大久野島を巡る11 ― 2013年03月21日 22時04分15秒
そして、さらにアップダウンを繰り返したどり着くと、灯台は立入禁止だった。

それも驚くなかれ遺跡の立入禁止よりも厳重なのではなかろうか?
まあ、たどり着けないものは仕方が無い。

振り返ると妙に開けた広場にお地蔵さんとウサギたち。

結構元気あります。

それから今更ですが、海きれい。
再びアップダウンし、休暇村方面へ戻ります。
↓向かってくるウサギ。

↓ジャンプのちょっと前。

↓段差に整列する2羽。


そして、休暇村前で戯れる人々とウサギたちのスケッチ。

こんな風に、休暇村前のウサギたちはとにかくの周りに寄ってきます。

おかげで俯瞰のショットが増えてしまいますよ〜。

と、そんな光景を眺めつつ、

今度は南側を海沿いに進んで行きます。

くつろいでいるウサギたちをみながら、

ゆくと。

これは?

石で作られた桟橋です。
作られたのは芸予要塞の時期(明治時代)
でも、毒ガス製造の時期にも利用されていたそうです。
つづく。
大久野島を巡る10 ― 2013年03月20日 23時17分57秒
そして、北部砲台跡から海岸沿いに西側へ向かうと、


ウサギでもいてくれれば比較できたのだが、いてもほとんど見えなかっただろう。
ところで終戦後毒ガスはいろいろな方法で処分されたらしいが、ここでは火炎放射器で燃やしたのだそうだ。


結構上り下りがあって、へこたれてる身には応える。
その頂上付近に、

南部照明跡がある。
あ、先ほどの長浦毒ガス貯蔵庫は、昭和の話。
こちらは明治の話です。数ある砲台の頃ですね。

真ん中に囲ってあるのはおそらくリフト跡だと思います。
「電灯井」というのがあって、探照灯を格納していたと案内板に書いてあります。
奥に壁の切れた部分が見えますが、その向こう側にも階段&山道があります。けれども、今は塞がって通れません。(2013年2月)
いずれにしろさらに南端に向かうので、少し戻ります。(下り)

と、登るときには見かけなかったウサギたちが、ひょこひょこと駆け上ってきました。

この小さな山の麓には休暇村があるので、中腹にも人見知りしないタイプが多いようです。
でも、1回わざわざ知らないフリをして、

その後素速く足もとにきます。

こいつは「人見知りしない&おねだり」タイプですね。

前にも書きましたが(多分)ぼくは、ウサギ飯を持たずに歩き回りましたので、おねだりされても何も出ません。
こいつはあっさり去って行ったのですが、

少し遅れてきたこいつは「じっと見つめて訴える」タイプで…。
「じゃあね」と言ってぼくが離れてからも、

何故か、

その場に、

ま、とにかく「先を急ぎやす」と一声かけて無常にその場を離れ、次に向かうのは、

灯台です。
つづく。
大久野島を巡る9 ― 2013年03月19日 23時10分01秒
そしてこの上にあるのだな。

最後の「北部砲台跡」が。
最後ってのは、勝手に言ってみただけだけど…。
じゃあ「行ってくるぞ」と道ばたで見送ってくれるウサギに言って、

こんなところを登るのだな。

結構急で段差も激しい。
さらに、こんな感じになって、

まださらに登ってゆくと、

なんか、見えてきた!

砲側庫跡や兵舎跡と似てる。
が、中は…

う〜ん。
でも、砲側庫ではないと思うのだな。
その理由は、さらに上に登ればわかるかな…。

さあ、上がってきた。

この階段はどこへ行きたいのか…。

ウサギがおった。

人見知りタイプだ。
この場にふさわしい感じがするな。
そして、ここは観測所跡なんだ。

もちろん屋根があって、窓から敵の位置をとらえて、砲撃の方向とか角度とかを伝声管で下にある24cm加農砲砲台に伝えていたということだ。
だけど見えるのは12cm速射加農砲砲台の方だったりする。


なんかこうやってみると「なんたらかんたらの遺跡」みたいな気がしたりして(?)
これはなんだろう?

こいつはかたくなに人見知り。

いいよそれで。
さて戻ろう。というか次へ行こう…かな。

なんか道が切れとるようにみえたりして…。
つづく。
大久野島を巡る8 ― 2013年03月18日 22時28分48秒
さて「北部砲台跡」は3つに分かれていると説明しました。
島の中心を突っ切ってきて最初に到達するのがここ。

(多分ここに発電機関舎があったということだが、よくわからない)

3つの中で、一番広い。
ここは地下兵舎跡とのことですが、

奥を覗いてみてもあまり地下へ行く感じはしません。

つまり、ここが地下なのか?
山を切り崩して作ってますからね…。

トンネルもあります。
トンネルの下には「砲側庫跡」

弾薬庫ということでしょうか?
兵舎との作りの差がわかりません。
このトンネルを抜けて、

注目はこの砲台。

元々は、24cmカノン砲が設置されていたということですが、ごらんのように見たことのあるものが並んでいます。(うさぎも見えますか?)
毒ガスの生産が始まってから、一ヶ所だけ毒ガスタンク置き場になったということなんですかね?
他の砲台には毒ガス台座はありませんでしたから。

そうして、この右側に見えるスロープをあがり、

さらに、山を登ってゆくと、北部砲台の別の施設があるのですが、少し性格が違うので、島を巡る道路を東へ150メートルほど行ったところにあるもうひとつの「北部砲台跡」を先に見てみます。
(実際は、お昼ご飯を食べて午後の部で行きましたのですが…)

ここは、現在島を巡る舗装道路に面しているからでしょうか、なんとなく趣が違います。
12cm速射カノン砲がおかれていたと書いてあります。
正式(?)には「斯加12速射加農砲」
斯加は読み方もわかりません。
こちらの砲側庫跡は、3つあるうち2つは中には入れます。

(ここは入れない…)

丸い…

天井に穴があります。

このあと、「北部砲台跡」最後の遺跡に登りますが、それは次回。
なんかウサギが完全に忘れられているのでは!?
毒ガス台座のそばに1羽おりましたが…。
なので、周回道路のそばにいたこいつを。

やけに小さくてネズミみたい…。
つづく。
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