フォトでるも1 ― 2013年04月29日 23時04分01秒
何を隠そう写真学校出身だ。
何を隠そうというか、説明するのが面倒というか、あまり言わないで来た。
のだが…。
つもりだったが…。
気になってウィキペディアで見てみたら、しっかり「東京写真専門学校を経て」と書いてあった。
あれ?
まあ、言っちゃったことがあるんだな。きっと。
う〜む。
カミングアウト!
みたいな気持ちで始めるつもりだったのだが、なんだか、拍子抜けというか中途半端なことになってしまった。
だが、本ブログの新しい特集(!?)のために説明しなければならないな(?)。
つまり、言っちゃたかも知れないけど、何故言いたくなかったのか!?
それは何故か?
…いや、…そもそも別に全く言いたくないわけでも無かったことがこの中途半端さを産んでいる気がするな。
まあ、それはそれとして先へ進もう。
そう「東京写真専門学校」というところに行っていたということになってますが、入学したときには「東京写真専門学院」と言う名だったし、ほぼ2年間そうだった。
どこが違うか判りますか?「学校」と「学院」です。
今はどうだか判りませんし、当時もよく分かっていませんでしたが、この二つには大きな違いがあったようです。
完全私設なのか都の認可があるかの差だと思うのですが、いまだ勉強不足で明記は出来ません。
いずれにしろ、当時の学院長(学校長)はかなりこだわっていました。
(同じ駅周辺に住んでいたので、妙に近しいものを感じてました。もうお亡くなりになりましたが)
それはいいんですが、なんというか学院から学校に変わったのは、卒業間際で、実感もなにもなかったわけです。
当年度(2年制ですから1年生)の入学時もまだ「学院」、翌年度から晴れて「学校」に新入生が入ってくるというタイミングでした。
学校長の好意とか誇りは伝わってきましたが、少々戸惑いが残ってしまったというか…。
なので、たかが一文字の差ですけど、出身校を言いにくいという不思議なことになってしまいました。
入ったときは「院」だったけど出たときは「校」だったなんて、他人にとってはどうでもいいことをわざわざ説明したくなる自分の妙な律儀さが災いした(?)ということでしょう。
しかも「東京デザイナー学院」というのが併設されていて(こちらの出身者は同業に結構居る)こちらは「学院」のまま。
なんとも一言で済ましたくない環境にあるのです(???)
そして、さらにいつのことか判らない。
(ので、今調べました)
1993年に「東京ビジュアルアーツ」に変わりましたのです。
もはや「院」も「校」もないす…。
ということで、出身校が曖昧なぼくは『猿の軍団』出身ということになってます。
なんのこっちゃ?
じゃなくて!
話をますます混乱させるのはいい加減にして写真学校を出たという話です。
カメラマンになりたかったのか?
ということではないでしょう。
なにしろ写真学校に行くのに、使っていたカメラは姉のカメラですから。(ペンタックス!)
でも、カメラが好きになりました。
というか写真を撮るのが好きというのが正しいのでしょうか。
で、そろそろテーマのモデル撮影です。
(あ…、「でるも」って、つまりモデルを照れて言ったのね。まやかしの業界風に…)
そう、学校でモデル撮影もしました。
昨年、断捨離の際、出てきたので、断捨離を中断してスキャンなんかしてみました。

モデルさんは、同じ歳か少し上だとして、現在いはゆるアラ還でしょう。
肖像権御免です。
許して下さい。

まさか、いまさら下手くそな学生に撮られた写真をサラされるとは思ってもいないでしょうが…。

まあ、このブログを見ることがあるとも思えませんが。

ネガの保存状態も悪いッス。
上の写真のもやもやはカビです。

カビ…。
思ったことは、昔からピントを合わすのが下手だったのだなということ。

ま、かういふおかずの置き方もしませんわね…。
モデルに失礼ってもんでしょ…。
スタジオワークでは、他にカラースライドでモデル撮影もしたはずなのですが(カラースライドは自分で現像は出来なかった)これは断捨離ったみたいで見あたりませんね。
いつ断捨離ったかはわかりません。
と、さて、そんなこんなで悠久の時を越え(!?)最近モデルさんを撮影する機会に恵まれたので、正確に言うと「怪しいモデルさん」と「アーティスト看護師」ですが…、これまた律儀な性格が災いして、説明はややこしいことになるので、とにかく次回へつづく。
P.S.
ところで、ファッションがどうこうとか言っちゃダメよ。
時代だな〜って思うけど。
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