらないんだよなと思ってゐたら、締まってた。新宿へ向かつて一台通過。なるほど予定が変わつて走行範囲が広くなつたのだなと判る。ちよつと悔しい思ひもしたが、いいことなんだと思ふ。(これに乗つて、JR乗り継ぎがうまくいつたかどうかもかなり不明だし……)
 このバス路線は縦断路線で、青梅街道も横切るし、五日市街道もわずかの距離しか走らないので、ほぼ渋滞にははまらず三鷹につく。
 (青梅街道は、すでに悲惨な感じがした)
 しかし、三鷹狙ひの人々は思ひの外多く、バスから降りるとそこは人だかり、そもそも駅の階段を上ることが出来ない。これでは、改札につくまでに何時間かかるかわからない。そうか、これが現実だ。と思つた。
 正直、検査を止めることも考えた。
 しかし、時間は4時間とつた。まだまだある。
 と、耳元に会話が「あたし、吉祥寺へ行って井の頭線で渋谷に出るわ」「ああ、それがいいかもね」って。
 おお、そうしてみるか。
 渋谷からは、銀座線と丸ノ内線を乗り継げばお茶の水へばっちり行ける。
 といふことで、吉祥寺へ歩く。
 しかし、三鷹がこれなら、吉祥寺もさうであらう。井の頭線は、大丈夫としても、JRと入り口が隣り合はせだし、人があふれてゐたら、どのみち入れない。ここは、一つ先の井の頭公園駅まで歩くべきか……。
 と、悩みつつ、とにかく吉祥寺に着いたら、階段が見えた!
 (まあ、つまり三鷹は階段そのものが見えなかつたのね)
 井の頭線は改札制限をしてゐたが、ほぼすぐに入ることが出来たし、満員で出ることもなかつた。(渋谷までにはぎゅうぎゅうになつてゐたが、うまく事が運んでゐると思つた。しかし、これも時間と共に大変になつたらしいが、ここでは、良い感じだつた)
 だが、交差する京王線はかなりの状態だつたらしく「明大前から目的の場所へは行けません!」といふ豪快なアナウンスが繰り返しなされてゐた。ホームは完璧にあふれてゐたらしい。
 ともあれ、前の車両との時間調整がなんどもあつたが、さほど、遅れるわけでもなく渋谷へ着いた。
 だけど、このあと地下鉄に乗つても思つたが、車掌の「遅れて申し訳ありません」といふアナウンスが繰り返されたが、申し訳ないって、そりゃあ仕方ないだろと思ふ。一体「遅れやがって!」と思つてゐる乗客がゐるのだらうか?
 なんてことを思ひつつ銀座線乗り場へ。
 通路脇のベーカリー?さんが、群れなす人々に笑顔を向けて販売中だつた。
 ここでも、比較的行列はスムーズに進んだと思ふ。
 後から思へば時刻の問題だつたんだらうな。
 にしても、こんな混雑の中、松葉杖をついてゐる女性がゐた。
 大変だぁ……。それでも行かんとならんとね……。凄い。
 で、銀座線は超満員。
 つぶれてしまうかと思つた。
 さて、そこでの悩み。
 このまま赤坂見附で乗り換へせず、少々遠回りだが、神田か末広町まで行って、歩いてお茶の水へ行くべきか……。
 つまり丸の内線に乗り換えそこなつたらどうせやうと思ふのだ。
 そもそもラッシュに慣れてゐないので、テクニックが判らない。
 悩みは堂々巡りだが、赤坂見附についたとたん。「降ります」と行つて左右に振られながらもなんとか出た。ぎゅうぎゅう詰めに耐えられなかつたといふのが、本当のところだらう。
 でも、結果的には正解で、丸ノ内線の方が楽であつた。
 途中で座れちやつたりして!
 といふことで、4時間を覚悟してゐた道のりは2時間と10分ぐらいですんだ。よかつたんだと思ふ。2時間後に出てゐたら2時間ではすまなかつたのだと思ふ。
 ぼくは、たまたま参加したが、この状態はしばらく続くのだらう。
 毎日通はなければならない人たちは大変だと思ふ。
 凄いなと思ふ。パワフルピープル賛!

※ 写真を撮らうと思つて持ち歩いたが、それどころではなかつた。
  さらにそれどころではなく、壊れかかつてゐたファインダーが完全に壊れた。

計画停電とか2011年03月17日 20時32分07秒

計画停電実施より今日で4日目。
家の近辺では、中止があひつづき今のところ停電はない。
今日は、冷え込みが激しく、使用も多くなるであらうといふことで、かなり停電したかつたのではなからうかと思へるのだが、なかつた様子。
予定はして覚悟してゐるのだから、困るより先に守つといた方がよいと思ふのだが、何故か免れてゐるやうだ。
予期せぬ時にバチンと音をたてて切れてしまつたら、それこそ悲しいことになる。

と、思ふ。
と、それはさてをき東京都下に母が入院してゐる。
いや、自分が住んでゐるのもそもそも都下になるのだが、都下は結構広い!
あ、違ふ?
今は都下みたいな見下した表現は使はないのか?
ぼくの頭の中では、23区と、多摩地区&離島(この「りとう」も何か険しい表現だなぁ)の、3つに分かれてゐるのだけど、正式には調べてみないと判らない。
では、調べろよといふところだが、本日の主旨ではないのでまたの機会に。

ともあれ鉄道に関しても、都心はなるべく維持する方向で考えてゐるのであらうが、離れてゆくと走らない状態、不通って奴?も増えてくる。
移動するのは結構大変なのだ。

通常、電車を乗り継ぎ、送迎バスを使ひだいたい2時間といふところだらうか。
車で高速道路を突つ走つてゆくと、うまくいけば1時間ちょっとでゆける。
大好きな狭山パーキングが今どんな状態になつてゐるか見たくもあり、車で行かうと思つたのだが、ガソリンの残量が絶妙(?)で、たどり着けるけれども、帰り道のどこかでガス欠もありうると判断。いっそ病院の駐車場に放置して帰ることも考えたが、そもそも狭山パーキングが見たいといふ気持ちだけでそこまでやるか!?と冷静になり、電車を利用することに。

まづは自転車で西武新宿線最寄り駅に、午後2時から運行停止になる予定の駅だが、まだ大丈夫。
西武線は節電で車内の照明はつけてゐない。昼間だし、不自由もなく、なんかシックな感じがして良い感じだつた。
本来なら、本線から拝島線への直通もあるのだが、本日は乗り継ぎオンリー。
でも、とくにストレス無く時間的にもいつもと変はりなくつく。
そこからJR五日市線へ乗り換え。
JRは、西武線にくらべるとなんとなく緊迫感がある。それが何に由来するのかはわからない。
14時7分発といふのがあり、それに乗ると車内放送で、昼の運行のラストだといふ。
この後、20時まで運行はないといふこと。
いはゆるぎりぎりセーフって奴?
ま、たまたまではあるが、これで、送迎バスにも間に合ふことになつた。
駅から病院はタクシーでとも思つてゐたので、ラッキーな思ひは隠せない。
ちなみにJRは車内照明ついてました。
混み具合もほどほど。早めに車両に入つたので座りました。

そして、病院にゆくと母が茫然(?)としてゐた。
地震の翌日に姉が電話で、病院の無事を確認してゐたのだが、逆に家族から電話があつたことは、母に伝はつてゐなかつたらしい。(まあ、本人が忘れてゐる可能性もあるけど…)なので、心配で心配でたまらなかつたらしい。
ぼくの顔を見て「あんた誰?」みたいな表情をしてから「ああ!○○」となんだかボケツッコミもどきみたいなリアクションで、安堵した様子。
まあ、いつもと変はらず元気な感じで「安心した」を連発。
なかなか来るに来られなかつたのだと、説明をするとそうだろうねえと、理解もする。
地震の時は毛布を被つて震えてゐたらしい。(ま、そうだらう)
ただ、周りに落下してくるやうなものはないので、その辺は安心だが、建物が壊れたら逃げやうもない。
と、それはそれとして、西多摩郡日の出町は、午後3時20分から停電の予定。
にしひがし京市が予定中止連続記録更新中だが、ここは数分の誤差で停電開始。
昨日は夜に停電だつたらしい。
うちの母は点滴もなにもぶら下げてないが、病院であるからして、さういふ人たちは間違ひなくゐる。さすがに自家発電といふか予備電源があり、一応対応はしてゐるやうだ。しかし、病院内暗い。それから、入院患者にしてみればやはり看護士さんやら、慌ただしく、声も大きくなるから、少しの不安は隠せない。理屈ではわかつてゐても、どきどきしてしまうのだらう。
それから、近代設備の罠で、センサー式の水道は出ない。電気制御式のトイレは流せない。
そのためにトイレに水の入つたポリタンクが置いてあるが、量の問題で、少々もつたいない気もする。
なので、小用といふこともあり、申し訳程度にじょぼじょぼと適当に流してゐたところを看護士に見つかつてしまつた。
あんまりちゃんと流れてないけど……と先行言ひ訳をすると、「手動のトイレもありますから、今度は言ってください」だつて。
まあ、そうね。停電の間すべてのトイレがこうでは病院大変よ。
いづれにしろ計画停電の場合、数時間の我慢ではあるわけだが。
それからもう一つ、病院の快適環境としてエアコン完備年中適温といふのがあるけれど、これも停電により損なわれる。施設の規模にもよるのかもしれないが、予備電源のパワーの問題とか。
ここではエアコンが止まつた。
なので、そこはかとなく冷え始める。建物自体の保温力もいづれ外気との温度差に負けてしまう。まさかそんなに簡単に外ほど寒くはならないが、入院患者たちは薄着であるからして、結構急激に感じる。
看護士、従業員たちは晩ご飯をどうするかなど、対応に忙しい。
1度は湯沸かし器もダメだといふデマ(?)が飛び交つたりして、にぎやかだつた。



とにかく冷えてきたので母はベッドに戻り、毛布を被り、疲れもあり、眠くなる。
そして「はやく帰んなさい」といふ。基本、母はぼくの帰りを心配する。
帰れなくなつたら大変だから…。
それから、自分が居眠りしてゐる間、ぼくを待たせるのが嫌ひなのだ。
居眠りしてゐる間にぼくが帰つたらもつと嫌だ。
だから、はやく帰れといふ。今日は居眠りからさめるまで長くゐても大丈夫だつたのだが、交通状況のこととか母の心配するネタはたくさんある。
まあ、いつも長居することなくさつさと帰るので今日もさうする。

ただ、電車が走つてない。
直接はたどり着けないけど、福生行きのバスに乗る。
八高線は終日全線不通だ。
発車時刻を勘違ひしてゐて、危うく乗り損ないさうになる。
本数を考えてさすがに走つた。
体中ギシギシ情けない。

で、気がつく。
信号が消えてゐる。
ああ、さうか。
かういふことか…。
交差点によつては、お巡りさんが整理してゐるが、ほとんど、スルー。
ある意味スムーズだが、出会い頭、脇道から本道への合流など、かなり気を使ふ感じだ。
まさしく譲り合ひの精神が試される時ってね〜。思ふ。

さて、福生に着くも、都合の良い場所行きのバス路線はなかつた。
拝島まで二駅。
歩く?
う〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
タクシーにした。
商店街を抜けつつ(停電だし休んでシャッターが降りてゐるところ多数。寂しい感じ)地元民(店の人、青年団、ボランティア?)が、交通整理してゐる。
「信号消えてて大変ですね」と聞くと、
「折角、こうやって整理してくれてるのに、無茶して飛ばす奴がいるのよ。好意でやってるのに怪我しちゃたまんないよね」と憤慨気味。
それから、普段運転してなささうなドライバーの乗り方にも困つてゐた。
な、話をしてゐると信号が生きてゐる地域に入つてくる。
「どういう区分けかわかんないんだよね」なんていひつつ1070円拝島到着。

しかし、西武拝島線の復活は20時以降。
青梅線で立川へ行くことにする。1本行かれたが、さほど待たずに次のが来て、しかも座れる。
立川からは、中央線で三鷹へ。これも座れる。(まあ、適度な混雑って感じ。座れたのはたまたまかな)
でも、三鷹は休みの店が多く。そば食って珈琲&デザートみたいなコースを夢見てゐたが、ならず。とりあえずドトールに入つて小休止はしたけど。

そして、西武柳沢行きのバスに乗る。
満員。
「6分おきに出ているので次のを待ってください。途中で乗せられなくなってしまうので」と運転士さん。
でも、ぎゅうぎゅう。
の、のち西武線にたどり着く。
さうかうしてゐるうちに西武線は夜の部の運行が始まつた様子。
置いてある自転車に乗つて帰宅。

まあ、大それた時間がかかつたわけではないと思ふ。
電車のつなぎそのものはスムーズだつたのではないかな。
土地勘がないと判らないとは思ふが、回り道を楽しんだといふところでせう。
楽しんだと思へるうちはいいけれど……。

と、だらだらと書いてゐるうちに、おかぴから重要な情報がもたらされた。
うちの近辺は計画停電から外された!
何故!?
停電を待ち望んでゐる訳ではないが、中止中止が続いた上にグループから除外!?
何故?
まあザックリ田舎だし、この辺がそんなに重要な地域とは思へない…。
まさかとは思ふが、もしかしても〜しらかして……、停電になるととんでもないことになつてしまうやうなとんでもないものがあるのか!?

励まし屋参上2011年03月21日 19時35分34秒

渋谷ハチ公前に、突然現れた朱と黒。

昨日(今日もらしいが)励まし屋が現れた。


彼らの目的は、東北の人々を励ますことだ。
そこがいいと思ってる。(彼らは励ますと同時に募金の呼びかけも行つてゐる)
さう思ふ。募金は、しかるべきところにすればいいのだ。
こまめなフットワークも否定はしないが(例えば郵便局に行くのが面倒くさい人は街頭募金の方が楽)悲しいかな昨今素性知れずで、募金の行く先が不安だつたりするものだから、なかなかにむつかしいのだ。


彼らは、大きな白布とマジックインキを用意して、街ゆく人たちに声をかけ、ビラを配り、メッセージ記入を求めた。
気持ちは届くものだ。書けば気持ちはより強くなり、書かれたものを届ければ、もつと伝はるといふ論理だ。
記名でも無記名でもいい。


ただ、応援の言葉はむつかしい。
やたらな応援が、いらぬストレスを与えてしまうこともあり得る。
それでも、せずにゐられない気持ちが「渋谷今できること実行委員会」を作つた。



これ、ぼく記入中です。
真ん中に「仲間」と書いてある。
端つこにピンクのマジックで、だいたいいつものやうに「日本を寂しい国にしないためにアニメーションを作り続けます」といふやうな内容のことを書いた。(正確な文面は違ひます)
ぼくとしてはこれが精一杯の応援の言葉。
もっと直接的な言葉は、子供たちの方が得意だと思ふ。

応援の仕方にも器用不器用があるのだ。

それを集合体にして、パワーを増してやらうといふ励まし屋の考えは素敵だと思ふ。
先に「募金の呼びかけ」をすると書いたが、昨日ぼくがゐる間にそれはなされなかつた。
彼らの成り行きだけではなく、渋谷ではいろいろなことが起こり、それなりに混乱もした。
募金バンドや、募金ガールたちも現れた。彼らの真ん前や、並びに陣取るもんだから、同じ集団と間違へられても仕方がない。
繰り返すが、彼らの目的は募金集めではないから、ちと困る。だから、移動したりもした。
声を集めることに勢力を傾けてゐたやり方は間違つてなかつたと思ふ。


ふとくだらない事を思ひ出した。
何年か前にボツになつたといふか、宙ぶらりんになつてしまつた企画に「チアリーダー7」といふのがある。
どんなものかといふと、宮澤賢治のチアリーディング版とでもいふ内容で!?
西に困つてゐる人があれば駆けつけて応援し、
東に泣いてゐるひとがゐたら飛んで行つて応援し、
南に争ひが始まろうとしたら弱い方を応援し、
北に孤独な人があればそばへ行つて応援するといふ、
チアリーダー(女の子)7人の物語だ。